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ヒマだからやるリスキリングに支えられた組織開発

セカンド・キャリア、あるいはキャリア・チェンジを実現するために、リスキリング(学び直し)が注目されています。キャリアの語源が“轍”であることを考えると、そもそもキャリアに“第2”が存在するのか、“変更”という考え方が有り得るのかという疑問は残りますが、“学び”そのものに着眼することは望ましいと考えます。
しかし、実際に実行に移している人は、少数派とも言われています。そこで、「なぜ、実行していないのか?」と問うと、「時間がないから」「お金に余裕がないから」という答えが多く返ってくるそうです。学び舎である“学校”を表す“school”の語源は、古代ギリシャ語で“暇”を表すscholēだそうですので、もっともな言い分なのかもしれません。実際、時間やお金に余裕があれば、学び以外に使おうとするのではないでしょうか。例えばスポーツの語源は、ラテン語で“気晴らし”を意味するDeportareらしいので、オリンピックで寝不足になるのに”忙しい”のかもしれません。
そもそも、人類の進歩は便利さの希求にあるように思えます。そして“便利”とは、人間を“暇”にさせることを目的としているのではないでしょうか。だから、生産活動に類することは全て奴隷が行い、“市民”が消費・探求(学問)・芸術・政治に専念していた古代ギリシャを現代に蘇らせようと、AI・IoT・ロボットなどのIT技術を奴隷の代わりにする社会(シンギュラリティ)を夢想しているのでしょうか。
もちろん政府は、シンギュラリティの第1歩としてリスキリングを推奨しているわけではなく、単純に、短期的視野で、労働移動を加速させることで、個人の経済力、ひいては国家の経済力を高めることを目的としています。だから、「何を学んだら、どのような仕事に就け、どれくらいの収入になるのかを明示せよ」などの声に対して、メンバーシップ型雇用から、ジョブ型雇用に変更せよというメッセージを発信しています。ジョブ型雇用になれば、スキルと就業の関係が明確になり、労働移動が単純化かつ活発化するという考えのようです。
しかし、先の文脈でリスキリングを捉えれば、それは「ゆるく生きる」処方箋として受け止められているのではないでしょうか。そして「ゆるく生きる」とは、経済的発展を諦め、低空飛行の人生に落ち着くという悲観主義的な意味合いではないでしょう。この言葉からは、1人ひとりが自分と向き合うことを意味しているような感じを受けます。だからリスキリングは、キャリアと結びつけられているのだとも言えます。(くどいようですが、その結び付け方に疑問はあるのですが…。)
例えば、研修中、講師が受講生に、あるいは受講生相互が“さわる”ことには、なかなか高いハードルがあります。それは、この行為が、一方的な物理的なかかわりであり、ときに暴力的であり、相手に不快感・不信感を与えかねないからです。一方で、“ふれる”という行為は、相互的であり、人間的なかかわりや親密感、ときには信頼感さえも醸成していきます。
“さわる”も“ふれる”も、現象だけを捉えれば同じでしょう。しかし、前者は強制性に基づき、後者は受容性に基づくという点で、大きな違いがあります。論理的であることは、普遍的であると理解されていますが、真に普遍性のある事象は、そう多くはありません。所詮、科学が解明していることは事象の極一部であり、それも、「今、現在、正しいと思われていること」に過ぎないからです。ましてや科学“的”と称されるものは、科学でさえないのですから、なおさら普遍であるはずがありません。だから、普遍性が見え隠れするような行為(論理的なもの)には、“さわられた”と感じるのではないでしょうか。
リスキリングを求める政府や組織の声は、公的な空間において行われる“さわる“でしょう。しかし、学びの第一歩は“ふれる”となるのではないでしょうか。私的な空間において行われる学びへの誘いには、対象への信頼が醸成されており、かつ、対象への緊張が解けていることが必要です。そのため、対象に向けた事前の交渉や検討が必要になってきます。換言すれば、対象にtouchされると予期できること、そしてtouchに対するパーミッションが求められているように思われます。しかし、このような配慮は、残念ながら見て取れません。
“勉強”とは、本来、「嫌なことだけど頑張ってやる」という意味だそうです。実際“学び”と言われると、そのような学校での記憶だけが想起されるため、「それを習得したら、就職できるという保証をしろ」などの被害者意識的で過敏な自衛行為が喧伝されたりもします。したがって、“学び”本来の“ゆるさ”(そもそも”学校”の語源は”暇”なのです)を取り戻さない限り、自身のキャリア形成に資するリスキリングは手に入らないように思われます。
経済合理性という、一見、誰もが納得するポピュラーな思考(論理)に流されることは、結局、後悔しか生まないのではないでしょうか。リストラの嵐に見舞われていた時代に、「会社を辞めて日商簿記検定2級を取得したのに、再就職できない」という40代の声が新聞で取り上げられたことを思い出します。

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岡島克佳
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