うつ病から気づいた奴隷性とタップダンス
こんばんは。
タップダンサーのおどるなつこです。
やっとうつ病からも回復して、2年ぶりに意欲のある日常が戻ってきました。朝目覚めた時に「ああ、今日は何しようかな」と思える。そんな幸せから見放されていた2年間でしたが、大きな気づきがあったのでシェアしたいと思います。
自らの奴隷性に気づく
私は幼い頃に奴隷的な心根を身につけてしまったようです。
それは日常的すぎて意識できていなかったことですが、「褒められるように動こう」「みせしめの体罰には笑ってやり過ごそう」「成果を上げなければ愛されない」このような習慣がいつの間にか身についてしまっていたことに気づくには、こんなにも長い時間がかかりました。
初めて鬱を発症したのはおそらく14歳。けれども当時まだ、うつ病は一般的ではなかったのか、私は別の病気として扱われていました。
14〜15歳、高校時代、21〜23歳、と記憶のない眠ってばかりの時期があります。「さっさと死んだ方がみんなのため」という声が頭に鳴り響く,,,これはこの2年と同様の状態でした。
そういう状態を引き起こしていた根本には、奴隷的な心の動きがあったようなのです。話してみましたので、よかったら動画ご覧ください。
タップダンスのルーツ
私が心を惹かれたタップダンスは、アフリカンアメリカンの人たちが奴隷として異文化の中で暮らす生活の中で、自らの文化をなんとか伝えようと始めた表現です。太鼓の代わりに足音を使ってリズムでコミュニケーションを続けた。このことに私は深く魅せられました。
それは、私も、コミュニケーションに障害を感じていたということなのです。きっと。けれどもそのことには全く気付かずに、音楽的な興味から、私はタップダンスに魅せられていきました。
ダンサーだった私には、ダンスで音楽をできるなんて、魔法のように感じたのです!
30年を経て振り出しに戻ろう
実は今年、私はタップダンスに出会ってから30周年となります。タップダンスに出会って以降、諦めることなく日々タップを踏み続けてきました。
このタイミングで、うつ病になって自らの心を解明できたことは僥倖です。
私は芸能に助けを求め、それにすがって生きてきてしまった。
けれどもここで、自らのルーツをちゃんと捉えられたことで、新たに、芸能にすがることなく相対して、表現として高めていくことができるのではないか?
振り出しに戻ってあと30年!
ということで、ここから30年また精進していこうと決めました。
おばあちゃんになってもなお、チャレンジしていこうと思います。
という決意のもと、2足のタップシューズをオーダーしました!
今ね、かなり金額も上がっており、踊り続ける決意無くしては買えないです。でもそれを決めるのは自分自身です。
POPS & ROCK を歌いながら踊れるようになリますよ!
下手くそな無謀チャレンジは今のうちにお楽しみください。
悪あがき、いくらでもしていきましょう!