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言い訳を排除し、理由を育てる組織開発

 ホンダは、経営危機のたび再生を果たしていますが、日産自動車は青息吐息の状態が続いています。これは、トヨタ自動車の役員数が29名であるのに対し、日産自動車には45名もいることと、無関係ではないように思われます。


責任を取るリーダーが“カリスマ”になる

 経営環境の複雑化は、組織の意思決定を難しくします。しかし、だからといって議論を重ねることを重視すれば、意思決定の遅れに繋がります。組織運営においては、このバランスが重要なのでしょう。

 ただ、現在のトレンドは、「船頭多くして、船、山に登る」とならないよう、出来る限り船頭を少なくすることがトレンドのようです。なぜなら、議論の参加者が増えると、結局は、挑戦を恐れた結論にしか至らないということになるからです。

 保身的あるいは保守的な意思決定は、経営環境の変化についていけず、いわゆる“ジリ貧”に陥ることになるでしょう。
 しかし、思い付きのような意見に飛びつけば、致命的な結果を引き起こすかもしれません。

 そこで、責任を取ってくれる人が求められ、責任を取ってくれる人に従うという傾向が生まれるのだと思います。
 そして、責任を取ってくれる人のことを、「リーダーシップがある」と評価しているように見受けられます。

 ここで、どのような経緯で決まったことであろうとも、結局は責任を取らなければならない創業者(一族)は、「どうせなら」と、思い切った決断を下せるのでしょう。そして、それが成功すると、カリスマとしてもてはやされることになっているように思われます。

 だからこそ、次世代リーダーの条件が、「責任を取れること」となるため、いわゆるカリスマ経営者の後任人事は、なかなか進まないのだとも考えられます。

組織運営からリーダーを見出す

 責任とは、結果に対処する任務や義務であり、その結果が負の側面を持つ場合は、それに対する償いを伴うというものです。
 そして、この“償い”とは、組織の場合、大きなマイナス評価(査定)として現れることになるものでしょう。

 つまり挑戦しないとは、何が挑戦かわからないか、マイナス評価よりも現状維持を望む保身に支配されているかの、いずれかと言うことになりそうです。

 前者の場合は、学びがないか、思考力がないかのいずれかであり、そもそも意思決定の場に参加する資格がない者と言えるでしょう。
 したがって、このような者が意思決定の場にいること自体、その組織に、構造上あるいは文化上の問題点があると言わざるを得ないと考えます。

 一方、後者の場合、組織に属することが、自身の生活に直結しているため、創業者(一族)でない限り、なかなか退路を断って決断することは難しいかもしれません。

 したがって、組織が環境変化に対応していくためには、前者を意思決定の場に立たせられる人材に育てるか、後者の不安を払しょくするか、いずれかの施策が求められるのだと考えます。

“学習”を根付かせる

 今、自組織にとって、何が“挑戦”となるかについては、幅広い知識を必要とするでしょう。そして、知識を習得する過程において、必要な思考能力も養われてくるものだと考えられます。
 かつては、経営学士レベルの教育を企業が提供することで、そのような人材育成を行ってきました。しかし、詰込み型教育は、結局は思考力を削ぐことになり、さしたる成果は上がらなかったのではないでしょうか。
 これが、いわゆる「能力型人事」の失敗ということだと思われます。

 おそらくは、「今、以上」をイメージさせ、それを実現するための取組みを推奨することが、実務的な知識と思考力を養うことになるのだと思われます。
 これが、本来の「目標管理」なのだと思います。
 しかし、現実の目標管理は、目先の数値ばかりを追い求めるため、このような本来の姿を見失っているように見受けられます。

 例えば、「来年も、今と同じ仕事をしていきたい」ということであれば、それを許さない環境変化を想定させ、それに対する処方箋を思考させ、準備させることも、立派な“挑戦”であると考えます。
 したがって、想定されるような環境変化が起こらなければ、換言すれば、見た目は何も変わっていないような状態でも、確かに変化が起こったと承認することが必要でしょう。

