宇賀神友弥選手、また一緒に戦えるその日まで
11月18日。浦和レッズはMF宇賀神友弥選手が契約満了に伴い、2021年シーズン限りでチームを離れると発表した。
埼玉県戸田市出身の宇賀神選手は、浦和のジュニアユース、ユースから流通経済大学を経て2010年にレッズに加入。左サイドを主戦場に、浦和レッズのサイドを駆け抜け続けてきた。
宇賀神選手のリーグ戦年度別成績は以下の通り。
10 浦和 26試合2得点
11 浦和 14試合0得点
12 浦和 24試合2得点
13 浦和 31試合1得点
14 浦和 31試合3得点
15 浦和 31試合1得点
16 浦和 26試合3得点
17 浦和 22試合0得点
18 浦和 29試合2得点
19 浦和 21試合1得点
20 浦和 19試合0得点
21 浦和 19試合1得点
今回はレッズ一筋で戦ってきた宇賀神選手と刻んだ思い出を振り返ってみる。ウガのいない浦和レッズは、2022年になった今もなお、なかなか想像できないほどに寂しいけれど。
(以下、本文中の敬称略)
2009-2021
宇賀神友弥の浦和レッズ加入内定が発表されたのは2009年10月だった。流通経済大学4年生だった2009年の時点で特別指定選手としてベンチ入りを果たしていた中、満を持しての新卒加入だったが、ユース時代にトップチームへ上がれなかった悔しさが反骨心となってプロを目指す原動力となっていたのは有名な話。ちなみにユースからトップ昇格を果たした同期には小池純輝、堤俊輔、西澤代志也がいる。
浦和DF宇賀神 成長の糧は反骨心「プロにしなかったレッズを絶対に許さない」(スポニチアネックス 2017年12月配信)
当時のフォルカー・フィンケ監督は1年目の宇賀神を開幕スタメンに抜擢。宇賀神は第2節のFC東京戦で突破からPKを獲得し、浦和にとってシーズン初ゴールとなるロブソン・ポンテの得点を演出した。第15節の京都サンガF.C.戦では長い距離を走り、ロビーのラストパスを受けてプロ初ゴールをマークする。
ルーキーイヤーは26試合2得点と充実の成績を残し、翌年からは細貝萌の後を受けて背番号を3に変更。以降11シーズン、浦和レッズの背番号3は宇賀神友弥の代名詞となった。
いつだってレッズの左サイドは
ルーキーイヤーのフィンケをはじめ、ゼリコ・ペトロヴィッチ、堀孝史、ミハイロ・ペトロヴィッチ、大槻毅、オズワルド・オリヴェイラ、リカルド・ロドリゲスと、様々な指揮官とともに、宇賀神はJ1リーグ戦293試合を戦ってきた。主力としてレッズの歴史を紡いできた。
エル・ゴラッソの「Jリーグ選手名鑑2021」では宇賀神のキャッチコピーとしてこのようなフレーズが掲載されている。
結局サイドに君臨するのはいつも
(出典:エル・ゴラッソ特別編集「Jリーグ選手名鑑2021」)
“結局”。
その言葉に込められるニュアンスとは何なのか。振り返ってみると宇賀神が君臨し続けた浦和のサイドには、いつだって強大なライバルがいたように思う。そして“結局”定位置を獲得し、指揮官のファーストチョイスとなるのは“いつも”宇賀神だった。
ルーキーイヤーの2010年はブルキナファソ代表のウィルフリード・サヌが在籍していたし、以後は梅崎司や両サイドをこなす平川忠亮といった面々とのポジション争いに臨んだ。2015年には柏レイソルからリーグ屈指のクロッサーとして橋本和がやってきた。
8学年下の関根貴大が台頭し、2017年には湘南ベルマーレの10番・菊池大介が加入。その2年後にはキックの名手・山中亮輔が移籍してきた。プロの世界の常とはいえ、宇賀神はいつだって厳しい競争環境に晒されていた。
それでも宇賀神はレギュラーの座を守り抜いてきた。守り抜く、という表現には語弊があるかもしれない。フラットな競争に戻された状態から何度も、左サイドのポジションを獲得し続けてきた。
一芸に秀でる他の選手と比較した宇賀神の強みは、2020年8月に配信された「浦和レッズニュース」(powered by LINE NEWS)の記事「11年目の左サイドバック・宇賀神友弥の持ち味とは」が詳しい。この部分については2020年5月配信の「浦和レッズニュース」(同)において、宇賀神とポジションを争う山中、1列前の汰木康也も言及している。「山中と汰木が理想とする"声"の主とは? ~STAY HOMEトーク《後編》~」
ライバルの存在を刺激にしながらも凌駕し、“結局”、“いつも”、宇賀神は左サイドのポジションに立っていた。だからこそ、ウガのいない浦和レッズは想像がつかないのが正直なところだ。
2018年12月9日
そんな宇賀神の印象的な活躍を思い返してみると、どんな試合が思い浮かぶだろうか。
年イチのゴラッソなんて冗談も浦和サポーターの中ではまことしやかにささやかれていたと思うが、宇賀神がレッズで刻んだ公式戦の通算得点は26。ちなみにホーム扱いの天皇杯も含んだホームゲームでの得点試合は、15戦で14勝1分けという勝率を記録した。
