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追悼、、、フチョーさん17-2022/12/07

 11月に入ると喪中欠礼のお葉書をいただき始め、年末に向かっていることを感じる。ある日の葉書は、さんざんお世話になった「フチョーさん」の訃報を告げるものだった(涙)。

 今年(2022年)の年賀状に、90過ぎたからもう年賀状は仕舞にするとあり、気になって何度か電話したがお話し中とか。結局声を聞けたのは夏の初め頃。入院中でか弱い声だった。コロナ禍でなかったら即お見舞いに行きたいところ。せめて、もいちど電話でもいいから声を聞こうと思っていたのに、旅立ったというお知らせが来てしまった。葉書の主は、フチョーさんのお子さんではないはず。フチョーさんご夫婦には子どもはいなかったから。

 ずっと「フチョーさん」と呼ばせてもらってきた。私が大学を卒業して医療ソーシャルワーカーとして初めて勤めた病院に、赴任してきたベテラン看護師のフチョーさん。当時は、まだ看護師ではなく看護婦だったから、本当にフチョーさんだった。フチョーさんは、とにかく明るくてあっけらかんとしているけど、患者さんのことを思い切り想うフチョーさんだった。専任ソーシャルワーカーは私だけの職場。私より後に赴任してきたベテランフチョーさんは、ソーシャルワーカーをいっぱい頼ってくれる方だった。それは前任の病院のソーシャルワーカーがイイ仕事をされる方だったからとあとでわかった。まだ20代だった私が、就職して3年を経るころの出会い。患者さんのことで依頼を受けると、フチョーさんの患者さんを想うほっこり感が伝わってくることも多かった。新卒で入職してなんとか仕事をこなせるようになってきたころ。まだまだ一人前のソーシャルワーカーとは言い難い時期だったけれど、一人ソーシャルワーカーの職場ではそうも言っていられない。そんな場で、このフチョーさんとのやり取りは、自分に少し自信を与えてくれた。

 フチョーさんは、めちゃくちゃ料理好きだった。自宅が遠方だったので平日は職場敷地内の職員宿舎に滞在された。そこで夕飯を食べさせてもらう機会があり、プライベートなことも話すようになった。フチョーさんのお料理は、野菜の煮物とか、きんぴらとか、懐かしい味ばかり。能面アーティストの「おとうちゃん」(フチョーさんのパートナーさん)もいらしていることがあった。フチョーさんを頼って転職してきた看護師たちも来ていた。わいわいと楽しく食べた晩ごはんだった。ちょうど、私が一人暮らしを始めた時期と重なる。母が他界してまもなくで、父は重度障害のある身で特別養護老人ホームに入所していた。母より少しだけ若いフチョーさん。新潟村上の出身といっていたけど、話し言葉は山形弁?にちかく、あったかで表現はいつもユーモラス、ユーモアいっぱいの母を彷彿とする、そんなフチョーさんだった。

 どれほど、晩ごはんを食べさせてもらっただろう、、、、ゼンマイの炒め煮がなつかしい。自分が転職後、たくさん食べさせてもらったお礼は私がしなくちゃいけないのに、連絡をくれるのはいつもフチョーさんだった。職場が変わった後はそうそう会えていないが疎遠にならなかったのは、フチョーさんのおかげだ。

 この10年くらいは、フチョーさんの陶芸の作品展や個展に、ツレも伴って見に行った。初めてツレを紹介したら、なんかすごい絶賛!!「素敵なカレシだねーーー」と繰り返す。その後、ツレとご自宅に伺い手料理をごちそうになることもあった。

 フチョーさんのお連れ合いの「おとうちゃん」とフチョーさんは、最後まで事実婚だった。ご本人が常に口外していたので書くのは差支えないと思う。世の中、様々な考え方と生き方があるわけだから、どれが正しいではない。だが、事実婚を貫かれる姿は、私には一つのモデルだった。母の世代とあまり変わらない世代の女性の生き方としては、特異なスタイルを貫かれたのかもしれない。おとうちゃんをすっごく大好きだっただろうし、実際そう口にしていた。でも、男に寄りかかるのではない生き方、それが当時の私には眩しく映った。

 フチョーさんの声はいつも張りがあって、元気がよかった。いつもニコニコ笑って人を惹きつけていた。晩年家には、たくさんの人が出入りしていたようだ。最後にお目にかかれたのは90歳のお祝いの会。そこでもたくさんの人がフチョーさんの卒寿を祝っていた。その時も元気いっぱい、華やかな衣装のフチョーさんだった。こんなふうに子どもがいなくたって、年を重ねて尚張りのある人生を送れるんだと思った。マネしたい。フチョーさんの明るく年を重ねる姿、人に元気を分けてくれる姿、フチョーさんもクラウンだったんだ。

 フチョーさんの訃報に接し、あらためてフチョーさんの写真を探して眺めた。なんと、おとうちゃんの写真を1枚発見した。ないと思っていたのでびっくり。おとうちゃんは私のツレに目のあたりが似ている!そりゃフチョーさん、私のツレのことを「素敵なカレシだね」って連発するわけだわ(笑)。私とフチョーさんは、好みがいっしょだったのだ。

 20代のまだピヨピヨのソーシャルワーカーだった私に自信を与えてくれたフチョーさん、本当に感謝しています。母と別れたばかりのころの私の気持ちを受け止めてくれて、おいしいご飯をいっぱい食べさせてくれたフチョーさん、本当にありがとうございました。うちのお母さんと、あの世で会えて笑って話していますように💛
(表紙は、フチョーさんありがとう!!!!の気持ちをポーズで表しているつもりの写真。)

2019年6月卒寿のお祝いの会にて、、、フチョーさんと握手


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