 おそらく、これが“学習”ということであるように思われます。

捨てる神ばかりでなく、拾う神に目を向けさせる

 一方、責任に対する不安を払拭するためには、評価において、成果を上げればプラス評価、成果がないか、あるいはマイナスの成果に陥った場合は、プラス・マイナス・ゼロの評価、そして、挑戦しなかった場合はマイナス評価とすることが考えられます。
 ここでは、マイナスの成果に陥っても、評価をマイナスにしないことが肝心な点です。多くの組織の場合は、これを恐れて踏み込めないのだと思いますが、それは換言すれば、管理者にリスクマネジメントができていないからだとも言えるでしょう。

 そこで、責任を取った後も、「何とかなる」と思えるような自身であれば、敢えてリスクを取る(挑戦する)ことに対するハードルを下げるでしょう。

 「何とかなる」と思えるためには、「捨てる神あれば、拾う神あり」ということが実感できなければなりません。

 例えば、他部門の上席、あるいは同業他社とのコミュニケーションを厚くしたり、副業を奨励したりすることも、ひとつの方策でしょう。
 「ここがダメでも…」と、自組織以外にも自分の活躍する場があると実感させることが、何より有効であるように思えます。

 そして、このような体制を取っておけば、本来的ではありませんが、マイナス成果をマイナス評価にするという人事制度も、継続することができるでしょう。

殻から飛び出してこそ“挑戦”

 “挑戦”を組織文化にし、挑戦する組織構造を創るためには、おそらくメンバー1人ひとりが、自分の殻に閉じ籠らないことが重要であるように思われます。

 とかく、自身の能力に自信を持っている者ほど、「自分だけはイイことをやっている」と思いがちではないでしょうか。そして、少し話をして理解されないと、唯我独尊の状態になっていく傾向があるように見受けられます。
 しかし、これでは、本当にそれが正しいのか、あるいは、もっと多くの変化を生むことができるのではないかといったフィードバックを受けることができません。

 あるいは逆に、自分に自信がない者は、誰かにすがり、誰かの“せい”にし、自分だけは安全圏に居ようとします。そして、「言われた通りにやったのだから、私は悪くない」と、自身を省みることしません。
 これでは、組織が前に進もうとしているときに、ブレーキとなってしまいます。そして、そのことに自身が気づくことはありません。

 したがって、メンバーが自分の殻に閉じ籠らないでいられるような“空気感”が、組織には必要でしょう。そのような文化がなければ、おそらくは、先に掲げたような施策を実行しても、単にメンバーが散り散りになっていくだけのように思われます。
 組織が安心安全な場であることとか、組織の心理的安全性といったことが、昨今、重視されていますが、今のところ、これが”挑戦“への土台作りになっていく最良の方向性だと思われます。

まずは、言い訳を理由に変える

 例えば、朝、5分遅刻してきた部下が2人いました。上司は、「なんで遅刻したんだ」と問い詰めます。
 そのとき、1人は「寝坊しました」と言い、もう1人は「電車が遅れました」言ったとしたら、多くの場合、寝坊は叱責され、電車遅れにはお咎めなしとなります。

 これは、寝坊が悪いことで、電車遅れは仕方のないことだからではありません。

 寝坊は、遅刻してきた原因が自分にあるという理由を述べているため、改善できる可能性があるため、上司は叱責するのです。

 一方、電車遅れは、悪いのは電車で、自分は悪くないという言い訳をしています。言い訳をする者に、行動の改善は見込めません。だから、放っておくことになるのです。

 自分自身の在りようを、自分事として捉えることができるようになるためには、ミスを成長に変える組織文化が必要です。なぜなら、自分事に捉えることができる者だけが、責任を果たせるからです。

 仮に叱責されたとしても、その者には挑戦する機会を与えるべきでしょう。そして、他責に明け暮れる者には、能力や年齢などにかかわりなく、決して重要な仕事を任せないことが、結果的に組織を強くしていくのだと考えます。

 なお、リーダーシップについては、「憧れの管理職になれるリーダーシップ」をご参照ください。

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岡島克佳
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