F井君と僕(出会い)
僕は友達が少ない。
友達が少ないというと、じゃあ「友達の定義ってなんなのさ?」と聞かれると戸惑ってしまうというか、面倒だ。
僕の友達の定義というと、簡単に言うと「サシで飲みに行けるか?」なんだけど、その中でもF井君という僕の友人の中では特に「異質」な友人の話を今回はしたい。「異質」というのはF井君が「異質」なわけではなく、僕の数少ない友人のレパートリーの中でF井君が「異質」だということ。
1年に1回は必ず飲みに行っている。それが10年以上続く。そして、多くはF井君から誘ってもらえる。僕にとっては貴重な友人だ。
F井君は高校の時の同級生だ。
もう、出会ってから20年以上たつ。20年以上と文字で見ると驚きだが、F井君は今でも容貌はかわらない。「こいつ、歳とっているのかな?」と不思議に思う。
高校の2年生と3年生で同じクラスだった。
F井君は小柄で眼鏡をかけていて物静か。典型的な優等生タイプだった。そして、実際に優秀だった。
反対に僕は粗野で乱雑なラグビー部。
休み時間ごとに教室の前でラグビー部のメンバーでたむろをする。
昼食は食堂に陣取って食事をし、列に割り込んでラーメンを注文しとってくる。(ラグビー部に入部する際、先輩が「ラグビー部は食堂でもならばなくてもいい」と言っていたが、それを実践していたのはおそらく僕たちだけだろう)
自分たちの席(と僕たちが勝手に決めていた)食堂の席で下級生が食事をしていると、それを囲んで食べる。
食事が終わると下級生の教室に突然入っていき弁当を教室で食べている皆の前で「お前ら目を瞑れ~」といきなりコントを始めるなど、文字にすると余計に恥ずかしい野武士集団のような一員だった。
そういや食堂の僕たちの席で、同じ学年の女子が一人で弁当を食べていて、その女子の同じグループのメンバーが遠くで見守っていたことがあった。僕たちは構わず、彼女を囲むかたちでいつも通りくだらないことを言い合いながら食事をした。彼女は恥ずかしそうに小さな弁当箱で食事をし、同じグループのメンバーはそれをみて遠くでくすくすと笑っていたのだった。
「どうしたの?」
とラグビー部のメンバーが聞くと「罰ゲーム」と申し訳なさそうに言った。
ラグビー部のメンバーの中でご飯を食べるのが罰ゲームって言われた僕たちの気持ちも考えてほしい。
ちなみに、僕はコントには参加していない。後ろで爆笑しているだけだった。ちなみに、ラーメンの割り込みもしていない。もっとわるいやつは食券もないのに、勝手に出されたラーメンをとっていくという悪人もいた。
「お祭り軍団ラグビー部」「罰ゲームはラグビー部と一緒にランチ」の一員である僕とF井君。
まるで、漫画の設定のようだけど本当にそうだ。
そんなこんなで、ラグビー部としか接していなかったが、元来の人付き合いが苦手なこともあり、クラスでは友人は誰一人いないまま、高校3年生は夏まで終えた。
そんな、粗野な野武士集団のラグビー部の一員であるがクラスでは孤立していた僕はF井君の存在は知っていた。とても優秀だったからだ。
高校2年と3年の約2年間。ほとんど話をしたことはなかった。
当時の僕は今より30度ばかり鋭角だったのでラグビー部以外の友人を作るつもりもなかったし、作る必要もなかったこともその孤立に余計に拍車をかけた。
ここまで書くと、僕は嫌われ者・ならず者軍団のラグビー部の一員でよほどクラスからも煙たがられていたのかと言われると実はそうでもない。
と、自分では思っている。というか、そう信じている。ていうか、そう信じていいよね。
僕は、誰に何を言われようと平気の平左だったし、クラスでも浮いていようがラグビー部が僕にはあった。学年でも人気の女子と僕は付き合っていて(なぜかしら?と誰もが首をひねったと思う)その彼女もクラスが一緒だった。彼女の存在が当時の僕の存在をいい意味でも悪い意味でも押し上げたのだと僕は思っている。今でいう「学級カースト」だ。
そして何よりも、ラグビーばかりやっているにもかかわらず、孤立しても卑屈にならないでおけるほど不思議と学業の成績もよかった(これには歴代の担任も首をかしげていた。一番不思議に思っていたのは僕自身であることはいうまでもない)。
大人になってからF井君に言われたのは、「とにかくみんな君のことには一目置いていたし、気を使っていたよ」と。
僕が通っていたのはそこそこの進学校で、言い方によれば中途半端な学校ではあるが、だから余計にそれなりに品のいい人間が集まっていたのが幸いしたのであろう。
無駄な妬みや嫉みもなく(あったのかもしれないけど)僕は高校の3年間クラスでは日陰の中でひっそりと過ごしていた。
そんなクラスのつまはじきものと優等生のF井君が出会ったのは、高校3年生の2月。大学受験の帰り道だった。
試験を終えて帰る電車の駅で偶然F井君と出会った。
「もしかして、○○大学の○○学部?」F井君は言った。
「そう。F井君も?」
「そう。一緒に帰っていい?」
この奥ゆかしさが好きだ。
それから地元への帰り道すがら1時間以上F井君と様々な話をした。彼はとにかく優秀でその優秀さを鼻にかけない謙虚さを持ち合わせている。
F井君と話をしていると思いもかけず饒舌になる自分に驚いた。ラグビー部のメンツとは異質な、優等生との会話はとても面白かった。
会話のテンポがいい。考えて言葉を出しているのがみてとれる。
なるほど、頭がいい人はこういう話し方をするのだ。
「次はどこうけるの?」F井君は聞いた。
「明後日に●●大学」
「一緒だ。なら、一緒にいっていい?」
その謙虚さが好きだ。
あとで聞いた話だが、某私立群だけを滑り止めにしていたのは僕とF井君だけだったらしい。F井君は誇らしげにそう話してくれた。
F井君は地元の旧帝大が第一志望で、予備校でやっている模試でも全国で3番以内には常に入っているような珍種らしかった。
「僕は心臓が悪いからね。勉強しかできないんだ。」
彼は申し訳なそうに言った。
しかし、F井君は身長は小柄ながらも実は体つきががっちりしていて食欲も旺盛だった。
卒業後クラスのメンバーで長野までスキーに行ったとき、彼は他のメンバーが驚くほどよく食べた。そして、露天風呂では意外な肉体美と雪の上で得意の片手バク天まで見せてくれた。
結局、僕もF井君も志望していた大学に進学はかなわず、それぞれ滑り止めで合格した大学に進学した。
大学1回生の夏に同窓会があり、そこでF井君と再会した。F井君は大学ではクラリネットをはじめ、今はとても充実していると嬉しそうに話をしていた。
大学受験の帰り道初めてまともに話した時に、F井君は将来官僚になりたいと言っていた。大蔵省に入省して国の財政を動かすと言った。
僕はその青臭さをとても綺麗に感じた。
将来何になるなんてラグビー部のメンバーは誰一人考えていなかった、こともないが、ほとんどはそんな夢など希望だの話はしない。
僕にとってはとても新鮮だったのだ。