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みんな、自分らしい母親でいればいいんだ

お昼を大分回っても、厳しい日差しが衰えない日だった。
習い事帰りの自分が電車を降り改札を抜けると、少し先を若いお母さん赤ちゃんを抱っこして歩いていた。
足元は、今流行っているらしいサンダルだ。
外反母趾じゃないんだな、羨ましい。。。

小奇麗にしているなーと感心する。
一方で、サンダル危ないんじゃないの?と、ちょっと小姑みたいな自分も顔を出す。

下りの階段に差し掛かる。
お母さんは、サンダルの足元を気にして階段を下りている。

赤ちゃんのために。

それに気づくと、急に彼女が優しいお母さんだと伝わってきて、先程のちょっとした意地悪な気持ちがしぼんでいく。

きつく差し込む西日に、日傘をさっとさす。
自分のためと、勿論赤ちゃんのために。

それをみると、もう勝手に優しい気持ちになっている。

自分だって母親で、
仕事をしてるから子供を幼稚園に預けていて、
でも家で仕事をする時間が長いから、外で勤めるお母さんたちみたいに
時間や服装に縛られていないことが少し後ろめたくて、
お迎えに行くときは、せめて仕事っぽいきれいめな服装で行った方がいいかと悩んだり、
いやいや、仕事からいったん帰宅して着替えて迎えに行くシチュエーションてことで、普段着でいいでしょと開き直ったり。

勝手に人の目を意識して、
勝手に息苦しくなっている。
こんなふうに、自分が誰かを自分の心地のいい枠にはめようとするタイプだから、翻って自分もそのように見られていると思うのだろう。

『ママ』であり、『自分』であることは、当然不可分だ。
どちらかに比重が傾くことはあっても。
そしてその比重の軽重は、
曜日や時間帯によって、
状況によって、
くるくると変わっていく。

どのタイミングの、どっちに傾いている自分も、
子供を大好きな、満点のお母さんだと言ってあげたい。

サンダルのママも、頑張ってください。
涼しい顔をなさっていたけど、赤ちゃんを抱っこしてると
ほんとに暑くて、腰にも肩にも結構くるよね、知ってます。
でも長くは続かない、すぐに通り過ぎてしまう季節だから、
今日みたいに愛しんで過ごすのが、きっとマルです。





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みなもと 湊
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