ほぼ毎日エッセイDay20「音」
この部屋は、地上15メートルくらいだろう。
空気が澄んでいる。と言いながらも実は排気ガスや黄砂がいくらか含まれているのかもしれない。しかし僕にはそういうのは1つも分からない。開いた窓から風が忍び込んでくるのが分かる。テーブルに投げ出した脚をひんやりとなぜるからだ。一対の大きな耳は集音マイクでも搭載したかのように色んな音を拾う。色んな環境音が耳元で鳴る。姿かたちの見えない何かが何も考えずに吐き捨てた音だ。幸い、拾う神がここにいて良かったと思っていただきたい。僕は目を閉じる。
音だけが独り歩きして耳元で鳴ると、僕はその音をもとに世界の有り様を想像していくことになる。世界がひどく狭く感じる。花粉症でも患って、10分に1回のペースで鼻を鳴らすみたいにバスが停車するのが分かる。オートバイが段ボールをギザギザ刃のカッターで勢いよく切るみたいに、道路を走っていく。電車がガタンゴトンとレールを踏む音も聞こえる。もし電車という存在を誰も教えてくれずに僕が育っていたら、勤労的な炭鉱夫が石をリズミカルに刻む音にでも聞こえたろうか。あるいは遠い海でうねる白波を想像したろうか。
近くの幼稚園での子供の甲高い叫び声。それは誰かが車のドアを閉める低い音を合図に断たれる。僕は今、伝えたいことを模索しながら書いている。飛行機が空を滑り昇ってく音。ブレーキにオイルが充分にさされていないチャリの停止音が、世界の端っこの方を裂くのが充分に伝わる。名前の知らない小鳥の鳴き声がパラパラと空から落ちてきて、よく通る野太いカラスの声がそれらを受け止める。どこかに繋がれた冷酷で悲哀に満ちた飼い犬がそれらを、唸り、噛み殺す。全てをその下で支えているのは、アスファルトを舐めていく無数のタイヤの音だ。隣の部屋から滲むように対戦ゲームの音が聞こえてくる。それは文字通り違う世界の出来事なのかもしれない。
目を開ける。少し青みが掛かっている。電子レンジの上にある、昨日買った10枚入りの食パンは思っていたよりも賞味期限が短い。毎食パンにしなければ期限までに消費しきれないかもしれない。そして僕はごはん派だ。
今、模索しながら書いている。何か重要な、極めて大事な何かを伝え損ねているような気がしている。いくつかの、誰かからのLINEのメッセージを無視しているというのに。
日曜の午後とはこういうものかもしれない。抽象的な示唆だけが溢れていてその真意を掴むことができないでいる。
世の中には少しも意味のない文章というのがざっと100億は存在していて、それは雨上がりに歩道に貼りついた桜の花びらと似たようなものだ。思わずその光景に目を向けはするが、その1枚1枚をつぶさに観察するものなどいない。誰も彼も新調した春の靴でその上をかまわず踏み歩いていくだけだ。
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文章上手い下手に関わらず、記事の内容如何に関わらず、伝えたいことが有る無しに関わらず、こんなものを続けてきてよく分かった。結局誰も彼も歩いて通り過ぎていくだけなのだ。
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