
ここでも起こった土佐の自由人に対する権力を持つ者の謀殺・NHK朝ドラらんまん・龍馬と同じ
らんまん 第17週「ムジナモ」 (85)
牧野は東京大学出入りを禁止される。
これはデジャビューだ。
土佐の高知出身者は既存のチャンネルやルートを辿らず、
いきなりメインステージに立つ者が偶にいる。
それを支えるのは、真に自由な発想だと私は思うが、
土佐の高知はそういう風土なのだろう。
龍馬は後藤象二郎に土佐藩船夕顔の中で、大政奉還(たいせいほうかん)を盛り込んだ8つの策を提案した。これが船中八策といわれる。
後藤はこれを前・土佐藩主山内容堂(やまうちようどう)に進言し、容堂が15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還を建白し、これを慶喜が受け入れ、
10月14日に政権を朝廷に奉還した。
龍馬はその1ヶ月後の11月15日、33歳の誕生日に京都の近江屋(おうみや)で暗殺された。
龍馬暗殺には諸説あるが、私は薩摩藩暗殺説だ。
中でも、西郷隆盛の考えと指示だと思う。
西郷は、薩摩の実力を誇示しながら、
江戸政権後を見据えて、
薩摩の日本政治を誰が左右するかの位置を考えられる地位と立場にいた。
龍馬の成した薩長同盟で、
ほぼ、明治維新(当時はその名前はまだない)の流れは確定していた。
もう、龍馬は用無しか、薩摩の都合のいい手先になるべきというのが、
西郷の考えだった。
西郷は得体の知れない龍馬の潜在能力を
封じたかった。
翻って、
らんまん 第17週「ムジナモ」 (85)
牧野は東京大学出入りを禁止される。
ここでも起こった土佐の自由人に対する権力を持つ者の謀殺・NHK朝ドラらんまん、
このドラマでいう田辺は、
小学しか出ていない牧野の、あまりにも飛び抜けた才能に驚愕し、
できれば、なんとか取り込みたいと考えていたし、
政治的地位もそれができると考えていた。
しかし、龍馬同様、牧野もそんな思惑には頓着しない。
純粋にあるべき世界に挑むだけだ。
それが、田辺の逆鱗に触れ、彼の権限で、
東京大学出入り禁止になる。
これは、多くの生物学者にとっては「死」を意味するが、
土佐人から言わせれば、
龍馬のように暗殺は未だされていない。
ここに、牧野の時代背景と、行動分野が含んだ運があったのかも知れない。
行動分野とは、
龍馬は国の権力そのものであるのに対し、
牧野は、生物学という、よほどのことがない限り、
関係者の生物学的生死逃走までには至りにくいという事情があったと、
筆者は推察する。
竜馬と同じ