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活気を取り戻した上野の街には、色んなニオイが立ち込めていた。排水、騒音、ケバブ、香水、行き交うたくさんの人々。それらを混ぜて2日は煮込んだような空気が流動的に漂っていた。僕と彼女と彼の3人はアメ横商店街を右に左へ駆け抜け、シーシャ・バーへと入り込んだ。 店に入る前、雨が降ってくる雰囲気があって、僕は空に手をかざしていた。一滴の雨粒が掌の親指の付け根のふくらみを優しく叩いた気がした。 「雨か」 「ん? 降ってないだろ」友人が空を見上げ、唇をすぼめながら言った。赤いフレームの眼鏡
残暑の蝉たちのひっ迫した鳴き声も収まり、早朝の涼しい風が開いた窓からカーテンの裾を揺らした。今夏の、蝉たちがもたらす死と繁栄の表裏一体的な強迫観念とも、ひとまずお別れの兆しである。朝7時30分には、目覚まし時計が鳴る。プルルルル。壁の薄い隣の部屋からそれは鳴り続ける。まるで、知らない人間からのコール音のようで、僕にはそれを(物理的に)止める手段を持たない。 ひと夏の役目を終えたクーラーが沈黙を纏って僕を見下ろしている。今年も過酷な暑さだった。こんな状況下で最初オリンピックを
9時間前にキャンセルした帰省のフライト予約画面を閉じて、ホームの電光掲示板を見るともうすぐ電車が到着するようだった。ここは都営地下鉄のとある線の端の町。やがて線路のずっと奥の方から6両の電車がやってきた。線路は続くよどこまでも、なんて言うけれど僕らはそうやって線路が途切れる地点の想像を放棄する。誰も知らないのだ。線路の端なんて。先日、御茶ノ水の駅前書店の販促コーナーで買った文庫本だけを片手に、その青い電車に乗り込んだ。著・一條次郎、『レプリカたちの夜』 煙を吐く工場を抱くシロ
生い茂った無数の夏草を叩く雨の音は、とても心地の良いものだ。 静かに心が濡れていく感覚がそこにはある。 ◇◇◇◇◇◇◇◇ 四半期決算の業務を終えた身体が「今夜は早めに休もうぜ」というので、布団にそれを置いてさっさと寝かしつけてやりたいのはむしろ望むところだった。だがしかし、僕は思っていたよりもある程度のことは済ましておきたい人間らしい。襟の少し汚れたカッターシャツを洗濯機に放り込み、下着同然の姿で5分少々のエクササイズをする。風呂に入り、モリアオガエルですら卵を守るためにそん
片方の靴下だけがどうしても見つからない。僕の生活空間において往々にしてよく起こる小事件である。下の階のコインランドリーで誘拐事件に巻き込まれたか、寝ている間に荷物を持って夜逃げしたか。靴下両方同時に消えるなら、失ったことすら気付かないようなものなのに。わざととも思えるくらいに、僕が失ったものを気付かせるようにして相方を残して旅立つ靴下よ。僕らは片方の靴下だけではどうすることもできない。 人生において、失ったものの内、その半分くらいはきっと嫌いな"何か"、だ。案外、僕らのほ
獰猛な蛍の光生活リズムが崩壊してしまったと確信できたのは、どれだけ部屋を暗くし、ヒーリング音楽をかけていても、暗闇の中で天井の火災報知器の輪郭をそっくりなぞることができてしまったからだ。このままむくりと起き上がり、台所に行って熱いコーヒーでも作るか、横たわったままヨガでもして身体的なエクササイズを通した心身の統一および深い睡眠との融解でも目指そうかと悩んだ。 ひとまず後者を選んで「魚のポーズ」を取っていたが、インターフォンの赤いランプがまるで獰猛な蛍みたいに点滅していたために
在宅ワークと外出自粛のゴールデンウィークを過ごしている間に、季節は移ろいでしまった。久しぶりの出社ゆえ、外の陽気に当てられるまでその変化にも気づけていないでいたから、ちょっと驚いてしまった。だから、カチッと線路が切り替わるみたいに、日常のあるポイントで季節はその名前を変えたのだなという印象が強かった。春は劇的に終わりを告げ、初夏を迎えたのだ。記憶のなかに、その切り替えポイントとして思い当たる節を探してみれば、それはちょうど2週間くらい前の雷のひどい夜だったのだろうと感じる。
