久しぶりに訪れたその場所は記憶とは随分と様変わりしていた。 ただ、もうお亡くなりになったであろうお婆ちゃんの住んでいた離れは変わらない様子で、自分が間違ったところには来ていないと教えてくれていた。 弟が呼び鈴を鳴らす。 ぎこちなく父と私と三人で並んで待っていると、程なくドアが開いて目指すそこの女主人が現れた。 「どうも先日は…」 「まぁまぁご丁寧に…」 父と彼女がぎこちなく挨拶を交わす。 彼女の三人の子供達は私達も兄弟二人の小学校時代の同級生だ。 とはいえ、彼女の二女であ
春に母を亡くしてから半年ほどたった。 あっという間に初盆がやってきし、不慣れながら不十分ながらそれを終えた。 母が亡くなって暫くは、それでも変わらず過ぎる毎日を、浜辺で寄せては返す波を見るように眺めていた。 これからは『母のいない日常』が当たり前のものとなり、毎日静かに満ち引きを繰り返していくのだと思った。 でも実際はそう簡単なものではなかった。 母の死によって生じた亀裂は、見えないところで時を追うごとに広がりつつあるらしい。 亀裂はできたものの、その後は変わらないよう
※少し前に書いたnoteですが今更ながら投稿します。 この時にしか書けなかったものだと、今思うので。 母が亡くなった。 ほんの3週間ほど前の話で、思い出そうとすれば死にまつわるあれこれがまだ生々しく蘇る。 葬儀を終えて自分と家族の生活に戻って数日は一人になった時間帯に ぼんやりと母との最期の日々(コロナでろくに会えなかった)を思い出し、 出来なかったことを悔やみ、 しなかった判断を悔やみ、 そのことを母に詫び、 医者なんてこん畜生と恨み、 泣いた。 でも結局、私にとっ
令和3年4月4日、細野晴臣さんのラジオ、『Daisy Holiday!』より。 あまりに美しくて素敵な話だったので、 覚えておきたくて書き残します。 書き起こしではなくて、私が記憶したままに書き残します。 子供のころ、親友が居たんだ。 今はもう、この世の住人ではなくなってしまったんだけれどね。 いつも穏やかで優しくて、ちょっと違うところを見ているような不思議な雰囲気のあるやつだった。 宇宙少年、っていう感じのね。 小学校の時、未だ3年生か4年生だったかな。 ある朝、彼は僕
この春、息子が小学校に進学した。 毎朝、息子が学校に行ったは良いが、マイペースな奴が遅刻するかしないかぎりぎりのタイミングでの登校だったために大丈夫か?!とやきもきしたり、 今日はやっと間に合う時間に出た…と思ったら忘れ物していたり、 『行ってらっしゃい』と見送り、一人で登校できるようになったか…と感慨深く見送っていると『トイレ…』と言いながら帰って来たり。 息子が甘えん坊なのは仕方ないが、こちらの子離れできてない加減が大概である。 入学を目前に控えていた頃のことだ。 卒園
雪の朝、子供を送り出して朝家事を片付けた後で「30分だけ」と決めて 散歩に出た。 幹線道路沿いの歩道をてくてく上っていく。 車が忙しくひっきりなしに行き交うのを横目に「散歩」している自分は なんだかひどくヒマな人間みたいに見えそうで落ち着かない。 まあ確かにそんなにあくせくはしていないけどね。 公園沿いの桜は、黒く湿った幹や枝に今朝の雪をまとっている。 細かな雪が吹きつもり固まって少しぽってりしている。 アイシングがかかったココアクッキー、という例えを思いつく。 ただ、
我が家にイチゴの苗がやってきた。 近所のスーパーで、パック詰めされた赤いイチゴの隣に、 「お一人様一株ずつ、ご自由にどうぞ」と、並べられていたものだ。 先輩然とした赤いイチゴ達の隣で、未だ実ってもいないのにイチゴの段ボールケースに並べられた苗達は、少し肩身が狭そうだったが、未だ細い赤い茎を伸ばしてアピールしている。 『僕たちも、こんなに赤くて美味しいイチゴになりますよ!』 甘い香りがしていた。 6歳の息子(何でもやりたがり、大抵すぐ飽きる)が 「イチゴ育てたいなー」 など
先日、息子を送った幼稚園の玄関先で、 わりに仲良しのママ友とばったり会った。 二人で息子たちを見送った後、世間話をするうちにふと、 「仕事を止めようと思っている」と打ち明けられた。 仕事を辞めるという事だけでも大変なことだけれど、 彼女が、そんな大事な話をしてくれたことにも驚いた。 でも、話を聞けば… 『辞める必要ないじゃん!勿体ないよ!』 危ない、もうちょっとで言ってしまいそうだった。 むぐぐ、と、何とか自分の中に押しとどめた。 そんなこと言ってしまったら、打ち上
コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除された。 正直、少し早いのではないかと思う。 あんなに問答無用で人を自宅に押し込めて窮屈な思いをさせておいて、 随分あっさりしてるね? ちゃんと勝算はあるんだろうな? いや、そんなことを書きたかったわけではなかった。 noteへの投稿はほぼ1年振り… 表現を続けてみようとこちらに綴ったにも関わらず面目次第もない。 だけど、書くと決めたことを忘れたことはなかったよ。 自分のnoteを開くのも久しぶり。 残していた文章は自分の抜け殻のよう
誰にも、どうでもいいことだと思うけれど、自分にとっては大分大きなことだったので書きます。「応募した文学賞の2次審査に残ってたよ!」 [なんでもない今日」だったはずの数日前のある日は、蓋を開けてみると、朝から夜まで気持ちをゆすぶられる事が続く稀有な一日だった。 慰められ、その後また落ち込み反省したら、最期に甘いデザートがついていた。 ********** 今年の初めに、ある地方新聞主催の短編文学賞に応募した。 少し前に受賞作は発表されたが、(当然ながら
初投稿から一か月経ちました。 ベタですが、感想を書いてみようかと思います。 1、書くのって、難しい 人に見て貰うことを意識して書く、それも自分事を書くというのは温度感、距離感が難しい。余りに赤裸々と書いては、読む方も読みにくいし書く方も恥ずかしい。かといって、自分から離して書こうとするとカッコツケになってしまい、白ける。 2、日常をよく見る様になった ふと心に留まったことを前より大事に扱うようになった。今までなら、そのまま手放してしまっていた小さな機微を、両手で掬ってよく
お昼を大分回っても、厳しい日差しが衰えない日だった。 習い事帰りの自分が電車を降り改札を抜けると、少し先を若いお母さん赤ちゃんを抱っこして歩いていた。 足元は、今流行っているらしいサンダルだ。 外反母趾じゃないんだな、羨ましい。。。 小奇麗にしているなーと感心する。 一方で、サンダル危ないんじゃないの?と、ちょっと小姑みたいな自分も顔を出す。 下りの階段に差し掛かる。 お母さんは、サンダルの足元を気にして階段を下りている。 赤ちゃんのために。 それに気づくと、急に彼女
社会人一年目、私にとって、それは司法書士資格浪人生活の始まりだった。因みに「司法書士」は登記(不動産や会社)を主な業務とする士業だ。 本来、仕事の為に必要な資格だから頑張って勉強するのだろう。 しかし私は、「資格を取って、その肩書きの人間になりたい」という感じで、なんだか目的と動機の順番がおかしいままに勉強をしていたように思う。その資格があれば社会的にも一目置かれ、仕事もそのうちに舞い込み、生活も安定するであろうと思っていたのだ。そんなわけで、当然合格できずに終わった。最後
社会人一年目の皆さん、皆さんの勇気を讃えます。 ただ背中を押されるままに世間の荒波に乗り出し、途方に暮れているとしても。 真正面から就職活動に取り組んで勝利したことに。 就職活動に疑問を抱き、自ら選んだ回り道で迷っているとしても。 毎日の生活の糧を得る難しさを今学んでいることに。 将来に迷い、自堕落に毎日を消費しているとしても。 このままでよいのかと、自問自答を繰り返す苦行を日夜繰り返していることに。 あるいは、自分の描いたビジョンに従って、確実に歩み進んでいることに
まだ息子が本当に赤ちゃんだった頃の思い出です。 ふと思いだしたら、紀元前からずっと変わらず美しく優しく描かれてきた母子像のモデルは全てのママと子供達だと気付いた。 もう数年前、息子と一緒に赤ちゃん広場みたいなとこに遊びに行ったときのこと。 息子は、まだ一人遊びもできない頃だった。 彼を抱っこして揺らしながら、話しかけながら、ソファに膝立ちして、後ろの壁に貼ってあるポスターを、眺めていた。 そしたら不意に職員の人に 「ママがそうして赤ちゃんを抱いてる姿がすごく可愛いですねぇ
週末の午後、息子と公園に遊びに来ていた。 いつの間にか、5月も終わろうとしている。 いつの間にか、すごく日が長くなって夏のよう。 夏が好きだ。 一日は長く、いつまでも好きなことをしていてよいような 気分にさせてくれる。 それでも、一人で熱心に砂遊びをしている息子を眺めているうちに、 ゆるゆると日は傾き始める。 周囲のママと子供達は順番に帰り始める。 私も普段ならそろそろ帰ろうと息子を急き立て始まるタイミングだ。 彼を寝かしつける時間から逆算し、そこに至るまでの多くの工程