本場のたこ焼きを食べさせる男
「なあ、『本場のたこ焼きを食べさせてくる男』って知ってるか?」
「いや、知らない。何それ。長いし。」
「都市伝説なんだけどさ。」
「都市伝説なんだ。」
「最近このあたりで出没するらしいんだ。」
「へえ。」
「この間、俺の母親が遭遇したらしくてさ。」
「はあ。」
「会うなり『本場のたこ焼き、食わねえか?』って言われて。」
「うん。」
「最初は断ったらしいんだけど、結局食べることになったんだって。」
「それは単に、たこ焼き好きが高じておかしくなった人じゃないのか。」
「いや、この話には続きがあるんだ。そのたこ焼きなんだけど、めちゃめちゃ美味しかったらしくてさ。」
「良いことじゃないか。」
「あまりの美味しさに、本場のたこ焼きを他の人にも食べさせたくなっちゃったみたいでさ。」
「まさか……。」
「そう、今俺の母親さ、『本場のたこ焼きを食べさせてくる女』っていう都市伝説になってるらしいんだ……。それが原因で両親離婚しちゃってさ、今は父さんと二人で暮らしてるよ。」
「それは恐ろしいな。あとお前、普通にかわいそうだよ。」
「いや、もういいんだ……。」
そう言いながら遠い目をする友人を、たこ焼きのように丸い夕日が照らしていた。
「…………。」
僕は何も言えず、ただ押し黙るしかなかった。
次の日……。
「本場のたこ焼き、食わねえか?」
僕はまさに、件の『本場のたこ焼きを食べさせてくる男』に遭遇していた。
「いえ、結構です……。」
「いやいや、そう言わずに。」
「あの、今お腹空いてないんで……。」
「いやいや、そう言わずに。」
「えっと、そもそも僕たこ焼き嫌いで……。」
「いやいや、そう言わずに。」
……ダメだ、全く話が通じない。
「すみません!今急いでるので!」
僕は走って逃げた。それも全力で。
「いやいやぁ~、そう言わずにぃ~!」
負けじと、たこ焼き男も追いかけてきた。
妙に俊敏な動きなのにたこ焼きの乗ったお皿が常に水平を保っており、なんとも不気味だった。
「結構ですって!」
僕は叫び、走った。
どうにも僕には、たこ焼き男が人外のナニカであるような気がしてならなかったのだ。
「捕まると死ぬ。」とさえ思った。
3時間後……。
全力で駆動する僕の肉体はとうに臨界点を超え、呼吸にさえ腹を抉るような痛みが伴った。
「ひい、ひい……。もう限界かも……。」
私は精神的にも肉体的にも疲弊しきっていて、かなり弱気になっていた。
振り向くと、たこ焼き男は速度を変えずに追いかけてきている。
「本場のたこ焼きぃ~、食わねえかぁ~!」
たこ焼き男は笑顔で、見せつけるように、たこ焼きをゆらゆら揺らした。
何故だか、僕の目はたこ焼きにくぎ付けになってしまった。
脳が危険信号を出す前に、私の意識はたこ焼きに乗っ取られていった。
いつしか足は止まり、僕は一歩、また一歩とたこ焼きの方へ歩き出した。
たこ焼き男はうんうんと頷き、満面の笑顔でこう言った。
「本場のたこ焼き、食わねえか?」
鰹節がふわふわと踊っている。ソースと青のり、そして仄かなお出汁の香りが漂ってくる。ああ、なんて美味しそうなんだろうか……。
「もう、良いかな……。」
たこ焼き男は僕に爪楊枝を渡した。
僕は黙って受け取ると、たこ焼きに突き刺した。
……ああ、やわらかい。今からこれが、僕の口に入るのだ。
こんなにうれしいことはない。
僕はたこ焼きを慎重に口へと運んだ。
唇の先と濃厚なソースマヨが触れ合って、そして僕は……。
「そこの坊や、お待ちなさい!」
女性の叫ぶ声がした。
僕は我に返り、たこ焼きを、たこ焼き男の口に押し込んで、なけなしの体力を振り絞って声のする方へ走った。
たこ焼き男はすぐにたこ焼きを飲み込むと「チッ!」と舌打ちをして、
「覚えてな!いつか食わせてやるからな!」と言うと徐々に薄くなり、数秒後には完全に姿を消した。
やはり、彼は化け物だったのだ。
僕は逃げることも忘れ、呆然とその様を眺めていた。
「危なかったわね。」
女性はいつの間にか僕の背後にいた。
「あの、ありがとうございました。」
「いいってことよ。それより、この辺りは危ないわ。私の車に乗りなさい。家まで送るわよ。」
