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若年者の早期退職に怯えない組織開発

ケアを制度にすることで満足しないことが、重要な視点ではないでしょうか。

雇用のミスマッチが起こる原因は?

退職代行というビジネスの登場により、若年者を中心とした早期退職が話題に上ることが多くなっているように感じます。
早期退職の理由は、もちろん様々なのですが、一般に指摘されている内容は、「やりがいを感じない」「思っていた仕事と違った」など、仕事そのものに集中しているように見受けられます。この点に関しては、いわゆる「雇用のミスマッチ」であると指摘する向きも多いでしょう。
つまり、人手不足から採用活動に臨んでいる組織の人事担当には、「この人材を入社させたい」「入社すれば何とかなる」という思いが走るのではないかということです。だから、本人の希望やイメージと多少マッチしていないと感じても、採用に向けて積極的にかかわってしまうのでしょう。

従業員に対するケアの在り方とは?

次に早期退職の理由として多いのは、人間関係の問題であったり、結婚・出産・育児あるいは介護といった、ライフステージに対するケア制度の充実さであったりと、従業員に対するケアの在り方を指摘する声のようです。
人間関係については、メンター制度などを、多くの組織が取り入れているにもかかわらず、相変わらず多いということから、これが制度となることで形骸化し、本質が伴わなくなっていることを伺わせます。
一方、ライフステージに対するケアについては、組織も新入社員も、イメージ先行で何かを決めつけているのではないかと想像されます。なぜならライフステージに対するケアは、その場になってみないと、何が必要となるのかがわからないものだからです。その点で、制度化することが、むしろ不安を煽っているのかもしれません。
実際、従業員に対するケアの在り方について、組織サイドは自組織の対応が十分である(あるいは比較的充実している)と考えている割合が高い一方、退職者の感想では、不十分とみなしている割合が高いそうです。これは、ケアが個々人の事情に即するものであって、制度として一律化できないものであるという本質を、互いが見失っている証左でしょう。だから、新入社員との間にギャップができるものと考えられます。

なぜ、ケアを求めるのか?

では、新入社員は、なぜ、ケアを求めるのでしょうか。
そもそも、学校生活と社会生活では、自身の在り方が変わってきます。これは、組織が変っても同じでしょう。異動であれば、必ずしも本人の意志に関係なく行われるため、このような変化に対する戸惑いが生じるのも仕方のないことかもしれません。しかし、就職あるいは転職であれば、当然、その心構えがあってしかるべきです。
にもかかわらず、このようなケアが問題となるのは、新入社員が、自身をケアされるべき存在と認識しているからであるように思われます。
このような認識が生まれるのは、確かに人手不足(売り手市場)という社会的背景もあるでしょう。しかし、それだけではなく、組織に潜む制度依存体質にも原因があるように思われます。

試験制度に潜む曖昧性

例えば試験とは、「どの程度、理解できているか?」あるいは「そもそも理解できているか?」などを確認するために行うものでしょう。つまり、理解が不十分であれば、先に進むことはできません。だから、本当に理解できているかを確認するわけです。このことは、試験が、本来は優劣を競うことを目的としていないものだともいえるのではないでしょうか。
ここで、多くの人は、理解できているはずだと思いたいのではないでしょうか。なぜなら、繰り返しは面倒ですし、先を知りたいという欲求もあります。そして何より、優秀であると見なされたいと思うはずです。そこで、ストイックなタイプの人は、望んで試験を受けるようになりますが、多くの人は、確認されること自体を恐れるのではないでしょうか。
そして、全てを完璧に理解していなくとも、ある程度の理解さえあれば良いとする風潮が、これを後押ししているようにも思えます。実際、試験でも、満点でなければ評価しないということはなく、多くの場合、7~8割で及第点を付けるのではないでしょうか。

評価制度に影響を与える試験の概念

組織における評価もまた、試験と同じようなことが繰り返されているように思われます。例えば「職能」という評価基準などは、その典型であるように思えます。実際、多くの「職能基準」は、何を持って基準を満たしているかが曖昧なのではないでしょうか。
だから、その基準で評価しようとすると、「できるはず」という評価エラーが蔓延していくことになるのでしょう。そして、ここに目標管理制度を加えることによって、ストイックなタイプの人にも満足感を与え、そうでない人にも逃げ道を残すような制度が完成していくように思われます。
そして、もし、正当な評価ができないときは、その理由を制度に求めるようになり、さらに制度を改定しようとするのでしょう。

制度を超えた“斜め上の大人”の活用

制度とは、あくまで大枠を示すだけで、最終的なケアで必要なのは、個々人に対する対応と言うことになるでしょう。ここで重要な存在となるのが、“斜め上の大人”であるように思われます。
例えば、親や教師は垂直の関係です。組織であれば上司や先輩がこれに当たるでしょう。このような存在は、原理的には抑圧を示します。しかし、斜め上の関係は、フェアネスを体現していきます。組織では、上司でもなく、先輩でもない、尊敬できる目上の人となるでしょう。
昨今、出世したくない若年者が増えています。しかしこれは、実際に出世していないが尊敬できる目上の人が、その組織に存在していることの裏返しであるように思えます。
では、尊敬できる目上の人とは、どのような存在なのでしょうか。それは、役職者になったとき、その地位を保持するのに必要となる細々した会議などに参加するのを面倒と感じ、自らが必要とする影響力だけを保持したいと考える者かもしれません。そしてその存在は、例えば『相棒』の杉下右京や、『ドクターX』の大門未知子のように映っているのかもしれません。

ケアを制度にしない視点

このような影響力の二重構造は、役職者になった者にとっては面倒な存在かもしれません。影響力は、形式を伴って認められるという側面があるからです。しかし、このような人物こそ、“斜め上の大人”になれるような気もします。
行動特性という考え方に従えば、いくら出世したくない若年者が増えても、結局は必要なポストは埋まっていくでしょう。しかし、それは、今、出世した人が後継者と認める人ではないかもしれません。だからこそ、このような二重構造を前提とした組織創りが必要になると思うのです。
『ドクターX』における蛭間重勝が、大門未知子に翻弄されながらも、結局は大門未知子によって成功していくように、ケアを制度にすることで満足しないことが、重要な視点ではないでしょうか。

#人事の仕事

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岡島克佳
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