私と、とある新聞記者の話(終章)
社会人になってからの友人て何人いるだろう?
ふと、そんな疑問が頭の先端をかすめた。
アルコールの肴には上等だろう。
友人の定義を述べよと言われたらそれはとても難しく面倒だ。
私が大学の教授になったらその種の論文試験を出すのも面白いかもしれないが、その可能性は今のところ酒を断つことくらいの可能性しかない。
私は、友人は少ない。
そんな私でも少ないだけで多からず少なからずの友人はいる。
最初の質問だが。
何人ということは返答に窮するが、社会人になってからの友人と言われればすぐに思い浮かべることができる人間が一人いる。犬、猫、植物、熱帯魚じゃなくて、心より良かったと思う。
私が彼と出会ったのは神戸のとあるバーだった。
彼に連絡をとったのは私からだった。
ちょうど税制改正の情報が欲しかったのだが、そんなことより、私のお願いに対する彼の対応が見たかったのだ。
電話をすると、彼は驚いた風はお首にも出さず、「うちは地方の新聞社だから国会の情報まではタイムリーに入ってこないけど、政治部に動きがわかったら連絡もらえるようにする」と快く引き受けてくれた。
その数日後、私は彼を、最初に出会ったバーに誘った。わざわざ電話をして私は誘ったのだった。
彼は「仕事終わりによる」と言った。
その週末の土曜日、私はいつものごとく、仕事を終え、24時過ぎに店に上がる階段を上った。
自動扉が開き、私の顔を確認すると、馴染みのバーテンダーがカウンターの空いている席を進めてきた。
私は首を振り、
「待ち合わせなんだ、こっちでいいかな?」とカウンターの横のソファー席を指差した。
バーテンダーの了承の声を聴くと、「ギネスを」と立ったまま注文したのちにソファーに座った。
彼からメールがあり、2430を少し回るとのことだった。
私は運ばれてきたギネスをちびちびと口に運び、これから繰り広げられる会話に対し、シミュレーションを繰り広げていた。
何度か自動扉が開き、私はその度に振り返った。その何度目かで、彼の姿を確認した。彼の姿を確認して私は真正面を見据え、二杯目のギネスを口に運んだ。
「お疲れ様です。カウンターどうぞ」
「いや、今日は待ち合わせなんだわ」
聴こえてきた。私を探している仕草が想像できた。私は振り返り彼に対して手を挙げた。
彼は安心したように頷き、私の方に歩いてくる。馴染みのバーテンダーは私たち二人が待ち合わせをしているということに、まず驚き、そして、喜びの表情に変わった。
彼はレザー製のブリーフケースをソファーの奥に置くと、私の前に座り、「ギネスを」と注文した。
グレーストライプのスーツ。ホワイトシャツ。タイは黒に近いグレーだった。そして、銀縁の眼鏡。
その奥の眼はやはり、会話の糸口を逡巡しているようだった。
「遅くなってごめんね」
「いや、今来たところだから。」と私は眼前にある4分の3残っているグラスを指差した。
彼のビールが運ばれてきて、意味もなくグラスを合わせた。
しばし、お互いの仕事の話と、先日の私の以来のお礼とを済ませてから、私は切り出した。
「今度の市会選挙、高校の同級生が出るみたいなんだ」
私は彼の眼を見続けていた。
「こないだ、高校の同窓会があって、その時挨拶に来た。一年の時は一緒だったんだけどね」
私は彼の眼を見据えていた。彼も応えるように私の眼から視線を外さない。
「似合わない、かつ、身体にも合ってない、ネイビーのチョークストライプのスーツを着てたよ。仕立ては良さそうだったけどね…」
そう言って私は言葉を閉じた。
「彼か・・・・高校の同級生なんだね。」少し驚いた風に見えた。
「ああ。まぁ、今も昔もぱっとしない感じだな。こないだも駅でビラ配ってたけど、スタッフの女性の方が元気があったな」
「なるほどねぇ。確かにパッとしないなぁ。引き継いだ地盤的には申し分ないんだけどね」
それから彼についての話題を数分間続けてから、お互いの仕事の話、大学や高校時代の話、漫画や音楽の話をお互い目が笑うこともなく繰り広げていた。
明け方近くまで飲んでいたが、お互い酔う様子もなく二人で店を後にした。
私と新聞記者の話は一応これでおしまいだ。
さらに私の大学時代の友人も含めて3人で飲むことが多くなり、そうこうしている間に私が店から遠退いたのでめっきりと合う時間も減った。
一つだけ私が彼に対して後悔していることがある。
それは、兵庫県下でも有数の事件が起きた際に、私は職務上知りえた情報を彼に渡すことができなかった。彼は必死で事件を追っていたのだが、私はどうしても彼に情報を提供することができなかったのだ。
職業人としての私の倫理意識は正しく自分の判断は正しかったと今でも思っている。しかし、友人として彼の助けになれなかったことを今でも時折悔やむ。
今ではたまに連絡を取り合うくらいでここ数年は一緒に酒を飲むことも全くない。
最後に付け加えておこう。
私が当時の仕事を辞めたのも多分に彼の影響が大きい。
彼は一地方新聞記者として県議会のスキャンダルをすっぱぬいた。そして、日本中に大きな波紋を起こした。
彼の活躍をみて、私は自分の仕事が恥ずかしくなったのだ。
某新聞社の彼の名前は一躍インターネット中でみることとなり、私は彼の友人であることが誇りであると共に一つの思いが胸の中を駆け巡った。
「あいつにだけは、なめられるわけにはいかない」
私は職場を退職し、紆余曲折を経て今はベトナムで執筆をしている。
「あいつにだけは、なめられるわけにはいかない」
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