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バイク遊びは定義しづらい

バイクは特殊な遊びだ。野球や登山や釣りや酒とは決定的に異なる。
野球も登山も釣りも酒も、用意された遊び場で遊ぶことができるが、バイクの遊び場は公道であり、つまりそれは社会インフラなので本来は遊んではいけない場所だ。

だからバイクメーカーとバイク乗りは相当工夫しないとこれで楽しめない。そして面白いことに、その工夫には法律違反が含まれる。

私は、私以外のバイク乗りで、法定速度を超過したことがない人を知らない。つまり私以外のバイク乗りは100%、少なくとも10回は法定速度を超えたことがある。白バイ警官ですらプライベートでバイクに乗っているときは違法走行をしている。もし、プライベートのときに一度も速度超過をしたことがない白バイ警官がいたら、本稿に対してクレームして欲しい。

さて。

つまりバイク遊びは、必ず違法になる宿命にある。そして日本には本物のバイク文化がないから、だからこの国はバイク遊びに不寛容である。バイクメーカーはバイクのテレビCMをつくらないし、駐車場ではバイクはすみに追いやられる。

50歳以上の男のバイク乗りで、バリバリ伝説もふたり鷹も湘南爆走族も読んだことがない人はいないだろう。この3作には漏れなく違法走行が描かれている。つまりバイク乗りのほとんどか違法教育を受けているのだ。ちなみに日本のバイク乗りの7割は50歳以上の男である。

バイク遊びの特殊性はもうひとつある。それは、いまいちなぜこれが楽しいのかわからないことだ。

あるバイク乗りにバイクの楽しさを尋ねたら、風と一体になれるだの、季節を肌で感じられるだの、スピードとスリルだのといっていた。こう答えるバイク乗りは少なくないだろう。しかし私には、どれもいまいちピンとこない。こうした感想は、自分の魂が検知したものというより、どこかで読んだ言葉を引用しただけの印象がある。

バイク乗りがバイク遊びの楽しさを上手に表現できないのは、そこにルールも目的もないからだ。
野球にも登山にも釣りにも酒にも、ルールまたは目的がある。点の取り方、山頂、魚の死体、陽気な気分などだ。
ではバイク遊びのルールまたは目的は何か。
なんと、ない。

A地点からB地点に行くための道具としては、バイクは最も劣っている。しかもそれは、バイクに乗る目的にはなってもバイク遊びの目的にはならない。
では峠道のカーブを上手に曲がることは、バイク遊びの目的になるのか。なるかもしれないが、それは命がけだ。実際、多くのバイク乗りが峠道を速く走ろうとして死んでいる。
だからこんなものが遊びの目的になるはずがない。殺し合いが起源の柔道やボクシングですら死なないようにするルールがあるのに、バイク遊びにおける峠道走行にはルールがない。むしろ制限速度を超えることが前提になる遊びだ(私以外は)。
強いていうなら、ルール違反こそがバイク遊びのルールだ。だからやはりバイク遊びにはルールはないのである。

それで結局、バイク遊びを説明するときは「ルールも目的もないのが魅力なのさ」的なポエムでごまかすしかないのである。

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