見出し画像

【仮説】営業スキルでものは売れると思う、場合によっては③

〇体系化されたものを望む背景

なぜ、こういった風に「心理学」でまとまられたものが、好まれるのかについて考えてみました。
まず、「研修を実施する講師側の都合が存在する」という背景があります。
研修を実施する際に、
「たくさんのトップ営業の方が、こう言ってます。だから大丈夫です」
では、論拠が薄くなってしまいます。
「心理学の大家であるホニャララ・ドナルド博士は、このように言っています」
などと前置きしたうえで言ったとすると、聞き手の印象としても、
「ほう、その人は知らないけど、有名な人が言ってるんだから間違いないよね」
と錯覚を起こしてしまうのです。

すると、ほぼ無名の営業マン研修の講師が述べた内容であったとしても、受講者側に受け入れられやすくなります。研修の流れを講師側が支配しやすくなるのです。例えば、企業向け研修のケースで考えてみましょう。担当した3日間の営業マン研修を、クライアント企業の納得する形で納品しなければならない講師側としては、受講者側に「有意義な3日間だった」という感想を持ち帰っていただかねばなりません。そのためには、自説を展開するための論拠が必要です。
(具体的には、何かしらの裏付けを提供し、ロールプレイングで効果を実感してもらい、グループワークで成果らしきものについて、お互い話し合ってもらう機会をうまく設ける必要があります)
受講側は、「これって、研修する側のペースにうまく乗せられていないか」と頭にクエスチョンマークを常に置きながら参加しなければ、主催者側の思惑にはまってしまうでしょう。



〇研修を実施するクライアント企業側の思惑

「なぜ企業は、積極的に外部研修を実施するのか」
私自身も、よく疑問に思うことがありました。
企業によっては助成金制度を活用するため「月に一度の研修日」を全営業マンに課しているところもありますが、営業マン研修に関して、外部講師を招いて実施するのには、それ以外にもいくつかの理由が存在します。

・営業マンで成績が振るわない者がいるが、何らかの形で改善を促した形跡がないと上層部から追及されてしまう
・社内で研修を実施してもよいが、それで改善が見られない場合、研修を担当した講師まで責任が及んでしまう
・研修を実施するには、パワーポイント作成を含めたコンテンツ制作をしなければならないが、それだけの人員を社内で手配することができない
といったことが挙げられます。

そこで、外部講師が登場するわけです。
外部講師は、自らの経験を理論で裏打ちさせて、できるだけ納得感のあるコンテンツを提供するようには試みますが、「その企業が置かれている状況」「その業界の営業マン特有の活躍する人物像」までは、しっかりと把握はできません。
これまでの研修の内容に多少の手入れをしたコンテンツを、そのまま実施することで、何とか納得感を与えようとします。
本来であれば、受講者側も自分のために必死でなければならないのですが、会社から強制された「やらされ感」はどうしてもあるため、真剣さは薄れてしまうのが事実です。



〇人間は忘却の生き物である

せっかく研修を通じてブラッシュアップする機会を得たとしても、人間は日々忘れていきます。仮に受講した研修が納得感の得られるものだったとしてもです。
一度受講した研修のレジュメを定期的に見返したりする努力を受講者側が行うか、研修講師側が定期的に内容をリマインドさせるような働きかけを行えばいいのですが、現実的には難しいところです。
(受講した側も、テキストを片時も離さずに持ち歩くくらいの気持ちを持ってほしいのですが、なかなか難しいものです。もし、そこまでの向上心のある方なら、自力でも状況改善できてしまうでしょう)
研修講師も、メリットが薄く手間がかかるアフターフォローは、喜んで引き受けないでしょう。
すると、せっかくの機会はやがて忘却の彼方に追いやられてしまい、クライアント側は定期的にコストをかけても状況が改善しないという事態を招くのです。


〇過去の話は美化されたものではないか?

人間は忘却する生き物であることは先ほど触れました。
さらに、言えることとしては、人間とは過去の記憶を都合よく書き換えてしまうという習性があります。
例えばですが、私自身、過去に交通事故の仲裁をする業務を行ったことがあります。
そのことに強く気づいたことですが、当事者の言い分を聞いていると事故から日が経過するにつれて、自分にとって都合のいい内容に日々変化していくのがよくわかります。「人間とはずるい」とも言えますが、困難が起きても立ち直れるのはそれが要因の1つともいえるでしょう。
そして、当日の記憶が薄れるにつれて、過去を振り返るときに、どうしても自分自身の解釈が入り交じっていくことは本当によくあるものです。
自分自身を追い込んでしまうと、精神的につらい。そこで、何かに責任を転嫁してしまうのはよくあることなのです。
講師の話の中で
「こうやったら、社内で高く評価された」
「成績がみるみる向上した」
など武勇伝のような話がでてきたとしても盲信はできません。
よくありがちなのは、「以前はこんなにダメだった私が、こんなに活躍するようになった」といった構成の話をよく見かけます。
これは、受講者が共感しやすいように、話をわかりやすく組み立てている典型とも言えます。


〇掲載事例にも注意が必要

その他、研修会社から派遣された講師だと、自社の研修フォーマットが決まっていて、さも本当に体験したエピソードのように話を披露しているケースも見かけます。
(所属会社の研修フォーマットを自由に変えられない講師に対して、個人的に同情はします。しかし、受講者にとっては関係のない事実です)
そこで、受講者は冷静な視点で話を聞くことが要求されます。
「この話は、何か伝えようとすることがあって披露されているエピソードだろうけど、意図的に手を加えたフィクションである可能性が強いな」
ということを念頭に置いて、疑ってかかることも必要だと感じます。
特に「(少しホロリとさせるような)ちょっといい話」ほど、話半分で聞く必要があります。

〇「体系化」=わかりやすくパッケージされた商品である

これまで、お話をしてまいりましたが、研修というものは講師(もしくは研修会社)の意向によって、いかようにもコントロールできるものなのです。

・わかりやすさを優先するなどの理由で、披露されるエピソードの内容などは、手を加えている可能性が高い
・講師のネームバリューだけでは不十分なので、説得力のある学者の格言などで論説を補強していることが多い

といったことを頭においていただけたらいいと思います。
研修・ビジネス書に依存して頼り切るのではなく、自分の身の回りの体験談、自身が所属している企業や業界において、生身で体験した一次情報が、あくまで柱とすべき部分です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?