“中間管理職”の悲哀を権限移譲で“やりがい”に換える組織開発
やらされ感を払拭し、自律的に行動する人材を育成したいというニーズが、多くの組織に内在しているように思われます。そこで、なぜ、自律的に行動しないのかという問が生まれてきます。ひとつの理由として、単純に仕事が面白くないことを挙げることができるでしょう。
では、仕事を面白くするには、どうすれば良いのでしょうか。何につけ、自分でやってみれば面白くなるのではないでしょうか。子どもに「砂山を作って」と言われたときは、「面倒くさいなぁ」と思っても、いざ、自分で作り始めると子どもそっちのけで夢中になることがありませんか。頭で考えたときには「つまらない」と思っても、自分でやってみると、いつの間にか面白くなるということはあると思うのです。『さよならマエストロ』でバイオリンが面白くなっていく谷崎天音のような存在は、決して稀有な存在ではなく、誰の心にもあるのだと思います。
ところで、なぜ、自分やってみると面白くなるのでしょうか。それは、「砂山を作る」と言っても、どのような砂山を作るのか、どのように作るのかなど、様々な要素が一任されていることに起因すると考えます。すなわち、「自分のやりたいようにやる」ことが認められているからこそ、つまらないことが面白くなるのだと思います。ここから、仕事を面白くするためには、まず、自分でやってみることが必要だと思われます。しかし、仕事を「自分でやってみる」ためには、自分にその裁量のあることが必要でしょう。つまり、やりがいとは、自分の裁量でやるから感じられるものだと言えないでしょうか。
経営学では、裁量を与えることを権限移譲と言いますが、メンバーの自律性を育むために、どこまで権限を委譲すれば良いかと言えば、委譲対象者が“面白い”と感じられる程度となります。すなわち、それだけの度量がリーダーには求められるわけです。
リーダーは、自分自身の目指す方向性が明確であり、そこを目指すという強い覚悟を持つ一方、今、どこまで近づけるかを、すなわち自分自身を把握していることが必要でしょう。そして何より、「この人と一緒に働きたい」と周りから思われていることも不可欠だと思います。時として能力のある人は、部下を手段と見るようになる傾向がありますが、これではメンバーから「一緒に働きたい」とは思ってもらえず、したがってメンバーの自律性発揮は望めません。このような観点から『フラットな組織』を捉えると、“リーダー”とは役割のひとつであり、他のメンバーの上に立つ存在ではないとみることができるでしょう。
メンバーに権限を委譲することは、放ったらかし(丸投げ)で良いということにはなりません。だからと言って、ステレオタイプに“管理”することが求められているわけでもありません。例えば、逐一が気なるリーダーもいるでしょう。反対に、逐一を見守って欲しいというメンバーもいるでしょう。お互いがどのような環境下にあることを望むかを、きちんとコミュニケートすることが、双方が「一緒に働きたい」と思える重要な要素になるのだと考えます。
「管理職(リーダー)になりたくない」という若年層が増えているそうです。これは、今の管理職が魅力的に映っていないからとも言われています。上から叩かれ、下から突き上げられているように管理職が映っているのであれば、その組織はフラットではないのでしょう。つまり、管理職自身が権限を委譲されていない状態にあることが推察されます。仮に組織図がピラミッド型で表わされていても、フラットな組織とすることは可能です。つまり、上から下へ向かう力学構造が、指示・命令系統ではなく、権限移譲を示すものであれば、それはフラットな組織構造と呼べると思います。例えば株式会社の場合、株主が役員に経営を委託することから始まります。そして役員は、執行役に権限を委譲します。つまり実態としての会社は、本来、権限移譲の連鎖によって成り立っているわけです。
目の前のメンバー(それが先輩であろうと、上司であろうと)が、その人にとってのリーダーから守られ(権限移譲を受け)、伸び伸びと仕事をしているのであれば、それを見ているメンバーからも、そのポジションは魅力あるポジションになるのだと思います。