鬱病って結構手強いな
最近は落ち着いてマイペースで過ごすことができています。
でも、もう、今回のうつ病発症から1年8ヶ月。だいぶ長いこと、思考を見失って過ごしてしまいました。
ちょっと順を追ってみます。
初期
きっかけとなった暴力沙汰があって、それが見事に隠されたことにショックを受けて発症。なぜなら、このようにあったことが隠される、ということが幼少期にも繰り返されていたからなのだが、それがわかったのは精神科にかかってからなので、この時にその自覚はなかった。
悲しさとイライラが交互に来て、自分の生活や仕事の意義にすら疑いを感じてしまう。
急性期
なんとかやり過ごして、自らのすべきこと、自らの心躍ることに集中しようと環境を変えてみたりして、なんとかなんとか日々を続けようと努力。
努力した結果、コロナ蔓延の煽りを受けて楽しみにしていた仕事が飛んだ。
この日から「お前なんかさっさと死ねばいい」という声がひっきりなしに降ってくるようになってしまう。
私を大切に思ってくれる人の存在があって、私は毎日この声を振り払うことができるが、そのことに必死で他のことができない。ひたすら声を振り払い、なんとか自分のすべきことをしようと心がけていた。必死に引っ越しまでこなしていたが、、、ほぼ5ヶ月ぐらいこの声は続いていた。何度も病院に行こうと思ったが、他者を信頼できる気持ちにもなれず、また病院のイメージが元々悪くて行けなかった。本当に苦しかった。
助けを求める時期
近い人に迷惑をかけているらしいことに気づき、何件か通院してみる。1軒目は持論を信じすぎてハッタリみたいなお医者さんで、2回通ってやめにする。次のお医者さんは初診から的確で、私も自分の状態に納得し、安心して通えそうに感じた。
この後、いろいろなことが起き、この精神科医からカウンセリングを紹介いただき、意味不明の体の痛みが続き、それについては友人にご紹介いただいた鍼級の先生にお世話になった。
寛解期
さまざまな視点から私のことを考えてくれるこの三者に見守られて10
ヶ月たった。今、私も私自身を客観的にみることができるようにだいぶなってきたように思います。それでもまだ、攻撃的な言葉や否定的な言葉には強く反応してしまい、いちにちを無駄にしてしまったりするけれど。
最近とても心癒されたのは、友人ミュージシャンとの電話だ。
元気を出す美味しい食べ物や、脳トレの話。
私たちは誰もが歳をとり、枯れ葉のように土に帰っていく。
その過程に、しなやかに変化できない瞬間も多いけれど、おおらかな優しさに包まれて、抵抗せずヒラヒラと土に帰って行けたらいいなと感じた。
そんなミュージシャンとコラボするライブが12/11(日)にあります!
よかったらお越しくださいね!
踊れる場があるって、本当に幸せです。
ぜひ、お立ちあいいただければと思います。
どうぞよろしくお願いします!
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