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“俳優 松村北斗”の姿

2021.9.8(水)、映画『ライアー×ライアー』のDVDが発売された。

直前まで購入するか否か悩んでいたが、気付いたら結局購入していた。というのも、同時期に公開された中村倫也出演作『ファーストラヴ』のDVDを買っていないのに、何故松村北斗のDVDを買うのか?倫也さんヲタと北斗くんヲタをバランス良く両立したい私としては二人の間に挟まれて大きな葛藤だった(結局私は『ファーストラヴ』も買うに違いない)。

この映画『ライアー×ライアー』は、私が松村北斗という存在に惹かれた記念の作品であるということもあったが、それより何より松村北斗という“俳優”が気になって仕方なかったのだ。俳優として、どんな顔を持っているのか、本編で見返すのはもちろん、メイキングでも見たいと思ったのが、何よりの決め手だった。



憑依型俳優 松村北斗

初めて『ライアー×ライアー』を映画館で観た時、「これは私が知っている松村北斗なのか?」と思った。当時、まだ松村北斗を“気になる”存在レベルとして認識していなかったため、どのくらい松村北斗のことを理解していたか、自分としても自信は無いが、「これは別人だ」とはっきり思えた。

正直ジャニーズの中で演技をやっている方の中には、日頃のキャラをベースにしたような演技をされる方もいるという印象がある。当て書きのような形の場合もあり、十分自然な演技に感じるのだが、どこか役の作り込み感というところで言うと、物足りなさを感じることもある。

ただ松村北斗はそこをちゃんと作り込んできた感じがしたのだ。と、同時に「ああ、役が憑依するタイプだ」と思った。高槻透が、松村北斗に憑依しているのだ。瞳の色、表情、振る舞い、目線の動かし方、全てが松村北斗ではない。“演じている”のではなく、“別人”という感覚になった。

何故そこまで役が松村北斗に憑依したのか?それは決して松村北斗の才能や感性だけで、できているものではないと感じる瞬間がたくさんあった。

ここでは一部になるが、その姿を紹介したい。



松村北斗によって考え抜かれた高槻透の人間性

松村北斗に演技の才能があること、感性が秀でていることはいろいろなところで言われていることである。と、同時に改めて、才能や感性に頼っていないのが松村北斗の凄さなのである。

松村北斗演じる高槻透は「女癖の悪いクール系モテ男」でありながら、義理の姉である湊が扮するみなにだけ見せる「健気で一途な激甘男子」というキャラクターが対比で描かれている。映画の序盤では表情も感情も見えない透だが、みなと出会うことで、徐々に見えてくるようになる。物語が進むにつれて、透という人物がどういう人物なのかということが見えてくるように細かいチューニングがされているのだ。ここに松村北斗が高槻透という人物を考え抜いた痕跡を感じる。

その痕跡を具体的に感じられるものの一つとして、透の笑顔が挙げられる。

みなと出会った最初の頃は、心の底から好きだと思える人に出会ったことに戸惑いながら、でもその好きな気持ちをなんとかみなに伝えたいという、モテ男であるはずなのに愛情表現に慣れていないように見える。それを感じ取れるのが、透の少し不器用な笑顔である。

私自身も初めて映画を見た時、この笑顔が妙に印象に残った。「松村北斗はもっと自然に笑えるはず…?」と。

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だが、のちに何度か見返すと、不思議なことに物語が進むにつれて、この不器用な笑顔が自然な笑顔へと変化していくように感じた。

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いちばんの大きな変化はみなとの再会を経てから。

みなという存在が自分にとって、どれだけ大切なのかということを透自身が自覚してから、より自然に素直に笑うようになるのだ。

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そして、みなではなく、義理の姉である湊と心が通じてからはより柔らかく、内面にある感情が滲み出るように笑っているのだ。

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ツンとデレを演じ分ける松村北斗だが、ツンもデレも透という人物であることに変わりはない。だからこそ、ちゃんと物語の展開に応じて、透を表現し、透を生かしているのだ。

これを演じきるためには、透の幼少期から抱いてきた感情を考え抜かなければ、できないと感じる。同じような境遇、というのは考えにくい漫画原作のラブコメだからこそ、“高槻透”という人間が抱いた感情や、それ故に経験してきた葛藤を噛み砕き、感情を紐解きながら、自分が過去に抱いた感情や築いてきた価値観と結び付け、自分に落とし込む作業をしっかりと行ったのだろうと思った。

実際にビジュアルコメンタリーで、透を演じる中で松村北斗自身はトマトが嫌いであるにも関わらず、透という男の子はトマトを食べそうだと思ったので、食べたという話をしていた。このエピソードから、自分だったら食べないもの、手を伸ばさないもの、でも演じる役のことを考えると、なんとなく自分とは異なる行動をしそうだと思えるほど、透のことを理解し、透という人格を作り上げていたということだと感じた。

実際に松村北斗はインタビューで役作りについて、下記の通り答えている。

― 湊の前とみなの前とでは異なる二面性のある役ですが、ここまで明確な別の顔を演じることは、大変だったのではないでしょうか。
松村:透が別の顔で湊とみなに接する理由を台本でしっかり理解していたので、そこまで複雑だとは思いませんでした。どちらの透も素直な気持ちと反応であることは間違いないので、思ったより演じやすく、特別に超えなきゃいけない壁のようなものは意外となかったです。透の中にある感情をどれくらい表に出すのか、加減を調整した部分はありました。



松村北斗によって体現されたト書きの余白

台本に台詞以外の行動が書かれているト書き。前後の台詞やその役の人物像をイメージして、どのように振る舞うかは役者の腕の見せ所である。もちろん監督と相談して、の部分ではあるが、“行間”を読み、体現していく作業なのだ。

