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「神社は中国人と韓国人の願いを無視して」という要望は許されるのか
ある人がこんなことをいっていた。
「日本の神様である神社の神様には、日本を憎んでいる中国人と韓国人が参拝に来て賽銭を投げて願いをかなえて欲しいといっても無視して欲しい」
なかなかのヘイトぶりであるが、この願いに正当性はあるのか。
いやいや、そもそも神社に対してこのように願ってよいのか。
いろいろ考えてみた。
初詣の北海道神宮でのこと
この言葉が生まれたのは、北海道神宮の初詣である。参道は大行列で牛歩のごとくしか進まない。私の前に30代くらいの、キレイな身なりをした日本人のカップルがいた。夫婦かもしれないが、少しよそよそしい感じもしたので、まだ籍は入れていないのかもしれない。
この2人の会話がなんとなく耳に入ってきたのは、賽銭箱までまだ1時間はかかろうかというときだった。
向こうもこちらも身動きが取れないから、私は2人の会話を聞き続けるしかなかった。
発話者は右翼でも天皇崇拝者でもなく、普通の人だった
2人の会話は大体こんな感じだった。
女性「外国人が多いね」
男性「アジア人が特にね」
女性「不思議と、日本人じゃないってわかるね」
男性「あ、それわかる。東南アジア人と南アジア人は、日本人とまった顔が違うけど、中国人や韓国人は日本人と似ているけど、日本人じゃないってわかる」
女性「そうそう。――しかし、外国人でも日本の神様のところに来るんだね」
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