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ムエタイ軽量級の"童顔の暗殺者"サタンムアンレック・ペットインディーアカデミー

サワディーカップ👊👊(某サイトで、2021年11月23日掲載したものをリライト)

ムエタイの有名選手で、フライ級で圧倒的な実績を誇った、サタンムアンレック・ペットインディーアカデミー選手(別名・サタンムアンレック・ヌンポンテープ)と話す機会がありましたので、簡単なインタビューと合わせて、彼のことを紹介したいと思います。

インタビュー時(2021年11月)のサタンムアンレック

サタンムアンレック・ペットインディーアカデミー選手は、ムエタイ最高峰・ルンピニースタジアムのチャンピオンを2回獲得するなど、この10年間、タイのムエタイ界の軽量級を引っ張ってきたと言えます。

他のムエタイ有名選手と同様、幼少からムエタイを教え込まれた彼は、故郷のウボンラチャータニー県のリングで選手活動を始め、その後、バンコクのリングに進出しました。

ウボンラチャータニー県のデビュー戦のファイトマネーは、150バーツ(500円)だったそうです。そこから、300戦(自称300~400戦)のキャリアを積んできました。

これまで、回転力のあるヒジ攻撃で、数々の対戦相手を下して来ました。これまでムエタイと国際式ボクシングを合わせて、12本のチャンピオンベルトを獲得しました。

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ムエタイファンにとって、サタンムアンレック選手の印象的な試合として、2020年のペットサマーイ戦がよく取り上げられます。左ヒジを相手の顔面にカウンターで決めて、何度もダウンを奪い、最終的に完全にペットサマーイ選手をノックアウトしました。この試合は2020年のタイの記者クラブ年間最高試合として選ばれ、サタンムアンレック選手は表彰されました。

彼の全盛時のファイトマネーは1試合10万バーツ(35万円)以上で、コロナ禍前は、年に12試合をこなすこともありました。さらにファイトマネー以外の獲得賞金もありました。

10年前(2011年)に日本に遠征した際に、WINDY Super Fight vol.8にて大田原友亮選手(リングネーム・ユウ・ウォーワンチャイ)を判定で下した試合では、勝利者賞100万円を獲得したそうです。

しかしながら、コロナ禍以降は試合の機会も減ってしまいました。再開したムエタイイベントも無観客試合(テレビファイト)の為に、ファイトマネーも半額程度に抑えられています。今年(2011年)は9月にブリラム県で1試合をこなしただけでした。

その9月の試合は、若手のペッシラー選手にまさかの判定負けを屈してしまいました。初回に相手のヒジを鼻柱の根本に喰らってしまい、呼吸もままならない状況で試合終了までフルラウンド戦い抜きました。現在はサタンムアンレック選手は、鼻の治療の為に療養中で、再始動は2022年の年明けとなる見込みです。

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一時期、彼は国際式ボクシングのリングにも上がり、WBCアジアライトフライ級チャンピオンになり、大阪で京口紘人選手のWBA世界ライトフライ級王座に挑戦したこともあります。

国際式ではWBCアジア・ライトフライ級チャンピオンだったサタンムアンレック

京口選手との試合では高い防御能力を見せましたが、判定負けで世界王者には届きませんでした。この試合を通じて、日本のボクシングファンも彼を知ってるのではと思います。

京口戦は12ラウンド判定決着

国際式ボクシングは京口戦が彼にとって最後の試合となりました。ムエタイと並行してのボクシング選手活動はなかなか大変だったようです。

ボクシングでは、12戦を戦い、11勝1敗という戦績でした。「もう少し時間をかけてボクシングに取り組んで、キャリアを積んだらまた代わった結果になったかも」との感想でしたが、ボクシングに未練はないようでした。

それに2~3年前の彼のボクシング挑戦時は、彼のプロモーター(ペットインディージム)が、ミニマム級でWBC、WBAの2人の世界王者を抱えていました。(当時はWBCワンヘン、WBAノックアウト)

サタンムアンレック選手は、ペットインディージムのムエタイ部門の華でもあり、ボクシングに一時期挑戦させたものの、ボクシング部門が2人の世界王者で充実しているのもあり、大阪での世界戦で見切りをつけたのか、長くは続けさせなかったようです。

内山高志選手に挑戦したムエタイの強豪、ジョムトーン選手(内山戦の敗退後はボクシングは引退)に通じるところもあります。

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ムエタイについては、これまで戦った300戦の中でも、ルンナライ・キアットムー9選手が最も強敵だったと言います。ルンナライ選手とは、5度対戦し、1勝4敗だったそうです。

その1勝がちょうどタイトルマッチで、WMO世界ムエタイチャンピオンの座につくことができました。

好敵手だったルンナライ選手は既に引退し、現在はシンガポールのジムでトレーナーをしているようです。サタンムアンレック選手も、引退後は、同じようにトレーナーとしてシンガポールや日本など海外のジムで稼ぎたいとも話します。これまでの選手の実績もあり、トレーナーとしてもミットを持った経験もあり、充分海外でのトレーナー活動も可能ではないかと思います。

ムエタイの現役選手の傍らで、サイドビジネスとして、奥さまと一緒に飲食店経営にチャレンジしたこともあったそうです。タイで人気の焼肉ビュッフェ(ムーガタ)のお店を二店開きましたが、開店後暫くしてコロナ禍となり、維持費を考えて半年ほどで経営から手を引いたそうです。

奥さまは、名物美人ワイフとしてムエタイファンの中では有名で、サタンムアンレック選手の試合時にリングサイドから大声で叱咤激励する姿は、テレビやSNSでも紹介されています。奥さまはムエタイ好きの一家に育ち、幼いころからムエタイファンだったそうです。

美人妻とWMOチャンピオンベルトを巻いたサタンムアンレック

サタンムアンレック選手は「16歳から本格的に戦い始め、現在は29歳となり、身体のダメージもある。もう長くはできないと感じているが、家族の為に稼がないといけないし、残り少ない現役生活を悔いのないよう燃焼させたい」と、年明けの復帰に向けて、コメントしています。

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一時期、選手の合間にトレーナーとしていて活動していたロンポージムでの写真

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個人的には、彼のボクシング挑戦について、3年など時間を掛けて専念したらどうだったのだろうと思います。しかしながら、ムエタイで見せる躍動感のある攻撃は、ボクシング挑戦時には鳴りを潜めていたので、やはりムエタイが彼の主戦場なのでしょう。

普段は優しい顔ですが、試合中は残酷なまでにヒジ、ヒザ攻撃で相手を打ちのめします。アメリカやメキシコのボクサーのニックネームで”ベビーフェイスアサシン(童顔の暗殺者、このニックネームは、元世界王者のマルコアントニオバレラなどで有名)”というのがありますが、サタンムアンレック選手を見て、まずそのニックネームが思い浮かびました。

YOUTUBEで、彼のKO集や、年間最高試合のペットサマーイ戦も公開されているので、是非、見てみて下さい。

※追記~~結局、2022年年明けの復帰戦の話はなくなり、サタンムアンレックは、そのまま引退してしまいました。ペットインディープロモーションは、彼の引退に際して、高額な退職金(報奨金)を提供しました。サタンムアンレックの鼻のケガは深刻だったようで、それが引退の直接原因です。この記事のインタビュー後も、何度も手術を受けたようです。


↓ ↓ ペットサマーイ戦

↓ ↓ サタンムアンレックKO集

↓ ↓ 日本の情報番組、News every 出演時の映像(至ロンポームエタイジム)

↓ ↓ ロンポームエタイジムのHP


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