中村倫也さん、ちょっと私と飲み行きません?Vol.3
この記事を書こうと思っては消して、書こうと思っては消してを繰り返していた毎日の中で、ある日の朝、顧客先へのアポイントに向かうために出かける準備をしていた私の耳こんな言葉たちが入ってきた。
「アスリートはもうそういう思考になってるんです!どんなに厳しい状況でも、プレッシャーがかかる状況でも、ポジティブに前向きに取り組めるんです!」
ほー。どんなに厳しい状況でもか。すごいなぁ。
「そうでないとアスリートにはなれない。アスリートはオリンピックという大きな大会を迎える前にそういう経験を乗り越えてるからオリンピックであっても平常心でポジティブに取り組めるんです。」
これは東京オリンピックに出場していた体操の村上茉愛選手が銅メダルを獲得した際に、池谷幸雄さんが彼女の強さについてコメントされた時の内容である。
そうか、どんな状況でも、たとえそれが自分にとって不利な状況でも、その状況を受け止め、何かしらの形でプラスに変えていく力がないと、そういう経験を積まないとアスリートにはなれないのか、とその言葉が頭の片隅に残った。
と、同時に同じ状況に置かれた時、あるいは同じ経験をした時、その力を身につけられる人と身につけられない人がいる、とも思った。
私は常日頃いろいろな界隈の推しを推す中で、夢を叶える力を持つ人とそうでない人の違いについてよく考える。少なくともどの界隈でも今私が推している人たちは夢を叶えている人たちだ。どんなに厳しく、辛い、報われない時期があれど、その時期を乗り越え、今やその業界を引っ張る存在として輝いている。かつて存在したであろうスポットライトを浴びることのない日々をどう耐え凌ぎ、どう自分を変え、どう乗り越え、自分のやりたいことを、夢を叶えたのか。私は応援しながら常にそこに興味を持っている。
というのも、私自身はそういった耐性を持ち合わせていない側の人間だと自覚している。簡潔に言うのであれば、自己肯定感が低く、ネガティブを極めたような人間だ。とにかく底無しのネガティブなのである。一度ネガティブの沼に近寄ってしまうと、その沼から手が伸びてきて、脚を掴んでズルズルと引き摺り込まれて、気付けばネガティブの沼に溺れている。
自分のコンディションが良ければ、多少のダメージを受けても捉え方を変える余裕ができるのだが、既にネガティブモードになっていると、普通であればなんでもないような些細なことにも過敏に反応してしまう。一度落ちたら自分に起こる全てのことがネガティブに映るのである。不思議なことに。
この情緒不安定は自覚しており、直さねばと思う一方で、自分のこれまでの生き方として、この方法しかわからないというのも現実である。ネガティブモードになり、どん底に堕ちてからこそ考えることや気づくこと、内省することがあり、堕ちたからには這い上がるしかないと、ある種自分を追い込むことでこれまでの困難を乗り越えてきた。
だから冒頭で話したようなアスリートの方々が持っているという、どんな状況でもポジティブに捉える力や、推したちが持っている夢を叶えるために困難を乗り越えてきた力に興味を持つと同時に憧れを抱いている。
そんな私はある日、その力を身に付けるためのヒントとなるような一言に出会った。それはなんとなく取り寄せた1冊のフリーペーパーの中にある言葉だった。
「何事も生きていく上で楽しむ秘訣は、アイデアと根性と思っています。星野源さんの『アイデア』という曲を聞いてもらえばわかると思うのですが、本当に暮らしを良くするちょっとしたアイディアが大事な時代。待っていたって自分の人生は良くならないのですからね。自分の人生を彩るには、自分で工夫をするしかないのです。後は、ネガティブな感度を下げること。ちょっとしたことを必要以上に悪く受け取ることをやめる。僕は、嫌いになるより好きになる方が、能力が高いって思って生きているんです。だから嫌いになるのは自分の力が足りてなかったんだなって思うようにしています。好きになって楽しめるようになる力を自分が得られれば、それが一番なんですよね。そう思って生きています。」
-『Omosan STREET 072』
これは私が推している中村倫也さんの言葉である。中村倫也さんといえば、俳優として実力をしっかりと持ちながらも、なかなか世の中の日の目を見ることがなく、「遅咲き」と言われる俳優だ。ご本人曰く、若い頃にはなかなか売れず、周囲の同世代の俳優仲間に対してネガティブな感情を抱いたり、自分の仕事に対して不満に思っていたりと、「腐っていた」時期があるということも公言されている。その「腐っていた」時期から自分を変える決心をし、その結果、現在の大活躍がある。私から見れば、中村倫也は立派に困難を乗り越え、夢を叶えた人間なのである。
