あなたにとって「遊び」って何ですか?
「遊び」ってあなたにとって、どういうものですか?
子どもがするもの?幼稚なもの?
ちょっと頭に描いてみてください。
「遊び」とは?
Wikipedia・ブリタニカ国際大百科事典によると、
「知能を有する動物(ヒトを含む)が
生活的、生存上の実利の有無を問わず、
心を満足させる事を、主たる目的にして行うもの」
「仕事と対立する概念」
「仕事は他の目的達成のための手段であり、
仕事自体は苦痛であることも、また強制されることもある。
それに対して遊びは
活動自体が喜びや満足をもたらし、
他から強制されず、
自発的に行われ、
通常真面目な目的や目標からの離脱が含まれている」
「子どもには、「遊び」と「仕事」の分け隔てがなく、
遊びを通じて新しい機能を獲得し、社会習慣、役割を身につける」
とある。
つ・ま・り、
「現実の利益、実際の効果のあるなしに関わらず
『ココロを満足させる事』」
「活動そのものが、喜びや満足になり、強制されず、自発的にされるもの。目的や目標がなくてもいい」
「子どもは、その喜びや満足から、必要な新しい習慣を身につける」
なのです。
「正しい」と「楽しい」どちらをとるか
子どもも大人も
「遊び」というのは、必要なもの だと私は思っています。
先日の山崎亮さんの講演会でも、話がありました。
「そんな事しているくらいだったら、専門書の一冊でも読め!」
というのではなく、
「5分に1回は笑いが出るような楽しい仕事をしろ!」というもの。
私も以前は、時間があったら、勉強して、
正しい専門知識を身につけなきゃ、
と思っていました。
(今でもちょっとそんなところあるけど💦)
でも、山崎さんは、
「そんな時間があるなら、吉本でも観ておけ!」と言われ、
目からウロコ👀
(その日、すぐにYouTubeで観て、ドハマりしましたw)
「正しい」事はいいのだけど、
「正しい」が全てではない。周囲もつまんない。
「正しい」<「楽しい」を意識すると、
生きている時間は、もっと楽しくなる。
んじゃないかな?
「遊び」という余白
私自身、作業療法士として、社会人になってからも、
楽しめる「遊び」をいっぱいしてきました。
それは、今でこそ「遊び」だと分かるけど、
その当時の私は、
ド真剣にしていました。
例えば、
古い着物をほどいて、作務衣を作ったり、
田んぼを借り、自然農で、米を育てたり、
1から作りたい!と丸太からリビング椅子を作ったり、
バイクで放浪して野宿したり(危ないので気をつけましょう)
楽しそう!やってみて、
難しかったけど、何とか形になった、
一緒にやる仲間ができた!
という事が多々ありました。
どれもこれも、
経済を一番に考えると
決して、お金や仕事に直結するような
「正しいこと」ではありません。
大人も子どもも一緒だと思うのです。
「楽しそうだから、やってみたい」
「やってみたけど、うまくいかなかった」
「認めてもらったから、褒められたから、もうちょっとやってみる」
「お友達と一緒の事が出来る」
といった感じです。
どんな事でも、
無駄はなく、
糧になり、
徳になると本気で思っています。
それが、周り廻って、「人の為」になるかもしれません。
「遊び」の強要は害でしかない
「○歳児には、△△の課題」という育児書や
保育士免許習得時の教科書のような事を重点的にやっていませんか?
発達障害の子どもにとって、
マニュアルのような、教科書通りの作業はかなりの拷問🔥
定型発達の子どものように、
イメージする力や
操作できる数が少なかったり、
そもそもの身体の大きな筋肉を使うのが
うまくいかない
+
もっと細かい指先の小さな筋肉を動かす事が
難しい場合が多いのです。
(いや、定型発達の子どもでも難しい課題が多々ある💦)
上に記したように、「遊び」は楽しむためにあるもの。
脳は変化を好み、
それがないと、脳細胞は萎縮したり、
ぼーーーッとしてしまいます。
自己成長と、学びをいつも追求するものなのです。
「○歳になったから、このくらいは出来なきゃ」
というのは、子どもにとって強制的で、
「このままで居られる安心感」をなくしてしまうかもしれません。
先生と子どもとの関係:「遊び」を共有してみる
特に発達凸凹ちゃんは、お部屋に入ったり、
お友達と一緒の事を出来ない場合が多い。
加配の先生に必ず言っていることがあります。
「○○ちゃんが、電車で遊んでいたら、
一区切りしてから、別の事に誘ってください」
「遊びに没頭していたら、同じ事をしてみてください」
「子どもがどこに視線を送っているのかを観てください」
大人から見て、
意味不明な遊びや
摩訶不思議な楽しみ方をしているかもしれません。
でも、必ずそれは、彼らにとって意味のある事。
子どもがどこに興味を持って、どんな心情でしているのか
話がしにくかったら、その行動から読み取るのです。
その為、先生には、
先ず、一緒に作業や彼らが熱中している事をしてみてください、
と伝えています。
ヒントが必ずあるからです。
そして、
「コレ(=加配の先生の事。クレーン現象を見ても、人でなく、物体だと思っている事が多々あると思う)いつも一緒だ」
「コレ、何か面白い」
「気になる」
「使えそう」と思ってもらう事です。
そこで
『コレ、自分の欲求を叶えてくれる』
という認識になってくれば、
こちらを向いてくれる事が少し増えるでしょう。
そこから
「コレ」
→「このヒト」
→「共感してくれるヒト」という繋がりになるのです。
遊びの中で、
脳が「面白い!」と判断したものは、積極的にみようとし、
脳が「失敗だ」と思うとそれ以上やりたくなくなります。
特に発達障害の子どもは
作業にトライしても
失敗したり、怒られたりする割合がかなり多く
そもそもの「成功体験」を積み上げにくい。
だからこそ、
脳に「面白い!、楽しい!」を先ず先に入れる事。
そして、
「成功するまでの、『準備』」を一緒に体感してほしいのです。