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信頼回復を理屈で考えない組織開発
組織とは何かと問われれば、意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力が、共通目的・協働意志・コミュニケーションによって機能するシステムというバーナードによる定義が、今もって有効だと思います。
そのような組織は、さまざまなカタチを示しますが、それがどのようなカタチであっても、それを組織と認識するでしょう。にもかかわらず、その組織を実体として把握することはできませんし、壊すこともできません。壊したと思っても、それは別のカタチに姿を変えただけではないでしょうか。そのように組織は、極めてしなやかで、かつ、強固なものです。
だから組織の中に入ると、何かに囚われているような窮屈さを覚えるのかもしれません。だから組織は、外から見ても、中から見ても、自身の目に入るもの、換言すれば表面だけしか見ることができず(様々な見方があって)、惑わされるのかもしれません。
おそらく組織の本質とは、そこにあることに自ら気づき、そして磨きをかけていくことができるものであるように思います。例えばGoogleは、世界で最もM&Aを実施している組織だと言われています。そのため、異なる企業文化の融合は、Googleにとって重要なミッションとなるでしょう。だから「プロジェクトアリストテレス」で“心理的安全性” の重要性を証明したことも、この文脈で導き出されたものと考えます。
それに対して、M.ポーターの提唱した“競争優位戦略”は、単に投資先を見つけるときの視点を提案したもののように思えます。実際、ファンドマネジャーらが指摘する「見るべきポイント」は、経営者の成長意欲、優秀な部下、競争優位性の有無、コアコンピタンスの強化性などとなっており、その類似性を感じます。
ところで、人間が何かを認識する能力(認識能力)は、よくCPUに例えられます。人間の認識は、外部からの刺激によってソフトウェアが起動して初めて成立するということです。例えば「1+2=3」と認識できるのは、「1」「+」「2」「=」を入力し、内包するExcelのような計算ソフトを起動することで「3」を導き出すということです。しかし組織を、このような認識の下に設計することには、いささか抵抗を感じます。なぜなら組織は、その前提が“人”であるからです。
人には、理屈に従うという傾向があると同時に、感情に従うという傾向があります。だから組織を形成するためには、そこに集う人が、互いに理屈を理解し、感情を理解するということが必要でしょう。
理屈は自ら考える在り方であり、機械(コンピュータ)のように判定していくことが可能でしょう。しかし、感情は受け身の在り方なので、理屈と同じように判定していくことはできません。だから、理屈と感情のいずれかに寄るのではなく、双方を理解する必要があると思います。
バーナードが示した「コミュニケーション」とは、このような受容性に基づく知覚に対して、自発性に基づく統覚(知覚を1つにまとめあげる能力)が、主観的な認識の源泉であることを踏まえて実現することを意味しているように思います。すなわち、認識を抜きにして理解することはできないことから、先にみたような理屈と感情が同時に存在するという二律背反とも言える状況に、決めつけや諦めを持ち込むことなく、わかり合おうとする相互信頼が、「コミュニケーション」には含まれているのだと思います。そして、おそらく対話が、今、求められているのも、こういった考え方が”本質”に繋がるからではないかと思うのです。
だから組織とは、まず“人”によって成されるものであるという前提に立って見つめられ、思考されていくべきものではないでしょうか。
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![岡島克佳](https://assets.st-note.com/poc-image/manual/preset_user_image/production/i04f97ff72d86.jpg?width=600&crop=1:1,smart)