友達の定義 友達って何だろう?
あなたには「友達」と呼べる人が何人いるだろうか。
友達とそうでない人の区分は何なのだろう?
不意に頭に浮かんだこの疑問に
長いこと捕らわれてしまった。
考えれば考える程になんだか曖昧で
線引きが良く分からなかった。
まずはGoogleさんに聞いてみた。
友達とは互いに心を許しあって、
対等に交わってる人。
一緒に遊んだり喋ってるする親しい人、
友人を意味する、とあった。
これを踏まえ、
今までの交友関係を思い出してみたけれど、
今現在に至るまで繋がりのある人は誰も居ない。
Googleさんの回答には2種類の要素があった。
①互いに心を許しあって対等に交わる
また心とさらっと言っているが、
持論では「心」とは精神エネルギー体のことであり、
許し合って交わるとは、例えば水滴が2つあって、
近づくと一瞬で一つにくっつくような
そういった意味合いだろうか。
互いに混じり合いまた二つに戻るような繋がりは、
相当深い絆のようなものを感じる。
ここまでの関係性なら「親友」といっていいと思う。
残念なことに親友と呼べるような
友に出会う確立はかなり低い。
出会えればそれは幸運なことだ。
②一緒に遊んだり喋ったりする親しい人
ほとんどの人はこのタイプではないだろうか。
気楽で気さくでワイワイ集まってみんなで過ごす。
学生の頃は確かにこういった
仲間のようなものに属していたと思う。
言ってみればライトな感じの付き合いだ。
会話も当たり障りないものが多く、
あまり本心はさらけ出さない。
何となく集まっては噂話や流行り物の話し、
共通の話題で盛り上がったりする。
会社勤めになってからも仲間内の飲み会や
バーベキューなどで楽しく過ごした時期もあったが、
辞めてから連絡を取った人はひとりもいない。
その場でその時期だけの浅い付き合いだ。
「友達が居なくて寂しい」と言う人がいる。
でも本当は「寂しいから友達が欲しい」
のではないかと思う。
「孤独」を辛く悲しいことと捉えているからだ。
ひとりで居ることは別に悪いことではない。
自分のために好きなだけ時間を使えるというのは
考えようによってはとても自由だ。
孤独については前に書いたのでよろしければこちらから。
友達が必要ならまずは
何かのコミュニティに所属する必要がある。
例えば学校、部活、習い事、サークル、趣味、
仕事仲間、何でもいいと思う。
他人と一緒に何かの作業をするということが肝心だ。
同じ作業をすることで共通の認識や意見交換などができる。
ネット上でいくら頻繁にやりとりがあったとしても
それは現実の友達と同じではないということを
理解しておかねばならない。
アカウント削除でいつでも消えてしまえるのだから。
なぜそんなに友達を欲しいと思うのか
今の自分には良く理解できない。
自分なりに考えたところ「安心感」
が欲しいのではないかと思い至った。
他の人と同じようなら
無難で心強いと感じるのではないか。
しかし世の中そう優しくは出来ていないみたいだ。
友達だよね、という言葉に惑わされたりして、
自分を傷つけてしまう人も居る。
ネットで知り合ったよく知らない相手と
実際に会ってトラブルになることも増えた。
ネット上では匿名や年齢、
性別さえ偽ることが出来てしまう。
そんな風にまでして友達は必要だろうか?
人間とは集団を構成し、
役割分担を担うことで集合体として認識し
生活するというプログラムが備わっている。
このひとりひとりの役割分担が
信じられないスピードで様変わりしてしまった。
とても便利で手軽な情報化社会になって行くにつれ、
現実の人間関係と実体感を持たない相手とのやりとりを
同一の人間関係と捉えてしまい、
脳内に誤作動が起きる。
現実の知人に表面的な会話しか出来ず、
ネットの顔も性別も分からない誰かに
心の内を打ち明けたりする。
これはどう考えても異常なことだ。
情報化社会で地球の裏側に居る人とも
リアルタイムで会話が出来る。
それ自体とても素晴らしい技術だと思うが、
あいにくそんな遠くに自分の知り合いはいない。
ネットをいくら彷徨っていても
「友達」は見つからないと思う。
現実世界でリアルにフェイストゥフェイスで、
苦労を供にしたり笑ったりケンカしたり
仲直りしたり出来る相手が
「友達」と呼べる存在になるんだと思う。
それ以外はただの知人だ。
自分の中に「友達」だと
思えるような人を思い浮かべてみた。
そしてひとりひとりを思い巡らせてみると、
最終的に1人だけになった。
「友達」は
「愛する人」を見つけるくらい貴重な事なのだ。
何十人も連絡帳にいるわけではない。
「友達」は対等な存在なのだから、
誘いを断ったくらいで離れていかない。
むしろ離れていく人は友達ではないと言うことだ。
自分の中にしっかりと線引きをして
はっきりした基準を持った方がいい。
自分は友達はひとりしか居ないが、
「仲間」は色々いる。
友達と仲間はよく似ている。
時々、友達より仲間の方が気が楽だ
と思えることもある。
楽しくはっちゃけられるからだ。
自分の問題を何も知らない仲間たちと
はしゃぐ事で癒やされることもある。
友達は事情を知っているから
自分に気を遣っているのが分かる。
自分のようなメンタル疾患持ちは
人よりセンサーの感度が高いから
そういうのが分かってしまって
疲れてしまうのだ。
結論は、
友達になりたい相手とは直接会って
話してお互いを良く知り合う必要が
あるということだ。
上手くいかない事があっても話して
伝え合って仲直りするプロセスも大事だ。
そんなに簡単に親しい間柄にはなれないし、
なるためには結構な手間ひまがかかるということだ。
人間関係のより良い構築を目指すには
それなりのエネルギーの消耗が必要なのだ。
自分はもっぱら「孤独」や「ひとり」を
こよなく愛しているので特に不満はない。
自分の手に負えないほど数多くの友達など必要ないし、
例えひとりしか友達がいなくても、
毎日連絡しなくても、1年音信不通でも
「やあ、ひさしぶり」と言葉を交わせる
ひとが居てくれるだけで満足だと思う。
これはあくまで個人的な意見ということで。
感じ方、捉え方は人それぞれなので、
あくまで一つの意見として聞いていただければと思う。
今日も読んでくださった方ありがとうございます。