記憶に新しい2021年天皇杯準決勝(セレッソ大阪戦)、キャプテンマークを巻き先制ゴールを流し込んだ2021年のアウェイ柏レイソル戦、横浜F・マリノス相手に久々の勝利を呼び込む先制点を挙げた2018年のアウェイゲーム、プロ初の1試合2ゴールをマークした2012年の川崎フロンターレ戦(ナビスコカップ)などが思い出される中、個人的には鮮やかなボレーシュートで天皇杯優勝を決めた2018年のベガルタ仙台戦を挙げたい。
前年にACLを制したレッズだったが、2018年は開幕直後から低迷。堀孝史監督が任を解かれ、大槻体制を経てオリヴェイラ監督が就任したものの、リーグ戦はACL出場圏外の6位に終わった。一方、リーグ戦終了時点で天皇杯はベスト4に残っており、アジアへの道をこじ開けるためのラスト2試合(=準決勝、決勝)に臨むこととなった。
指揮官・オリヴェイラは準決勝・鹿島戦の前日練習を公開することを明かし、サポーターに横断幕や旗を持参して練習場で自分たちを後押しして欲しいと要請。12月4日の当日は約350人が大原サッカー場で後押しした。鹿島との激闘を制して決勝への切符をつかむと、ファイナル前日の練習場には約800人のサポーターが集結。浦和レッズは間違いなく、ひとつになった。
埼スタで行われた決勝は、前半13分に宇賀神がCKのこぼれ球を豪快に突き刺して決勝弾。それまで押し気味に進めていた試合の趨勢を決定づける上でも大きな得点だった。
ただそこで得た優勝、アジアへの挑戦権という結果以上に、あの2018年の12月はレッズにとって大きな成功体験となったと思っている。
2021年12月12日、19日
2021年のレッズもまた、リーグ戦では最終盤を待たずに上位争いから脱落。クラブが掲げていたACL出場の目標は天皇杯に託される。
All for the ASIA.アジアへ帰る。
正直なところ、特に準々決勝のガンバ戦あたりから、浦和の天皇杯に懸ける執念は他のクラブを明らかに凌駕していた。目の色が違う。プレッシャーのかけ方も尋常ではなかった。選択肢は勝つ以外になかった。
その中で再び頂点に上り詰め、アジアへの扉をこじ開けることができたのは3年前があったからだと思う。クラブもファン・サポーターも、覚悟と自信を手にしていた。完遂した。
そして準決勝のゴラッソで、扉を開く鍵を再びもたらした宇賀神。二度ともなればそれは「持ってる」なんて言葉では決して表現できない。「天皇杯男」みたいな言葉も違うと思う。天皇杯優勝のその先にある壮大な世界へ、レッズを導いてくれた使者を形容する言葉が見当たらない。
浦和を愛して、愛されて
「そして、サポーターの皆さん。一言だけ言わせてください」
「本当によく、衝突しましたね」
「それは、本当にお互い浦和レッズを愛していたからなんだなと、このピッチに立って改めて感じています」
「何回も、ふざけんじゃねぇとか、ちゃんとルール守って応援してくれよとか、何でいつもそういうことばっかするんだって思ってましたけど」
「やっぱり思い返してみると、浦和レッズサポーターって最高だなと、お前ら最高だよって心から思っています」
(2021年11月27日 退団セレモニー挨拶より引用)
2021年ホーム最終戦後のセレモニー。宇賀神は埼玉スタジアムに集まったサポーターに向け、メッセージを贈った。
この日は2021シーズン限りでレッズのユニフォームを脱ぐことになった槙野智章、トーマス・デン、そして阿部勇樹も思いを語ってくれた中、これは宇賀神にしか言えない言葉だったはずだ。
サポーターの(厳しすぎる)声に対して感情をあらわにすることもあった宇賀神は確かに「本当によく、衝突」していた。一方でサポーターがレッズに対してこれほどまでに懸ける情熱というのを一番理解していたのも宇賀神ではなかったか。
2015年公開のドキュメンタリー映画『We are REDS! THE MOVIE minna minna minna』はホーム開幕戦で差別的な横断幕が掲げられる事件が起こった2014年を映し出した作品だった。
当時は太鼓や大旗、横断幕などの使用が自粛・禁止となっていたが、映画内で宇賀神は太鼓無しで声が揃わないサポートに対して、「やっぱり太鼓があった方がいいですよね!」(的なことを)と悔しそうに阿部に向かってこぼしていたことを記憶している。これは他の選手が悪いとかじゃなくて、温度感が違う。
まっすぐで純情で。サポーターの思っていることを代弁してくれて。レッズの良いところも良くないところもたくさんわかっていて。宇賀神からは浦和レッズへの愛がいつも溢れ出ていた。そんなウガは2022シーズン、浦和にいない。
宇賀神友弥は今季、柏木陽介や橋本和の在籍するFC岐阜で新たな挑戦を始める。完全移籍加入に際しては「全てを捧げる覚悟」という言葉を使っている。その覚悟が嘘をつくことは絶対ないことを、私たちはウガと過ごした12年で知っている。
しばしの別れになりますが、必ずまた、一緒に戦いましょう。