そんな人の口から出る「アイデアと根性」というワードに重みを感じざるを得なかった。待っていたって人生は良くならない、自分の人生を彩るには、自分で工夫するしかない。
自分が置かれている状況に嘆いたり、いつかは良くなるなんて思い続けるのではなく、自分自身が変わり、動かなければいけないということを、それを体現した人からの言葉で教えられたのだ。
と、同時に自分自身の考え方や行動を変える上で、どんな人も気にしてしまうであろう、第三者の目に映る自分の姿。「こんなふうに言ったらどう思われるだろうか?」「こんなことをしたら何か言われるだろうか?」ということ。そんなことは全く気にならないという人の方がきっと少ない。
しかしそこについても倫也さんは述べている。ネガティブな感度を下げて、必要以上に悪く受け取ることをやめる、言ってしまえば「気にしすぎない」ということだ。
倫也さんは自分のことを「いろんなことに気付いてしまうタイプ」といつも話しているからこそ、倫也さんも自分に対する他者の変化等に気付いてしまうはずだ。でもそこを気にしすぎるのではなく、流せるものは流す。必要以上に自分の感情を動かさないのだ。
少し鈍感になり、自分の信じる通り行動してみる。その行動が自分自身を変えることなのか、周囲に働きかけることなのか、そこはいろいろな場合があるはずだが、自ら動くということが大事だと伝えてくれている。その行動が実を結ぶまでは、ネガティブな感度を下げ、鈍感で居続けること、これが実を結ばせるために必要な表裏一体の組み合わせなのだろうと、この倫也さんの言葉から感じた。
私は以前、慣れ親しんだ職場を離れる時に、メッセージとして、顧客を好きになる努力をしてほしいと話したことがある。私の仕事は営業の仕事だったため、顧客との関係性も様々だった。関係のいい場合もあれば、常にクレームが発生していたり、業者扱いされていたり。でもどんな顧客に対しても、諦めてしまったらそれ以上関係性が向上することはなかった。「この顧客もきっと何か考えがあるからこう言っているんじゃないか?」と相手の立場に立って考えてみたり、「何か響くポイントはないだろうか?」と過去のやりとりを振り返ってみたり、そういう思考を続けることで最後にその顧客を「好き」になれたことが何度もある。
きっと倫也さんが言う「好きになって楽しめるようになる力」というのはこういうことなのではないかと思う。
世の中、最初から「好き」だと思えるものに出会える可能性なんて限りなく低い。それでも自分が好きだと思えるポイントを探しながら、好きになるまで、紡いでいくことが必要なのかもしれない。ここ好きかも、あれ、違ったかな、こっちかな?と編み物をしていくようなものなのかもしれない。
そんな思考を繰り返しながら、自分が置かれている状況や環境を捉え、ネガティブな感度を下げると同時に自分に必要な行動を考え、取っていく。
この行動がもしかしたら冒頭にあげた夢を叶える力の第一歩になるのかもしれないと思った。
文句を言うのは簡単。嘆くのも簡単。でもそうしていたって何も変わらない。世の中、言葉として発信したところで変わらないものが85%だと思っている。ということは残りの15%に期待し続けるのか、それとも言葉で発信するだけでなく、自分からそれを変えに行くのか。答えは出ているような気がする。
でもそれをやった時の反応が怖いから、結果が出るか不安だから、そこに踏み込めない。だからこそ「気にしない」力も必要。自分から行動を起こさなければ、と気付く人は多いが、その背景に「気にしない」力が必要だと気付く人はどのくらいいるのだろう。このバランスを取り続けることが、何かを変える、あるいは何かを成し遂げる上で大切なんだと倫也さんから教わった。
「楽しむ」ということは与えられたことに対して楽しく過ごす状態、「愉しむ」ということは自分自身の気持ちや想いから自然と生まれる楽しみを素直に感じる状態を指す。
物事を「楽しむ」だけでなく、「愉しむ」こと。この一歩踏み込んだ思考回路が自分を強くするキーなのではないかと今回学ばせてもらった。
そんなふうに、愉しんで、生きていきたい。
一体、倫也さんはどんな経験から、こんな深い哲学を見出したのか。いつかそんな話を聞いてみたいものです🍻
◆今回のインタビュー掲載誌
https://www.omosan-st.com/backnumber/vol-072/
おけい