『ガラスの天井』から視線を逸らして管理者を増やす組織開発
近年の若年者には、出世欲がないと言われています。ある調査では、20歳代前半の男性の場合、2017年には4割程度に出世意向があったのに、2024年調査では25%に満たなくなったそうです。ただ、この傾向は若年者に限らないようです。2017年では、30歳代より緩やかに出世意向が下がり、40歳代で25%程度になって以降は横ばいたのに対し、2024年では、40歳代前半まで横ばい(25%程度)で、40歳代後半から急落しています。
一方、女性で出世意向を持つ人の割合は、20歳代前半から一貫して25%程度であり、男性と同じように40歳代後半から急落します。この傾向は、2017年も24年も変化が見られません。
さらに全体で見ると、「出世したくない」が「出世したい」を上回る年齢も、2017年が平均で42.5歳だったのに対し、24年は25.7歳になっています。また、別の調査では、新社会人として入社した1年目では5割弱が出世を望まず、2年目でも5割強が出世を望まない(微増する)という結果が出ています。
ここから、出世が仕事へのモチベーションとなる時代は過ぎ去ったと考える必要があるでしょう。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」とは、「死ぬために生きる」ことを説いた考え方です。おそらくこれは、鎌倉仏教の影響でしょう。生きることが辛く苦しいのに、なぜ生きるのかと問われたとき、「極楽浄土に行くため」という説明は、説得力があったのだと思います。つまり、僧が行う厳しい修行も、自分が厳しい現実を過ごすことも同義であるとするなら、自分もまた僧と同じように極楽浄土へ行けると信じたわけです。
ここで、このような死生観に基づく倫理では、厳しい現実は何も変えることができません。そこで厳しいと感じる現在を“結果”と見て、その結果をもたらす“原因”を求めようとます。すなわち”因果”です。そしてたどり着くのは、例えば『親ガチャ』になるのでしょう。しかし、この考え方も、飛躍があります。原因と結果の間に必ず存在する“プロセス”を無視しているからです。これは、結果を伴わない努力を無価値と見る風潮から来ているように思われます。
組織に対しては、女性管理職を増やせという社会的圧力がかかっています。しかし、女性はおろか、男性を含めた総体において出世意向が減退している現状では、それは困難なことと言わざるを得ません。管理職になるという“結果”を求め、それを阻む『ガラスの天井』を除去しようとする“原因”にだけ解を求めるのではなく、管理職に向かう“プロセス”を変更することも、同じように重要なのではないでしょうか。
研修で、「これから4人で旅行計画を立ててください」と言うと、「どこに行こうか? 大阪なんかいいんじゃない」と話を切り出す人が出てきます。そうすると、「大阪か、いいねぇ」と同調する人が現れます。そして「じゃぁ、USJなんかどう」と具体的な提案をする人が出てきます。そこでまだ発言していない人に「どうだい?」と聞くと、「どうせ本当にはいかないんだろう」と水を差すようなことを言ってきたりします。これは、組織が動くことを典型的に現しています。まず、自動車のローギアのように、組織を動かそうとする人。続いて、セカンドギアよろしく組織にドライブをかける人。さらに安定走行を実現するサードギアのように議論を具体化させる人。そして最後に、ブレーキ役として組織が誤った方向に進まないように注視する人。これら4つの役割が、講師から何の指示を出さなくても、自然と4人の中で生まれます。
管理職に向かう“プロセス”を変更するとは、この事実に即し、このような些細な場面でリーダーシップを発揮する人を見つけ、その充実感を伝えていくことでしょう。おそらくは、昨今、流行の『1on1』で上司が話すべきポイントとなるかもしれません。例えば、若年者に対しては、リーダーそのものの魅力を、そして中間管理職に対しては、同レベルのミーティングで全体を引っ張っていくやりがいを伝えていくことが重要だと思います。
管理職(あるいは出世)という結果だけを“見せる”のではなく、リーダーとしての喜びや充実感を“体感”させること、それは特別な役割や役職を含めた“機会”を与えることではなく(そのような機会を日常から探ることこそ重要)、「あなたは充実していましたよね」と承認あるいは内省を促す機会を作っていくことが、組織を維持させていく方策であるように思われます。