“技術力”という呪縛から逃れる組織開発
どこで飲んでも、コカ・コーラの味は変わりません。それなのに、それに支払う対価が68円であったり1,200円であったりすることがあります。それは、シチュエーションが異なるからであって、コカ・コーラに特別な味が、突然、生まれるわけではありません。
つまり、本来的な能力には差がなく、能力に対する価値にも普遍性がないのです。例えば、企業が危機に瀕したときに経営者に求められる能力は、コミュニケーション力や他者を励ます力だと考える若者が多いそうです。人が本来的に備わっている力も、発揮すべきシチュエーションがあるということでしょう。
だから、自分が活躍できるシチュエーションを用意して欲しいと考え、それが実現できないと「ガチャに外れた」と思うのかもしれません。そこで“オトナ”は、「活躍できないなら、なぜ活躍できないかを分析せよ。そうすれば、解決策が見つかる」と諭したり、「志(目標)があれば乗り越えられる」などと助言したりするのだと思います。
実際、かつての転職市場では、「石の上にも3年」が定説でした。これは、自らその面白さを求めなければ、その良さはわからないので、待っているだけ(誰かが自分のために何かをしてくれるだろうという考え)では、結局、どこに勤めても早期に離職してしまうということを表しています。そして、そのように転職を繰り返すことを、「履歴書が汚れる」などと表現していました。そこで今の転職アドバイザーは、「適職は探しても見つからないが、その仕事を適職にすることはできる」という観点でアドバイスをするようになったのでしょう。
ところで、現状に対する不満を抱えている場合、現時点をマイナスと捉え、少なくともプラスマイナス0の地点に戻すことを考えませんか。一見、合理的な考え方に見えますが、この思考は医者の言う「回復」であって、視座が固定されてしまっています。不満の対象が人体であれば、こう考えるでしょうが、それが自分の未来となるとどうでしょうか。むしろ、現時点の延長線上だけで考えるのではなく、別のラインを見出すことのほうが、より合理的であるように思われます。なぜなら、現時点の延長線上でイメージできるのは、所詮プラスマイナス0の地点であるのに対し、これまでとは違った方向に一歩を踏み出すことは、前進(プラス領域に入ること)になるからです。これは、自らが新しいシチュエーションを手に入れることに通じると思われます。現時点を評価するのに必要なのは、現状の断罪ではなく、マイナスをプラスに変える力でしょう。
例えば、「転生モノ」と呼ばれる作品やメタバースに熱中するのは、新しいシチュエーションを手に入れたいという願望の表れかもしれません。世のすべてが“かりそめ”に過ぎないと考えれば、それもある種の合理であると考えます。しかし、それが何かに導かれて歩を進め、トランス状態を創り出す“踊り”のようなものとなったらどうでしょう。客観性(俯瞰的視座)を失えば、それは合理とは呼べないのではないでしょうか。
商品が売れるのは、マーケティングという“技術”のおかげ。人を説得できるかは、ディベートという“技術”が決める。何事にも、成功の陰には“技術”があります。しかし、“技術”の前に“心”があることを忘れると、原爆を作ってしまいます。
自分が活躍できるシチュエーションを手に入れる“技術”は、確かにあるでしょう。しかし、その技術に翻弄されるのではなく、まずは自分自身と和解することが大切なのではないでしょうか。おそらくスティーブ・ジョブズも、その転機のたびに、このように自分自身を認めていたのだと思います。