慟哭のヤフーニュース新卒1年目の仕事が明日で終わりを告げるという。この1年でなにか成長できたんだろうか。午前10時。まだ就業して1時間しか経っていないのに集中力が途切れてしまっているところを省みるに、そんなに成長もできていないのかもしれない。 そうぼんやりと思いながら、ヤフーニュースを開いた瞬間、衝撃的な情報が目に飛び込んできた。 志村けん、死去 え… 絶句した。新型コロナウイルスに感染して闘病中だと先週のニュースで知っていたし、心配ではあったけど、こんなことって…まさか
日曜日、その憂鬱な午後に私は昼寝を試みる。だって眠いから。まどろみが重い毛布となって、憂鬱でありながら優しく私に覆いかぶさる。 それでも私は意識と無意識の間に立って、意識を革靴で踏み固めたり、無意識の方にぶら下がったりしている。だが、視界はグラグラしている。結局、仕方がないので身体を横にする。 フローリングに腕枕をして寝そべり、外を見る。見上げる窓には青空が広がっている。 良く晴れた空にベランダの物干しハンガーが揺れる。物干しハンガーの四隅から伸びるプラスチックの鎖が陽の光を
ドトールで飲むコーヒーの値段は高くて、私は苦虫を噛んだ。そもそもブレンドコーヒーが何をブレンドしているのかも分からないし、アメリカンコーヒーのどこに米国を感じるのかも分からない。違いの分からない、器量の小さい男にとって、エスプレッソのカップは小さい。それでも飲まなければならないのは、どうしてなんだろう? カップの内側に,、地層みたいに線が重なっている。この線は30分前に飲み始めた頃の線。その線はまださっきできたばかり。私は老練な地質学者のように、その積み重なった時間のことを
すっかり乾燥してしまった唇の薄皮をそろそろと剥がしながら、秋の夕暮れを見つめている。そこにはある種の矛盾が生じているような気がする。イチョウ並木が黄金に染まり、紅葉は煌々と燃えている。灰色のコンクリートは暖色の落ち葉の絨毯の下敷きになり、そしてダメ押しとばかりに並木道は色鮮やかにライトアップされる。だけど、そんな色使いの温かさとは裏腹に、街はどんどん肌寒くなっていく。もうじき雪も降ってくるだろう。気づけばもうすぐ11月。 数日前、風が轟々と吹いた日、そこには眠れない夜があっ
怠惰な人間は、冷え固まった決意を持つ。 土曜日、目を覚まして起き上がることもせず、芝生に寝転ぶスナフキン的面持ちで天井の火災報知器を眺めていた。 はて、今何時だろう?たぶん午前10時よりは前の時間だったと思う。壁にかかるキャプテン・アメリカの盾のデザインの時計は、電力不足なのか正確な時間を刻んでくれてはいない。針は16時40分を刺している。随分と進んでいる。 だけど、隣の小学校のチャイムがさっき鳴ったこと、太陽の昇り具合、満たされた睡眠時間から推察するに午前10時頃であろう
サザンカが並ぶ坂道を登りながら、妙な気持ちでその日あった出来事を思い出していた。時刻は深夜。というよりもう1,2時間もすれば太陽が地平線から顔を出すであろう、そんな折。 たとえば、タイムカプセルを開くと、十余年もの間プラスチックケースに閉じ込められていた、思い出とも呼べるか分からない代物が出てくる、その時の複雑な気持ちだ。 学級通信、宅習ノート、固まって得体の知れないものへと変貌した何か。 家に持って帰るのをめんどくさがった誰かが入れた、役に立たない道徳の教科書。
太陽がその年最後の仕事を済ませ、西の地平線へと沈んでいる。年に数回しか会えない実家の愛犬の散歩を買って出た僕は、尻尾を振るそのダックスフントを連れて堤防を歩いた。相も変わらず短い脚で一生懸命に歩き、時に疲れたといってその場に突然座り込むその小さい毛むくじゃらに翻弄されながらも、ぎゅうっとリードを握り締めた。なんだか変わらないとは言っても確実に眉毛に白髪は混じったし、生命の躍動を具現化したようなあの軽快な走りもあまり見せてくれない。彼女は半年後には13歳を迎える老犬で、その逃れ