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元世界王者同士、サーマート・パヤクアルンとソット・チタラダの対談(2023年)~Youtube”มอสทะเล Mos Tha-lay Channel”からの翻訳

元プロボクシング世界王者(WBC世界スーパーバンタム級王者)で、ムエタイではルンピニー4階級制覇の名選手である、サーマート・パヤクアルンがホストとなり、過去のムエタイの名選手との対談する、Youtubeチャンネル、”มอสทะเล Mos Tha-lay Channel”では、サーマートとソット・チタラダ(元WBC世界フライ級王者)の対談も行われている。

これは読者の方から「ソット・チタラダはどうしているか?」と質問を受けてネットで最近のチタラダの動向を探していた時に見つけたもの。対談が行われたのは、2023年で1年ほど前の映像になる。ムエタイ時代、ボクシング世界王者時代のことなど、17分ほどの短時間の動画だが2人で楽しく語っている。完全な翻訳ではなく、意訳も含むが、ここで内容を紹介したい。

มอสทะเล /  สด จิตรลดา เป็นแชมป์โลกที่ไม่เคยต่อยมวยสากล แต่ติดอันดับโลก
Mos Tha-lay Channel  /  ソットチタラダ~国際式ボクシングの経験がないのに世界ランキングに入り、世界王者になった”(文中にも出てくるが、これは正確ではない)2023年6月7日公開

※サーマートのコメント(細字)、チタラダのコメント(太字)で記しています。

皆さん、しばらくぶりです。長く更新をしておらず、どこへ消えちゃったのかと思われてたかもしれません。このチャンネルでは、色んな人へインタビューをしてまいりましたが、今日、また、特別な方のインタビューができることになりました。今回は、ソット・チタラダさんです。

サワディーカップ。俺なんかインタビューしてもつまらないよ(笑)

こいつは、なかなかインタビューを了解してくれなかった(笑)そうそう、私とチタラダは、小さいころは何度も戦った。9歳、10歳くらいからだったでしょうかね。はじめは、私は5戦目、チタラダはデビュー戦だったかな。チタラダはムエタイの戦い方も全然分かってなかった。

サーマート・パヤカルン氏、芸能の仕事も長く、トークも上手

俺は8人兄弟の2番目、ムエタイをしたら家の手伝いをしなくて良いというから、自分から進んで始めた(笑)でも、やってみるときつくてきつくて。家の手伝いのほうが良かったと思った。

ソット・チタラダはタイが産んだ8人目の世界王者

そして、我々は5回か6回ほど戦ったのかな。それから、お互いにルンピニーのリングにも上がるようになった。チタラダはムエタイは何試合やった?100戦くらいやった? 

よく覚えてないよ。あんまり興味なくて、しっかり記録もしていないんだ。100戦くらいじゃないかな。

誰と戦った来た?我々の同世代は有名選手はそんなにいなかった気がする。

(ーーーここで、その頃に戦った選手の名前がずらっと出てきますが、選手名が聞き取れず、省略します)

そしてボクシングに転向して、世界王者になった。チタラダはずっとムエタイやってて、デビュー戦でいきなり世界戦やって、チャンピオンになっちゃったんだから、すげえやつだと思った。

いやいやデビュー戦じゃないよ(笑)アマチュアでアジアゲームに出て、3試合くらいやってからプロに行ったの。そこで3試合くらいしたらランキング入ったから、もう世界チャンピオンに連絡して交渉してたと思うよ。

(ーーー実際は5戦目で韓国で張正九のライトフライ級のWBC世界王座に挑戦し敗退、8戦目の再挑戦でタイでWBC世界フライ級王者ガブリエル・ベルナル(メキシコ)を下し、世界王者となった)

そうなの?私はずーっと、チタラダはムエタイからボクシングに転向したデビュー戦でチャンピオンになったと思ってたよ。

世界王者時代のサーマートとチタラダ
お揃いのトランクスはメコンウィスキーのロゴ入り

初めはバンコクで試合しなかったからかな?アマチュアでは、アジアゲームのファイトマネーが3000バーツ、うわ、こりゃアマチュアはやっとれんと思ったよ。そしてプロに行った。それでもプロボクシングは20試合くらいしかしてないよ。いや、もうちょっと、大体、25試合くらいだったかな。

(ーーー実際はチタラダ氏は、31戦~26勝4敗1分のプロ戦績)

そうそう、我々がバンコクでムエタイの試合したころは、まだ体重は40キロだったかな。アランヤプラテートとかウボンラチャータニーでも戦った。夜に試合して、いきなり明日の朝も試合だと言われる。40年前か、カンボジア国境あたりの街だったか。チタラダは負けたらお父さんか、家族に怒られていたな。バンコクのリングだともっと厳しくて、トレーナーが選手を殴っているのも普通だった。

ファイトマネーはどうだった?ソンポンさん(プロモーターと思われる)から幾らもらったの?

