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自分の雑音と向き合う。

この7年間。
自分で舞台を制作、創作、上演するようになって色々な事がありました。
そして色々な心境、感情、状態になったが、
その中でも自分の中で育ってしまう「嫉妬」が多くの場合の判断を誤らせ、行動がブレ、そして自分を失望させるする要因であった。
もちろん失望してもそんな自分を甘やかし、撫で回して次へ向う技も身につけたわけだが…
現在は穏やかつ強引なエネルギーに変化してきいる気がしたので、そのあたりを書いてみます。

□「あのようになりたい」の危険。

アメリカから帰国した2011年、僕はラスベガスに住みながらも夜な夜なヨーロッパのダンスカンパニーの映像をYou Tubeで見漁り、なぜアメリカにいるんだろう僕は…
と考えては、また朝アメリカで目を覚ましLUXORというピラミッド型のホテルへ出勤してシルク・ドゥ・ソレイユのショーに出演しいた約2年半を振り返っていた。
そして「尊い経験をしたんだな…」と遅ればせながらじわじわと体感していた。
その体験を生かしてこれから何をしよう。
いや体験なんてすぐに活かせるものではない。

だったら何をやりたいのか。

そう自問自答した僕に、小学生の頃に何度もビデオで見返していたチャップリンとイッセー尾形がフワフワし始めた。

そこにラスベガスで散々憧れたヨーロッパのダンスカンパニーの土の匂いをプラスして…
この土の匂いとは、あくまで僕の個人的なイメージでありますが、特にベルギーやドイツで踊る人達から僕は土の匂いを感じ、強烈に好きだった。今も好きだ。

全てが僕のイメージでしかないが、チャップリンとイッセー尾形と土の匂い。とにかくそんな作品に出てみたい。

当初浮かんではまた,スルスルと何処かへいなくなる幻想のような絵でしかなかったので。そのような作品があるのか、ないのか、そして誰がその作品に僕をオファーしてくれるのか、そんな事を考えていたら面倒になってきて、自分で始めた「ダンス劇」が今も続いている。

踊りだけをやっていた時は世の中がみんなダンサーにでもなったかのように、周りの人すべてが踊る人々になり。あの人みたく踊りたい、この人と同じ舞台で踊りたい、など沢山の願望と残酷な失望が押し寄せる。

ダンス劇を創り始めると、僕の世の中に沢山の作家さんや、演出家や、振付家が出現した。
いつかあの舞台で自分の作品を上演したい。
あんな企画に演出で呼ばれたい。
あの雑誌に載りたい。
あの評論家にインタビューされたい。

「○○になりたい。」が急激に自分を支配して、自分が何者なのか、何を思ってダンス劇を創り始めたのか、そもそも何で踊りを始めたのか。
子供の頃の自分の希望や夢が、大人になった
自分の私利私欲にどんどんかき消されて行って、まるでなかった事のようになっていった。

そしてその事実に気が付く余裕もなく大きな嫉妬を抱える人間になっていった。

▢簡単には抜け出せない嫉妬活動

この頃はすべての作品が誰かに向けられていた。

良い事のように聞こえるかもしれないが、この「誰か」が自分でも誰なのかがわからなかった、そして実在はしていなかったのだと思う。

なんで僕はあの舞台で自分の作品を発表できないんだ、なんでなんだ!
という思いを作品にぶつけてみたり、なんでみんな僕じゃなくあの人の舞台のチケットを買うんだ!なんでなんだ!
という思いを作品にぶつけてみたり。
今現在こうして文章に書いていても、恥ずかしいやら、そんな自分が愛おしやら、いとおかし。

しかし自分の本当の欲求がなんなのかわからない男は、何をやっても欲求を果たせない。作品を創っても、創っても、いつも浮かない顔をして、しかしそんな態度をどこかで「おれ。作家だな。」と思っていたのだろうからなおさら気持ちが悪い。
せめてあの頃の自分を気持ち悪いと思える今を褒めてあげよう。

しかし本当に恥ずかしいのはこの嫉妬活動は40歳になっても続いていたという事。
少しずつ態度に出なくなったり、ここでこんなこと言ったら雰囲気が悪いな。などと、それなりに重ねた経験で自分をコントロールしていたが、中で沸き起こる感情はあの時と全く変わらない「嫉妬」なのだ。

▢嫉妬活動からのフェードアウト


何がきっかけだったのだろう、おそらく何かあったのだろうけど、あまりに今と感覚が違って思い起こせない。
しかし周りに気が付き始めたのだと思う。

周りが変わったというよりは、すでに近くで、遠くで応援してくれている人や、共感している人や、面白がってくれている人がいた事が、やっと視界に入って来たのだろう。

始めた頃は、ウキウキしている自分自身がいるだけで大きな味方を手に入れたようなエネルギーを感じていたが、いつしか存在が不確かなものに憧れを抱くようになり、その対象が実在する人物だったとしても、その人物が僕の憧れる場所にいた時に、何を思い何に充実を感じて、どんな高揚感で立っていたのかは想像の出来ない不確かなものである。
時間をかけて人の気持ちを想像するよりは、『みんな色々事情はある』を念頭に置いて、自分の内面に集中してあげた方が結果的に第三者への尊敬につながるものだ。

今僕は何を尊敬して、何所に向かうのかをほんの少しずつイメージしながらも、日々まずは自分に語りかける。
「今日は何をしたい?」
やらなければならない事と、やるべき事は必ず一致するわけではないが、
今日やらなくてはいけない事を、明後日やりたいと思う可能性がある事をなんとなく感じている僕は、朝起きてやりたいことをする。

今のところ毎日「ダンス劇は続けたい」応える自分がいるので、そこに向かう日々を過ごしている。

が、明日大分に飛び立ち、4月30日に初めて披露する一人ダンス劇の練習をしなくてはいけない本日2022年4月27日。大分での脚本を今朝書き終えたまま、なぜかここで文章を書きました。

でも大丈夫。

4月30日の朝、僕がやりたい事はやっぱりダンス劇である。

皆様もやりたい事が出来る今日であることをほんのり願っています。

ダンス劇作家/熊谷拓明

新作ダンス劇「yasuraka.」2022/7/8-10 @THE HALL YOKOHAMA
特典満載のSPONSORTICKET発売中(~5/31)
一般チケット5/15 発売開始。
https://www.odokuma.com/yasuraka

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熊谷拓明【ダンス劇作家】15歳より宏瀬賢二に師事。2008~2011、シルクドゥソレイユ『Believe』に出演。850ステージに立つ。帰国後は自身のオリジナルジャンル「ダンス劇」を数多く発表。言葉と踊りに境界線を持たない独自のスタイルを確立させた。『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(振付)、ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017『不思議な森の大夜会』(演出)、 めぐるりアート静岡2019参加作品 『近すぎて聴こえない』(演出)、ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020『パラトリテレビ』(出演)、おうちで見よう!あうるすぽっと2020夏『おはなしの絵空箱』(出演)、『ぼくの名前はズッキーニ』(振付)、『染、色』(振付)など。

公演情報やワークショップ情報、過去作品のアーカイブ等↓odokuma.com



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ダンス劇作家『熊谷拓明』
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