頭のてっぺんから足の先までシアワセ雷ー35-2024/6/27
この4月に64になったが、これまでにたった1回だけ、「頭のてっぺんから足の先まで」幸せを感じることがあった。これだけ生きられたのだから、辛いことばかりではない。小さな幸せやら、中くらいの幸せやらは一杯あった(はず、、笑)。だが、頭のてっぺんから足の先まで幸せ実感、、、はたったの1回。
多分季節は今ごろ、6月梅雨どき。
このnoteになんども書いたが、高3、18歳、1978年5月22日に父が脳梗塞で倒れたあとのわりと直後のこと。まだ父は意識朦朧中。
いったいうちはどうなっちゃうのーーー
大学進学なくなったな、、、
何すればいい?高校出たあと、、うーわかんない
なんでうちだけ?
なんでうちのお父さんだけ倒れた?
お父さんまだ意識はっきりしないよ
うえーん
どーなるんだーわたし
父が病気になった直後、心の中はこんなつぶやきが溢れていた。
この季節、帰宅すると、締め切ったままの家はジメジメと臭くて、キッチンの床に蟻がながーい行列をつくっていたこともあった(当時母は病院に泊まり込み)。
涙が出そうになるが、外に泣き声が漏れてはまずい、、、と泣くのは布団の中と決めたっけ。
気持ちがどん底のどん底あたりだったとき(たぶん)、
部屋中見回す、、、
あれもこれも
お父さんが働いてたから手に入ったんだな
お父さん、中年太りでかっこわるくて
いっしょに歩きたくなかったけど
お父さんいたから生きてこられたのかも
「お父さんいたから生きてこられたんだ」
平日晩ごはんをいっしょに食べたことはないのに遊んでくれたことを思い出せる。そこにはいつも、「ユーモアがいちばん〜」「わっははー」と笑う太った母(当時70kg級)。
部屋の中にあるものすべては父の働きによるもの。この気づき、けっこう衝撃。ばりばりばりー 私は18年間、とんでもなくちゃんと幸せだった。
頭のてっぺんから足の先まで
シアワセだーー
とんでもないほど、
どさどさどさーーー
シアワセシアワセシアワセ
カラダに雷を受けたことはない。だが、たぶんきっとそんな感じ。シアワセ雷 ばりばりばりーー
今心が解放されて生きているのは、先に宿題したからなのね、、と言ってくれた方がいた。宿題とは、、親の看病や介護らしい。あのころ宿題とは思っていない。ただただ目の前のこととして、父と母の看病と介護の日々をやり過ごしていた(10代後半から20代~父が他界する34歳まで)。
両親にしっかり愛されたから、(両親の看病に)取り組めたんだね、、、と話してくれる心理職の方にも出会った。
雷のようにカラダを駆け抜けたシアワセの実感!!
たしかに、あの頃の私と今の私も支えているかもしれない。
高校卒業前に大黒柱が倒れ、この先経済を誰にも頼るまい、との決心にもなった(実現するのは大学卒業後)。
赤ハナつけたクラウンだからって、土台を愛してもらう機会に恵まれなかったかもしれない人の力になれるだろうか。なれる、と言うのはおこがましいかも。でも、少しだけ、シアワセ雷?!走った私=クラウンさっちーができることを、年齢経たからできることを、日々探していきたい🔴
(表紙は、CAPプログラム(子どもが暴力から自分を守る方法を学ぶ参加体験型プログラム)で伝えている、子どもは誰でも、『安心して・自信をもって・自由な気持ちで生きる』権利があるよ~の『自信』のポーズをしているOEKAKIクラウンさっちー)