ファイトマネーはムエタイの時は7万バーツとか、ボクシングでは外国の試合だと100万バーツ、120万バーツあったかな。タイ国内だと40万、50万バーツとかだった。(84年頃で7万バーツは70万円、86年頃で100万バーツは600万円)

その頃の100万バーツだと、かなり多いよね。

ソンポンさんもしっかりファイトマネーをくれるけど、色々と経費など請求されることが多かったよ。

私もソンポンさんと契約して2年くらいチタラダジムで練習していた。86年、87年くらいの、世界チャンピオンを陥落したころ。タイでは1か月みっちり練習して、敵地に乗り込んだ。(87年5月にジェフ・フェネックに4回KO負けでWBC世界スーパーバンタム級王座陥落)

ちゃんと練習してなかったんじゃないの。サーマートが試合したのは、オーストラリアだったね。

当時は減量方法もしっかりしてないし、大体でやってた。タイ人の性格か、(面倒くさがってか)みんな最後の3‐4日で一気に落としてた。

ムエタイでも、5‐6キロ一気に落としたら結構きついよ。ボクシングは1か月かけてゆっくり落とさないと。世界王者の頃は、トレーナーと協力して少しずつ落としてしっかりやった。

終始リラックスした様子のソット・チタラダ氏

チタラダが引退したのはいつ?

90年かな。プロボクシングは7‐8年やりました。ファイトマネーで土地を買いました。農地、そして分譲住宅(ムーバーンと呼ぶ、分譲住宅が数棟集まったもの)

昔はジムの寮で一緒に寝て、朝それぞれ走って、夜は一緒に練習したよね。ご飯も一緒に食べて。夜の練習終わったらそれぞれ、遊びに行ったり。

俺はそんなに遊びに行かなかったよ。

チタラダは、遊びに行くでもジム会長やスポンサーと出かけることばかりだったよね。大人とばかりだったと覚えている。私は同年代の友だちと遊んでた。それぞれのスタイルでした。

次の質問、ムエタイ、ボクシング通じて誰と戦った時が一番ダメージがあった?

18‐19歳の時、バイクで事故にあって、半年練習できなかった。それから試合したら、初回から結構もらって。初めてKOされてしまった。

チタラダは練習はすごく真面目だったね。

他のことにも興味ないから、練習ばかり。やりすぎて、脚が痛くなって座れなくなったり。立ってるのもきつかった。

当時のムエタイ選手で嫌いなことが2つ、1つは減量、もう1つは薬を飲んで死んでしまうこと。(もしくは、虫下しを飲むこと)

薬(虫下し?下剤?)は飲むと気持ち悪くなって、それで何度も吐くくらい。その辺で吐いちゃってちょっと匂ったり。

最近の薬はそんなきつくないみたいだね。飲みやすいらしい。

(ーーーー直訳すると「死ぬ薬」と言っているが、何の薬か確認できず。内容から推測するに、虫下しの薬のことかもしれない)

ところで、最近のムエタイ(主にONE チャンピオンシップのことと思われる)は3ラウンドのものが多いみたいだけど、どう思う?

観てるほうは楽しめると思う。ファイターにとっては、ボーナスも出るし良いですね。俺は5ラウンドのムエタイのほうが好きです。ムエタイはシラパ(芸術)とよく言われるけれど、やっぱり5ラウンドないとシラパにならない。長丁場の駆け引きなども含めてのムエタイです。

もう今のムエタイは違うね。昔のスタイルの芸術としてのムエタイはもうなくなりつつあるのか。今のムエタイ(主にONE)は、3ラウンドだけで、ファイトマネーがいいよね。

KOされる時は一発で寝てしまう。痛さも感じないという人もいるけど、たくさん殴られても倒れない、最後までやる選手もいる。グローブも柔らかいもの(従来型のグローブ)ではない薄いMMAグローブでダメージも溜まるし、危険だよ。

(インタビューは)そういったところかな。タイの8人目の世界チャンピオン、ソット・チタラダでした。今更、こいつにインタビューするのかと、この企画には驚いた。チタラダは、私と誕生日も近い。61歳になったかな。

そうそう。12月で61歳になります。

OK、今日はありがとうございました。チタラダ、またの機会に会いましょう。サワディーカップ

最後はタイらしく、ワイ(合掌)でお別れ

※サーマート氏は62年5月、チタラダ氏は62年12月産まれの同い年だそう。この”มอสทะเล Mos Tha-lay Channel”のサーマート氏の対談は、ムアンチャイ・キティカセム氏、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション氏も登場しており、今後も紹介していきたい。


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