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2019/1/6の日記~サザンカ、卵の殻、自惚れオリオン~

サザンカが並ぶ坂道を登りながら、妙な気持ちでその日あった出来事を思い出していた。時刻は深夜。というよりもう1,2時間もすれば太陽が地平線から顔を出すであろう、そんな折。

 たとえば、タイムカプセルを開くと、十余年もの間プラスチックケースに閉じ込められていた、思い出とも呼べるか分からない代物が出てくる、その時の複雑な気持ちだ。

学級通信、宅習ノート、固まって得体の知れないものへと変貌した何か。

家に持って帰るのをめんどくさがった誰かが入れた、役に立たない道徳の教科書。
 埃被ったそれらを手にすると、空気に触れると色を変え弾ける化学薬品のように、様々な記憶が思い起こされた。不思議なもので、よく覚えているものだ。
 クーラーの無い教室で暑さに耐えていると、汗がノートの上に落ちて汚い字が滲む。その滲んでいく瞬間とか。
下校時間をうっかり過ぎると、校門で構えた先生達が、さっさと帰してくれればいいものを小一時間説教を始める。彼らは積極的に矛盾を教示してくれる生き物なのだと、感謝しながら塾への道を急ぐ。
バレンタインのチョコへのわずかな期待を、早朝のよく冷えた机の中に抱いてみたり。

お約束のように、「大人になった自分へ」みたいな手紙も存在する。大人になる、とは子どもの頃の夢を同時多発的に潰していくか、あるいはひとつずつ叶えていくことだろう。卵の殻を割るより容易く潰してやいなかったかなぁ、と苦笑いしながら、手紙は一度だけ読んで丸めてゴミ箱へ捨てた。

そういう良い思い出とも、良くない思い出とも判断しがたい出来事はさておき。これだけ蓄積された時間は、問題を解決させることはなく、より曖昧な状態にして手放すよう唆してくるだけだ。

それでもやっぱり、この日あった出来事は、しばらく僕の心を掴んで離さないであろう。というのも、もう会うこともないと思っていた人々と再び友達になることが出来たのだから。冷えた指先を温めようと、かじかんだ両手を擦ると一瞬だけ、てのひらが思い出したように指先まで血を通わせる。そうやって、ふと、だが確かに思い出すことがある。その昔、僕らはよく一緒に遊んだし、喧嘩した。あぁ、たしかに友達だったんだな、と。それは、妙な気持ちなのだ。

西の空に大きくオリオン座が見えていて、主張の激しい中央の三つ星が燦燦と瞬いている。オリオンは、自惚れた狩人で、東の空から昇ってくるさそり座を恐れているらしい。彼の傲慢を打ち砕いたのは、さそりの猛毒だけだったからだ。
かく言う僕自身も、東の空を背にして家路を急いでいる。
ようは朝帰り、まだ寝ている家族をどう起こさないように玄関を開けようか思案しながら、息を震わせ頭上の星を眺めたわけだ。

P.S.
新年を迎えてもうすぐ1週間ですが、今年もなにとぞよろしくお願いします。

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