認知症になった母のこと(その4)
その後また家族会議をして
特別養護老人ホームの入居申し込みをしておこうと言う話になった。
これは申し込み先着順でとても応募が多く、
いつ入所できるか分からないから申し込みだけとりあえずしておこう
といった理由だった。
残念ながら好待遇の老人ホームに入居させる余裕はみんなかった。
そして、特養ホームでは短期宿泊もあるということで、
練習もかねて時々1週間くらいの宿泊を試すことになった。
初めて5日ほどショートステイをして、
帰ってきた母はすごく怒っていた。
「あんな頭のおかしい人ばかりのとこに
なんで私がいかなきゃいけないの!ここは私の家なんだから、
お前達が出て行け!」とこんな調子だ。
いままでの母はいつも穏やかで笑顔で
他人にで大声でお怒鳴ることなどなかった。
別人のようになってしまった母に手を焼き、
同居する家族はみんな参ってしまった。
私もできる限り実家に行ったりウチで預かったりしていたが、
自分の体調もありすべてをカバーするのが難しくなっていた。
特養入所者はみんな認知症を患っているが、
軽度の人もいればかなりの重症者もいるので、
徘徊したり独り言を話す人たちを見て母の目には不気味に映ったようだ。
特養ではデイサービスのように
みんなで歌ったり絵を書いたりお喋りしたりするワークは何もなく、
話す相手が誰もいないらしい。
「一日中テレビ見てるか寝てるだけ」と言い、
自分がそこに入れられるのをとても嫌がっていた。
それでも日増しに母の認知症の症状は進行していった。
デイサービスの人にお金や指輪を盗まれているとか、
嫁が着ているあの服は本当は私のだとか、
孫の新しいジャンパーの首の所のタグに
マジックで自分の名前を書いてしまったり、
姉の事を「あの子は私が貸した着物返してくれない」と言ったり、
被害妄想が酷くなった。
とにかく何でも隠してしまう。
母自身は、「しまっておく」つもりでも忘れてしまうのだ。
汚れた服や下着、食べ残し、ダイレクトメールの数々、
「それはアタシのだから!」とよく言っていた。
何重にも物をしまう。
鞄の中に幾つも小さい鞄やポーチがいれてある。
そういう鞄を3っつくらい抱えてデイサービスに持って行ったりする。
こんなに持って行けないといくら言っても聞き入れてくれない。
自分ではちゃんとやっているつもりでも、
片っぽの靴下や、汚れた下着、老眼鏡二個、使えない携帯電話、
輪ゴムでくくった書けないボールペンや鉛筆、メモ帳や手帳など、
タオルやティッシュ、紙にくるんだ食べかけのお菓子など
ごちゃ混ぜだし必要ないものばかりだ。
まるでマトリョーシカのようにバックを開けるとまたバッグ、
そしてポーチ、開けるとまたポーチみたいになっている。
何を言っても聞かないし多分理解できていないのだ。
田中もなかは読者様のサポートをパワーに執筆活動をしています!よろしくお願いします!