日本の教育もすてたもんじゃないー資質能力と学びのメカニズムより

ちょっと色々あり、学習論とりわけ小学校の学習指導要領や学習観の変遷について調べている。色々と調べていくと、中教審のご意見番的な立ち位置である那須正裕さんに行きつく。

まだ読み進めている途中であるものの、保育の親戚というよりかなり近い距離である小学校の学習観の変遷を知るということは、保育を考えていく上でも重要であることを再認識した。

10数年前に論文を書いた際、学校組織の論文をリサーチすると保育関係と小学校関係では論文の数が桁違いであったことを記憶している。今も、さほど変わりはないのだろうか。

那須さんの著書を読んでいて思ったのは、教科中心の教科主義/内容主義と、保育にも通じる興味関心に応じた経験主義という対立はおよそ30年~40年前からあり、学力の低下が原因で経験主義はいったん収束していく。

しかし、それがいろんな紆余曲折を経て、経験主義か教科主義か?!という二元論ではなく、資質能力をベースにしつつ知識や技術を培っていく、という方向性に進んでいる、そうな。なるほど。

たしかに、保育の世界では、明確ではないが、子ども主体か?大人主導か?になりがちな傾向はなくはない。それを2014年の中教審で、そうではないですよー、ということでアクティブラーニングが打診された、というもの。

ただ、一般的にはアクティブラーニングアクティブラーニングという言葉だけが独り歩きし、どう教えたらいいのかのハウツーが蔓延しているようにも見られる。

これは悲しい。

那須さんの著書から見ると、大事な事は

「何を知っているか」の時代から、

「何を学ぶか」

「どうやって学ぶか」

「何ができるようになるか」

の未来に生きる子どもたちが、将来にわたって持続可能な資質能力をどう身に着けていくのかを、幼小中高大という縦断的かつ、教科間にわたる横断的に考えていくということ。

これが、これからの学びの新たな姿である。

とりわけ、僕が嬉しかったのは、

2014年の中教審では、従来教科別に部会が立ち上げられていたが、10か月間それはなかった、と。

その理由を、これからの学びを支える学習者である子どもの視点から、「学ぶ」とはどういうことかを根本から考える必要があり、教科や内容を習得するという従来形式の学びスタイルからの脱却、としています(多少、意訳してますが)。

これは、すごいな。

僕らより、はるか雲の上にいるひとたちが、というか現場にいないエライ人たちが、まず子どもの視点に立って考えているということ。

そして、保育者という立場からいくと、保育で大事にしてきた心情意欲態度が、これからの資質能力向上のためには欠かせないという立場を、日本が掲げたこと。

まだまだ時間はかかるかもしれないが、日本の教育も捨てたもんじゃない。

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