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【読書感想文】母という呪縛 娘という牢獄

こんにちは。

滋賀医科大学生母親殺害事件の被告人と面会および書簡でのやり取りを重ねた女性記者が紡ぎ出したノンフィクション。

報道では到底知り得なかった母と娘の異様な関係。

なぜ娘は母を殺害し遺体をバラバラにし隠蔽するという凶行に走ったのか。

本を読み進めるに従い、母と娘2人っきりの歩みが重く心にのしかかってきます。


本著の仮名をそのまま用い、感想を記載します。
娘:あかり 母:妙子 となる。

娘を国公立医学部医学科に進学させることに異様なまでの執着を見せる母親と、医師に憧れながらも早い段階で困難であることに気づきどうにか自由な人生をともがきながら、母親から逃れられなかった娘。

何度も家出を試みたものの、私立探偵を雇うなどあらゆる手立てを使って家に連れ戻されていたという事実に驚きました。

ー私と母のどちらかが死ななければ終わらなかったと今でも確信している

察するに余りある。

彼女には父親がいたが、小学校6年生の頃に別居することになった。
仕事が表向きの理由であったが、実際には妻と一緒にいることに耐えられなかったためだと父親はのちに語っている。

ここから娘と母親2人だけの生活が20年近く続いていく。

特に母親に関していうと、精神的にも2人だけで生きてきてしまったのだろうと思った。

私の家庭も親戚関係や他者とのつながりが薄かった。
父か亡くなる少し前に「家族4人だけで生きてきてしまったから」と言っていたことが忘れられない。
必要最小限の単位で人と関わらずに生きることが必ずしも悪いとはいえないが、人間関係は狭まれば狭まるほど歪な執着・澱んだ世界を作り出しやすくなる。
ほんの少しでもその世界にいない誰かの目や意見が届くというのは非常に大きい。その世界にいると常識が歪んでおかしくなる時がある。
それくらい、人は脆いし危うい。

あかりと妙子にはずっと2人しかいなかったように思う。
もちろん妙子の祖母や叔母、あかりの恩師や父、友達など彼女たちに関わる多くの人間たちはいた。
しかし、妙子は「よくできる優秀な娘、それを産み育てた私」という対外的なイメージを作るために、嘘を塗り重ねていく。
時には自分が下書きを作成した手紙を直筆させ祖母に出し、時には作文の代筆を行う。あまつさえ、合格していない大学に「合格した」とあかりに嘘を言わせる。

そうして「本当の自分たち」を知っているものは2人だけになってしまい、どんどん彼女たちの世界は閉鎖されていく。

彼女たちの世界は、家と、近所のスーパーとフードコートだった。


妙子がどれだけあかりの医学部進学に執着していたかは本書を読んでいただきたいが、判定が悪ければ太ももに熱湯をかけ、偏差値が足りなければ足りない分だけ鉄パイプで殴打するという凄惨な「罰」をあかりに与え続けた。

9年の浪人の末、医学科への進学を断念することとなり、あかりは看護学科へ進学し、新たな道へ歩みを進め始める。
大学生活で手に入れた「普通の生活」に輝きを感じ、「普通の母と娘」になれた悦びに浸るあかりの生活に暗雲が垂れ込めたのは、看護学科への進学条件として約束していた「助産師になる」という目標気現実になりそうにないとわかったあたりからだった。

あかりが進学してから、勉強のサポート(という名の監視)が不要となった妙子はすこし社交的になった。一方で暇な時間はスマホゲームをして潰すようになる。
あかりは妙子を孤立させまいと、休みの日はできるだけ共にすごし、旅行も計画してたくさんの場所に行った。

母にどれだけの仕打ちを受け、常に叱咤されても、割り切れない感情。
とてもわかる気がした。
どれだけ憎くても、いなくなってほしい存在でも、優しい時も昔はあって、どうやったって親子なんだ。

親子、とりわけ母と子というのはとても関係が危ういように思う。
愛情と執着はそもそも紙一重で、自分の体から生まれてきて生まれてからはしばらく1人ではなんにもできなくて、それこそ四六時中共に過ごして育ててきた子供に、執着を持つなと言われても難しいのではないだろうか。
もちろん子供は所有物ではないのだけど、対象に所有し名前をつけることで愛情はいっそう深まるし、名前をつけて育てていくうちにその対象を「所有している」と誤認してしまうのはやむを得ないように思う。
だからといってもちろん、子供を所有物とみなすことが許されるわけではないが、大なり小なり多くの家庭で同じような問題があるのではないだろうか。
一般的には子供が巣立つ、大きくなる時に自分の気持ちに折り合いをつけるのだろうが、それがうまくいかないと最悪の事態に結びついてしまうことがある。

かくいう私も、一時期は母からの執着を感じて強く反発していた時期がある。
母は私の人生に極端に何かを強制することはなかったが、私の人生と彼女の人生がずっと交わっていると認識されていた気がして怖かった。
私は家が好きだったので小さい頃は母にベッタリで、母親も人付き合いをしないタイプだったため、それこそ休みの日は母と過ごすことが多く、母親にとっては私はずっと「そうであってほしい」存在だったのだと思う。
でも私には私の人生があり、彼女には彼女で生きて欲しかった。

母は他界したが、私は彼女が死ぬまでずっと、一緒に生きてあげられないことを申し訳なく思い続けていた。
そして、今も思っている。これも一種の呪縛であろうと思う。


あかりは限界を迎える。

自分は手術室看護師になりたい。母はなんとしても助産師にしたい。(助産師にしたいというより、約束を守らせることに執着しているようには思えた)
母親から連日送られてくる叱責のメッセージ。
2人で楽しい時間を過ごせたと思っていた旅行も、母親から無駄だったと言われ、隠していたスマートフォンを粉砕され、あかりの心は壊れた。

そして事件が起きる。

2人の人生が失われてしまった。

ー私と母のどちらかが死ななければ終わらなかったと今でも確信している

死ななければ終わらなかった。殺さなければ、どちらかが死ぬまで一生続いていた。
こんなにも逃れようがない苦しみがあろうか。

一審判決を受けて裁判長の判決文を読み、頑なに認めていなかった殺人を認める陳述書を書いたあかり。殺害に至るまでの経緯や心情を慮るその言葉に真実を語らねければならないと感じたためだという。

彼女はいつかまたこの社会で、新たな人生を歩み始める。
本書により、彼女の長年の苦しみや痛み、若き日々が失われた喪失感が多くの人間に理解されることを祈ります。


それではまた。


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