「あ、ありがとうございます。」
僕はお言葉に甘えることにした。何より、疲れきっていたのだ。
車に乗ると、ローズマリーの香りがした。
少しきついが、匂いを気にする方なのだろうなと、何も言わなかった。
「体を弱らせてから、心を操りたこ焼きを無理やり食べさせる。あいつのよくやる手よ。今後、気をつけなさい。」
女性は妙にあの化け物のことに詳しかった。
「了解です。にしても、なんでそんなことを知ってるんですか?」
「私ね、あいつと長い間敵対してるのよ。」
「あんな化け物と?」
「そうよ。」
「へえ、すごいですね。頑張ってください。」
「ありがとう。でも、そんな褒められたものじゃないわよ。」
「そんな謙遜なさらずに……。」
そして、車が止まった。
「本当に、今日はありがとうございました!」
僕は、荷物を整理しながら言った。
「ええ、また何かあったら呼んで頂戴ね。」
「ああ。そういえば、僕の友人の母親も、あの男のたこ焼きを食べてしまったらしくて、今大変らしいんですよ。」
「あら、そうなの。」
「あ、すみません今から降りるって時にこんなこと言っっちゃって……。
……あれ、開かない。キー、掛かったままみたいですよ。」
「それじゃあ、あなたの友人には悪いことしちゃうわね……。」
女性がそう言うと、ローズマリーの香りは消え去った。
代わりに、濃密なソースの匂いが、僕の鼻をついた。
「だって、あなたもそんな風になっちゃうんだもの。」
(そうか、このローズマリーはソースの香りを誤魔化すために……。)
そう、気が付いたころには何もかもが遅かった。
「まさか、あなたは、『本場のたこ焼きを食べさせてくる女』……。」
「いいえ。私はそいつらとは似て非なる存在、『本場のお好み焼きを食べさせる女』よ。」
いつの間にか、女性は顔色一つ変えずに、お好み焼きの乗った熱々の鉄板を手のひらに載せていた。
「あの、熱くないんですか……?」
車内にじゅうじゅうと音が響く。
「ええ、熱くないわ。だってこれ、私の体の一部だもの。」
「さあ、あなたの新しい人生の始まりよ。」
そう言うと、お好み焼き女はお好み焼きを丁寧にコテで切り分け、私の口へと運んだ。
「お口あーんして。」
(ああ、今度こそ僕は化け物になっちまうんだ……。)
僕は全てを諦めて、口をあんぐりと開いた。
「あら、潔いのは良いことよ。」
お好み焼き女は僕の口にお好み焼きを突っ込んだ。
「ハフ、ハフ……。」
「どう、本場のお好み焼きは?美味いもんでしょう?」
「ハフ……。ハフ……。ええ、本当に……。」
そうして、僕は『本場のお好み焼きを食べさせる男』になった。
それから数週間後……
僕は小学校に行かなくなった。
代わりに、僕と同じようにお好み焼きの化け物にされた人の通う、それこそ学校のような場所で授業を受けている。
僕を嵌めた女性に連れてこられたのだ。
授業内容はお好み焼き生成学、ニンゲン心理学、都市伝説統計学、と様々。
元は有名な塾講師だった人が教えてくれるので、とてもわかりやすい。
ここに通うようになって数日間は、授業なんて受ける気にはならなかった。
けれども、時間が経過するにつれ、僕はいつのまにか現状を受け入れるようになった。時間が解決した、というよりは、脳が化け物寄りになったと言った方が適切かもしれない。
僕は授業に出るようになり、それが当たり前であるかのように振る舞った。
仲間たちは温かく僕を迎えてくれた。
今日の授業は実習だ。
夏祭りの屋台に扮し、できるだけ多くの人に生成したお好み焼きを食べさせて、きちんと作用するかを試すのだ。
お好み焼き生成学の試験も兼ねている。
僕も仲間の生徒たちも緊張した面持ちで、「うまくできるかな……。」
「どうだろう……。」とひそひそ話し合っている。
僕は「みんな、そんな弱気じゃだめだよ!」と言うと、
メガホンを口に当てて、祭囃子の和太鼓に負けない大声で、叫んだ。
「本場のお好み焼き、いかがですか~~~!」
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