絡み合う写真表現とコスト
以前に書いた記事「ありのままの写真なんて存在しない」が軽くバズって、たくさんコメントをいただいた中で「もしかしてこういう価値観なのでは?」と感じたことを記事としてまとめる。
デジカメ世代とアナログ世代の価値観を、「表現」と「コスト」の2軸から比較した話。それから、本来は「表現→コスト」が「主→従」となるところ、逆方向の影響もありそうという話。など。
デジカメ世代の価値観
この議論の前提として、作業量・金銭面での「コスト」と、自然か作為的かという「表現」という独立した2軸で捉える。
デジカメ世代にとっては、自然かつ基準にしやすい写真として「撮って出し」が与えられるので、「わざわざコストをかけてレタッチするのだから、作為的な表現を追求して当然だよね?」ということを暗黙の前提にする。つまり、デジカメ世代の方が作業コストと作為的な表現の相関が強いものと捉えるという仮説である。
でも実際には左上や右上の領域に該当する写真もある。前の記事でも紹介したように、カメラ機能で一発勝負する多重露光は左上に位置するだろう。
本来は人の視力で捉えられる筈のない景色を、HDR合成なんかを駆使して自然に見える写真として仕上げるRAW現像は右下に位置するだろう。世の男性が化粧に騙されるみたく、素顔に見せる厚化粧みたいな現像テクニックだってあるかもしれない。
フィルム世代の価値観
作業せず撮って出しJPGが手に入るデジカメと比べて、フィルム写真には現像作業をしないと写真が手に入らない。この意味で、左側の「コスト:小」は存在しない。より作為的な表現を手に入れるために増える作業コストはあるだろうけれど、自然な表現であれ現像にはそれなりの手間暇がかかる。
現像作業には人の手技が入り、基準となるような撮って出し画像を想定することもできないため、「ありのままの写真なんて存在しない」主張はより自然に受け入れられやすいのかなと思う。
そして、フィルム世代の方がデジカメを手にしてRAW現像する場合に、もともと手技でやっていたことがツマミで出来るのだから、むしろ抵抗なくレタッチを受け入れるんじゃないかと想像する。つまり、フィルム世代の方が作業コストと作為的な表現の相関が弱いものと捉える。
表現が主でコストが従
「やっぱり私は自然な表現が好き」というコメントを下さった方もいた。目指す「表現」に正解はなく人それぞれ違っていいので、反論ではなく意思表明だと受け取る。遠慮なく自分の理想を貫けばいい。
私の主張は「表現のため必要ならばレタッチを否定する必要はない」というもので、当然ながら「私は撮って出しの表現が好き」という人の価値観も認める。お互いに好きな表現を追求すれば良く、好きな表現が違う相手とも矛盾なく共存はできる。誰かの趣向へと改宗させる必要なんてない。
目指す表現を手に入れる目的に対して、手間暇かけてレタッチするかどうかは手段でしかない。表現を手に入れたい欲求がコストを超えれば行動に移す。あくまで「表現は主でコストは従」という話である。
技術革新などでコストが下がると挑戦する人は増える。私自身も、フィルム現像は敷居が高くてできないけれど、デジタルになると作業コストが下がるのでRAW現像に挑戦できた。
コスト→表現への影響もある
従だと思っていたコストが、主である価値観に影響することもある話。
絵画の歴史を紐解いても、フェルメールが使った青色の絵の具は当時メチャクチャ高価で、「高価な絵の具を惜しみなく使うなんてブッ飛んでやがるぜ!」という意味合いからの評価もあったとか。貴重が故に憧れが投影されていた青色の絵の具も、コストが下がった今や表現としてはとっくにコモディティ化している。でもやっぱり、最初にやり遂げたフェルメールの凄さは後世に残り続けている。
同じような話は写真や映像の世界でも繰り返されているだろう。ムーアの法則に従いコンピューターに計算させるコストが下がったから、素人でも映像のカラグレができるようになった。スマホのフィルターアプリも開発されて、素人でもそれっぽいカラグレができるようになった。その結果、猫も杓子もTeal & Orangeで溢れ返って食傷気味になったのが2年くらい前だった。それでも改めてオリジナルとされる映画を観ると凄みがある。
デバイスの影響もある。スマホ視聴で大量に消費されるから、埋もれないようにインパクトがありコントラスト強めの写真が好まれる側面もある。環境の影響により人々の趣向が左右され、コンテンツの表現へと影響する。次に来るのは8K映えかもしれないし、HDR映えかもしれない。
好きな表現がマイブームだっていい
確固たる「自分の好きな表現」という軸があるようで、意外と足元が不安定な「砂上の楼閣」であることは意識する。技術コスト、表示デバイス、流行から常に影響を受けている。
それでもやっぱり自分の好きな表現を追求したい。それが絶対的なものではなく、2021年現在のマイブームとして残し続けて、まさに「アルバム」のように見返しては「こんなの好きだったなぁ」と振り返るのも一興だろう。
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