徒然なる想い その八〜知識のアップデート〜
科学的な知識というものは、一般的に常に塗り替えられるものである。例えば、かつては光の媒質としてエーテルが想定されており、古典文献ではエーテルという言葉が当たり前のように使われていた。しかし、マイケルソン・モーリーの実験を端緒としてエーテルの存在が否定されてしまったことから、現代科学では光の媒質としてのエーテルを誰も口にすることがない。もう一つ、今となっては思わず笑ってしまうホムンクルス(小人)仮説を挙げたい。これはヒトと全く同じ構造を持つホムンクルス(小人)が既に精子の中に入っており、受精後にホムンクルスが単に大きくなるだけであるという考え方を指す。かつてはホムンクルスの存在が真剣に信じられており、精子の中にホムンクルスを見つけ、そのホムンクルスの中に更に次のホムンクルスを探そうという試みもあったと言われている。勿論、今となってはホムンクルスの存在を信じるものは誰もおらず、たった1つの受精卵が卵割・形態形成が進行する(発生)ことで構造が作られて行くということが常識になっている。このように、科学的な知識というものは数学的な知識と違って永久不変なものではない。アイザック・ニュートンは「我仮説をつくらず」と言ったとされているが、科学的な知識というものは本来全てが仮説である。仮説であるがゆえに絶対的な正しさは存在せず、実験や新たな理論の構築により正統とされていた仮説が正統でなくなることも多々あるのである。哲学的な科学論によれば、このような性質を反証可能性と言う。
そんな科学的知識の変遷の中で最近衝撃を受けたものがある。それは、カンブリア大爆発の意味が変わっていたことと、ピカイアを脊椎動物の祖先であるとする潮流の変化である。
先ずは、カンブリア大爆発の意味がどのように変化したのかということだが、私が初めてカンブリア大爆発という言葉を知った時は
となっていた。しかし、今となっては生物多様性の増加を指してカンブリアが大爆発とは言わず、あくまでも
そうである。すなわち、先カンブリア時代に既に生物の多様性は生まれつつあったものの、軟体組織を中心とした生物では化石として残ることがほとんどないため、古生物学的な手法によってその存在を確かめられないということである。先カンブリア時代に生物の多様化が起こっていたことを示す根拠としては、分子時計により生物の多様化がカンブリア紀の4億年以上前に起きていたと推定されていることと、カンブリア紀の生物が神経系を持ち生物として既に洗練されていることが挙げられている。生物進化のシナリオとしては、次のように考えられている。エディアカラ動物群(先カンブリア末期の動物群で、明確な化石記録としては最も古い)以前に原始的な軟体性生物が既に存在しており、エディアカラ紀を経てカンブリア紀に何らかの切っ掛けで生物体の硬質化が起こった。しかし、この原始的な生物は化石記録として残らないため存在を確かめることができず、我々には恰もカンブリア紀に急に生物多様性が増加したように”見えてしまう”。古生物学という学問が化石という小さな窓領域から過去の景色を見ようとするものであるため、小さな窓領域がないものに関しては過去を覗きようがないのである。そのため、カンブリア紀の地層から多くの化石が発見されれば、カンブリア紀に生物多様性が高まったように”見える”のは仕方ないことなのだろう。しかし、分子進化という新たな手法の誕生などにより、この仮説がいつの間にやら覆されてしまったのである。
次に、カンブリア紀における脊椎動物の祖先がどうだったのかという話であるが、以前はピカイアという脊索動物(今風に言えばホヤなどがこれに当たる)が脊椎動物の祖先として持て囃されていた。しかし、1999年にミロクンミンギア及びハイコウイクチスという無顎類の化石が発見されたことで、ピカイアを脊椎動物の祖先として持て囃す言葉は少なくなったようである。ミロクンミンギアやハイコウイクチスはピカイアよりも1000万年ほど前の地層から見つかっており、且つ原始的な魚類(無顎類であるため、厳密には魚類とは言えないかもしれないが)であることから、こちらの方が脊椎動物の祖先として妥当であるということだと考えられる。ちなみに、一瞬カンブリア大爆発の言葉の定義の話に戻れば、カンブリア紀に既に無顎類がいたということはそれ以前にピカイアのような脊索動物が存在していたと考えることができ、エディアカラ動物群以前にも脊索動物がいたと推測することも可能である。つまり、先カンブリア紀に既に脊索動物が誕生しており、カンブリア紀に入って無顎類が誕生したというシナリオである。こう考えてみると、まだ誰も知らない先カンブリア時代の原始的な生き物にも大きな関心が湧いてこないだろうか。……閑話休題、私がカンブリア紀の生物多様性の話を知った時は一般的に(アカデミックな場では既に変わっていたのだろうが)ピカイアが持て囃されていた時代のようで、この手の話が出て来る時は先ずピカイアの名が出て来たように記憶している。しかし、今となってはピカイアの名は小さく記される程度であり、昔のような特別な存在ではなくなってしまったようである。これもまた時代とともに科学的知識が変遷することの一例と言えるだろう。
以上のように、古生物学の世界でも既に変化していることが数多くあり、驚きを隠せずにはいられなかった。以前身に付けた知識も既に役立たずになっている感があり、専門外の分野とは言え定期的に知識のアップデートをしたいものだと思う。これを機に今現在生息している生物のみならず、もう少し古生物の魅力的な世界(実はカンブリア紀の生物はかなり好きで、特にアノマロカリスなんかは一度この目で見てみたいと思うほどである)を堪能したいと思うこの頃である。
参考文献
1:中村正史 発行、伊藤隆太郎 編集 「月刊 化石コレクション No.2(通巻2号)」 朝日新聞出版(2009/9/20)
2:土屋健 著、田中源吾 協力 「古生物たちのふしぎな世界」 講談社ブルーバックス新書(2017/6/20)