実際に監督の耶雲哉治さんが“キラーカット”と称する、透が再会したみなに手を振るシーン。このト書きは「バイバイする」という文章しかなかったという。しかし、それを松村北斗は見事に透のそこに至るまでの感情を踏まえ、ただ再会への嬉しさを表現するのではなく、みなという生まれて初めて“好き”という感情を伝えられる存在を渇望する姿を表現していた。まるで自分の人生に光を差し込んでくれるような、救いのような存在として、みなを見ていることを。

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それはこのシーン以外にも、前半にあるみなが透に初めて自分の気持ちを告げるシーンにも言える(ネタバレになるので、ここでは詳細は出さない)。

それまでのストーリーにはない表情や感情が発露されるシーンは現場には大きな緊張感がある、ということを様々な俳優さんの話の中で感じる。

このシーンもまさしくここに該当するのではないだろうか。キスシーンのようなスキンシップを伴うシーンに対して、ファンの方の中には「感情移入してしまうのではないか」「相手のことを本当に好きになってしまうのではないだろうか」といろいろと想像する人が多いかもしれないが、実際はそんなことはなく、繊細な表現が求められ、緊張感の高い現場なのだと思う。だからこそ物語の要になったり、転換点になったりするのだ。

透がみなという存在をどう思っているのか、みなが透という存在をどう思っているのか、お互いの気持ちをまっすぐに素直にぶつける姿を表現するこのシーンがあるからこそ、その後の物語の展開に深みが生まれたと言える。

この映画『ライアー×ライアー』の公開に先駆けて、耶雲哉治監督と松村北斗がラジオで対談をしている。その中でも松村北斗の役づくりの姿勢が垣間見えるエピソードがある。

耶雲監督「俳優部、撮影部、照明部、演出部っていうのがいっぱいあって、部署がいっぱいある。みんなそれぞれの部が、なんか、適当にこう、脚本に書かれていることをやっているだけというよりは、ちゃんとみんながクリエイティブをしてるんだよね。その脚本に書かれていること以外のことも想像しながら、その部ごとにちゃんとクリエイトをしていく。で、そういう意味で言うと、俳優部もただ台詞を言っているだけじゃなくて、監督が言ったことをやっているだけじゃなくて、ちゃんと自分で役を作ってるよね。だから俳優もクリエイターなんだよね。」
松村北斗「すごく合点いきますね、それ。」
耶雲監督「役者っていうのはパフォーマーだけじゃなくて、クリエイティブしないといけないから。クリエイターだと思って、やってもらってると思うんで、実際ね。」
松村北斗「なんかちょっと意識にないところでそういうのあるかもしれないですね。やっぱり。」
(中略)
耶雲監督「松村くんはすごく、こう…ディスカッションが多いなと思ったのよ。で、一緒につくってるっていう感じがすごいしたのね。」
-2021.2.11 TOKYO FM『TOKYO SPEAKEASY』



監督の「OK」に懸ける松村北斗の想い

メイキングの中で出演者たちが耶雲監督からの「OK」に歓喜をする姿が集められていた。難しいシーンへのOKの後には喜びから監督と出演者がハイタッチをするようなシーンも収められていた。

この喜びに溢れた姿こそクリエイティブしている姿である。高槻透という人物について、考えて、考えて、考え抜いて、現場に来る。そして監督や出演者との会話を経て、自分が考えてきたものに着色をし、その場で体現をする。役者たちは自分の中で「これがベストなのだろうか?」と迷いながら演じることもあるだろう。逆に「これだ!」と自信を持って演じることもある。しかしそれが良いものかどうか決めるのは、作り手として指揮を取る監督である。監督がその役者の演技を見て、「OK」と言えば、その演技が作品の一部となり、「NG」と言えば、その演技はお蔵入りとなり、また考え直さなければならない。つまりはその役者の演技への評価なのだ。だからこそ「OK」が出た時の役者の反応というのは、その演技にどこまでの想いを込めているか、パワーを注いでいるかの表れであると感じる。

是非DVDを購入した方にはそういう目線でメイキングを見てみてほしい。松村北斗が一つ一つの演技に魂を込めていたことが伝わるはずだ。



松村北斗は役者としてのキャリアはまだ浅い。でも着実に成長を重ねているように感じる。ドラマ『レッドアイズ 監視捜査班』の際に繊細な演技をすると感じたが、このドラマの前に『ライアー×ライアー』を経験していたということを考えると、合点がいく。少しずつ11月公開の劇場版『きのう何食べた?』の話もちらほらと出ているが、松村北斗は作品を重ねるごとに、葛藤しながらも、自分らしく演じることへの道を着実に拓いていくのではないかと思う。

「壁にぶつかるわけで、笑顔がこぼれるような楽しさではない。結構しんどいんですよ」と前置きしつつも「でもダメだな……って全力で感じられることって貴重だし、それを満喫できているんです」と充実した日々であることを強調する。


映画『ライアー×ライアー』。
ラブコメと言われるジャンルは正直苦手ではあったが、松村北斗という俳優を通して見ることで、物語自体はもちろん、芝居としても楽しむことができた。

DVDを購入した方は是非上記のような観点でも見返していただきたいし、気になった方は手に取っていただけたらと思う。


やはり私は歌って踊る松村北斗より、芝居に没頭する松村北斗が好きかもしれない。



▼DVDの詳細はもちろん、今回紹介したビジュアルコメンタリーのエピソードは下記ページの動画からも確認いただけます。




おけい

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