77年目の8月6日に想う事
1945年8月6日8時15分、人類史上初めて原子爆弾が広島に投下された。それから77年後の8月6日を迎え、原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げ、今もなお苦しんでおられる被爆者やご遺族の方々にお見舞いを申し上げます。
私は広島に育ち、幼少期より平和学習の名の元、平和についての教育を受けて育った。広島で学生生活を送った者は一様にこの教育を受けるので1945年8月6日8時15分と皆答えられる。そして8月6日は特別な日という感覚がある。広島に育ち、広島に住む人々は大体こうだ。
77年目の今日も、平和記念公園をはじめとして平和について想いを馳せる活動が繰り広げられている。私は毎年、平和記念式典に参列しその後は平和公園内で一日を過ごして、いろいろな活動に参加したり、話を聞いたり、またそれらの活動を眺めていたり、思いにふけっていたり、大体そんな感じである。そして、毎年違和感を覚えるのである。
私の感じる違和感は、8月6日に想いを馳せる平和が限定的なもので独立したものであると感じるからだ。確かに8月6日は特別な日であり、戦争のない恒久平和について考えるきっかけになる日ではあるが、その日限りというか、その後につながっていると感じられない。つまり、1945年8月6日とウクライナ侵攻は同軸であり間違いなく現在も起こり続けている事象なのであって、8月6日に想いを馳せた平和は現在のウクライナに繋げなければならない。
そして次なる違和感は、被爆者やご遺族の方々、またはその近親者ではない我々も、その当時の被爆の惨状を訴え、二度とこの様なことが起こらないように祈り、発信するばかりだ、ということだ。被爆者の方々はそれで良いと思うし、もちろん核兵器の影響、惨状などは必ず伝え続けなければならない。しかしそれと同時に何故、広島と長崎に原爆が落とされたのか?それに至る経緯は?そもそもその戦争は誰が何の目的で始めたのか? 何でこんなことになったのか? ここまで考えなければ再発防止を訴えることはできないと思う。つまり歴史認識が必要ということだ。
日本の軍部による開戦に至る経緯や、日本も同じく使用を目的とした原爆を開発していた事実を鑑みると、必ずしも手放しで核兵器の被害だけを訴えることはできないと考える。広島で行われている平和教育に足りない部分であり、日本の歴史教育ではかなり消極的に伝えられる部分である。原爆死没者慰霊碑に刻まれた”安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから”という碑文の主語は誰か?ということである。
私は息子、娘にしっかり伝えていこうと思うが、広島で、全国で平和について活動している方々、今まさに学んで活動している学生達には是非、ぶつ切りにされた平和を訴えるのではなく、昔も今も変わらず繋がっている争いと、対極にある平和とをひとまとめに考えてもらいたいと切に願う。
小田