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音の前にいる自分、後ろにいる自分

春ですね。

去年の今頃はどうしていたのだろう、とSNSを見返してみたら「小さなことをひとつ」をちょうど作っていた時期だったみたい。

そしてその頃、世間は自粛期間真っ只中でしたね。自分の無力さを痛感した時期だったけれど、そんな毎日の中でも誰かから求められて音楽を作ることができていたというのはありがたいことだなと思います。

このところの1〜2年を振り返ってみると、これもまたありがたいことに誰かから求めてもらって曲を作る機会が多かったことに気付きました。

最近だと、FM802 MIDNIGHT GARAGEの春のジングルも作りましたよ。関西の人は、月曜の夜、すこしだけ夜更かしをして聴いてみてくださいね。

タイアップとしてだったり、楽曲提供だったり、純粋に僕たちodolの作品として作るときと比べるともちろん大変なこともありますが、
そのぶん楽しいことや新たな発見も多いです。

これは最近、また新たに発見したことなんですが、僕にとっての1番の違いは「自分を認識するタイミング」なのかなあ、と思っています。

求められて音楽を作るときは、すでに大まかなテーマが設定されていることが多いです。
それを踏まえて、自分らしく表現するにはどうしたらいいのか、自分ならどう歌うのか、というのを模索していきます。つまり、自分を認識するのは曲を作る前。

例えば、森永乳業さんのコーポレートムービーのために書いた「歩む日々に」を制作した時のこと。
この曲を作る時、事前に「老若男女を問わず、人生に寄り添う」という森永乳業さんの思いを聞きました。
そこでまず最初に、自分の中にも「音楽で人々の人生に寄り添いたい」という思いがあることを認識し、シンパシーを感じたのです。


それから、その感情を少しずつ歌にしていく作業に入っていきました。

そもそも僕の中に「音楽で誰かに寄り添いたい」という気持ちがなかったとしたら、このムービーのために歌を歌うことは叶わなかったでしょう。

一方で、ただodolの作品として作る場合は、
自分が歌いたいことは何かを探す作業と曲を作る作業は同時です。
歌詞が出来上がって、歌の録音が終わってからようやくタイトルをつけるように、作り終わることで、自分を認識できるということですね。

「僕が歌いたかったのは、こういうことだったんだなあ。」と。

新しいアルバム『はためき』に収録されている「未来」や「独り」は、まさしく歌詞を書きおわり、歌を録り、ミックスダウンをしている最中くらいに、やっと自分が歌いたかったことに気づいた曲たちでした。「未来」の一部はすでにあがっているティザーでも聴けるます。見てみてね。

今感じているこの曲たちへの思いが、みなさんに聴いてもらい、反応をいただくことでどのように変わっていくのかも楽しみ。6/9のリリースが待ち遠しいな。

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odol | backyard
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