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【読書感想文】わたしを離さないで

いつか読まなければ、と思いながらなかなか手をつけていられなかった本。

洋書に苦手意識があり先延ばしにしてしまってました。
洋書の独特の言い回しが読みづらくて苦手でした。とはいえ原書で読める英語力は無く、いくつか読み進めているうちになぜか抵抗無く読めるようになりました。(翻訳者さまに感謝)

さて、そんな経緯もあり、やっと「わたしを離さないで」を読むことができました。

素晴らしい物語は、いつも私に静かで深い思考の時間を与えてくれます。
こちらの作品を読んだあともしばらくいろんな思考が溢れて止まらなくなりました。

⚠️以下、物語の重要な内容に触れておりますので未読の方はご注意ください!


物語は「介護人」キャシーが、自身の生い立ちを第三者に語る形式で進んでいきます。
彼女が語る物語には、少しずつの違和感がちりばめられており、物語を追う私たちは少しづつ気がつきます。これがただの青春群像劇ではないことに。
「ヘールシャム」とは、「提供」とは、「介護人」とはなんだろう。

はじめに感じたことは、とても不思議な感じのする文章だなということでした。
物語そのものの設定が不思議であり不気味であるというところに、文章の不思議さも相まって、
なんだかずっとふわふわとしていて、寂しい感じがして、なにかの映画でみた北欧の深く暗い森が心にずっと浮かんでいました。


物語は、キャシーとその友人であるトミー、ルースの関係性を主軸に進んでいきます。
彼女たちは、臓器提供のためだけに生まれてきた命で、「ヘールシャム」という施設で青春時代を過ごします。
長年、トミーとルースはお似合いのカップルであり、キャシーとトミーは良い友人関係でした。

最終的にルースは「提供」後にトミーとキャシーを残してこの世を去ります。
世を去る前、ルースは自身が二人の間を邪魔していたと詫び、ルースの死後、トミーとキャシーは心を通わせ結ばれることになります。
トミーの提供が始まってから、トミーとキャシーは「ほんとうに思いあっているカップルは提供を先延ばしにできる」という噂を信じ、ヘールシャムに度々訪れていた謎の「マダム」の元へたどり着きます。

そこにはヘールシャムの恩師であるエミリ先生もいました。
そこでエミリー先生から自分達の存在の意義について、ヘールシャムとはなんであったのかが語られることになります。

ヘールシャムでは生徒たちに多くが語られることはありませんでした。
彼女たちは使命を明確に知ること無く、しかしなんとなくそれに気がつきながら、日々授業を受け、絵を描き、友人と語り合い成長していきます。

将来は自身の臓器を他人に提供する未来があるだけ。明確には知らされず、なんとなく気づき、そしてそのときが来たらそれを受け入れる。彼女たちはそのような教育を受けてきたのです。

物語の最後でエミリ先生は、臓器提供のためだけに生まれた子供たちを人道的で文化的な生活を与え良い人生を送らせる目的がありました。それまで同様の命たちは人間として扱わることさえなかった。ヘールシャムはほかに比べて「よい施設」であったはずだと彼女はいいます。

ここでルーシー先生の話を。
キャシーたちがヘールシャムにいたころ、ルーシーという若い教師がおり、ルーシー先生は生徒たちが「教わっているようでなにも教わっていない」ことに苦々しさを感じていました。
そしてある日の授業で、将来の夢を語る生徒に対し、「あなたたちはスーパーで働くこともないし老年もない。臓器提供のために作られた存在であり、将来は決定されている。」と告げ、最終的には施設を去ります。

興味深いのはここで生徒たちが大きく混乱したり傷ついたりせず、ルーシー先生が言ったことそのものにはそこまでの関心を寄せなかったところだと思います。
彼女たちはそうやって教育されてきたんだと改めて感じるシーンでした。そして関心を寄せたとしても彼女たちには何をする術もなかっただろう、とも感じました。


生まれた瞬間から運命が決められている命。その運命を本人たちに教えるべきなのか。
定められたその瞬間まで人間らしい生活を送ることに意味は、価値はあるのか。

ルーシー先生は物事できるだけ完全な形で生徒に教えるべきだと主張し、エミリ先生は、教えたとしたら生徒は全て無意味だと思うに違いなく、豊かな子供時代を築くことはできなかったと考えた。

いずにしても残酷で、とても一概に答えが出せる問題ではない。
直感的には、ルーシー先生が正しいように思った。
しかし、もしかしたらそれは、自分が苦しくなりたくないからなのかもしれない。自分が正しくありたい、そのようなエゴの形かもしれないとも思う。
一読目においてはエミリ先生がひどく利己的に思えた部分もあった。
自身の経験からこれがあなたたちの幸せ、と決めつける姿に違和感があった。
それでも、ひどい環境での生活を強いられるクローン人間に心を痛め、せめて豊かな子供時代を、ただ臓器提供をするためだけの不完全な人間ではないと思ってもらえる人間になれるように、という思いから活動をすることは並大抵の精神力でできることではない。

実際にキャシーから語られるヘールシャムの思い出はとても色彩鮮やかで、ヘールシャムに育った誇りをところどころから感じる。

私は思う。人は思い出で生きていくことができる生き物だと。

少し話が逸れるが、「ひとりで死ぬのが怖い」という独身女性からの悩みに対して、有名人の誰かが、「子供がいても配偶者がいても一緒に死ねるわけではないから死ぬ時はみんな一人である」と回答しており、少し的外れな気持ちがしたことを思い出した。
おそらく相談者の方は、誰かを愛し慈しんで、家族を築いたという思い出なく、一人の人生を一人で送って死んでいくのが怖い、とおっしゃってるのではないのだろうかと私は思った。

その気持ちはとてもわかる気がした。
人は、昔の温かい記憶を大切に生きていくことができる。思い出は自身を形成する一部になって、誰からも奪い取られることはない。
キャシーにとってはヘールシャムで過ごした日々こそが、大切な記憶で自分の重要な部分の一部だったのだ。

それを作る場を与えたエミリ先生のしたことは、やはり素晴らしいことであるように思える。

そして、私たちにとってこれは人ごとではない。
私たちは、誰しも明日の命を約束されていない。
死ぬ日がわかっていようがいまいが、私たちはいつか必ず死ぬ。
どうやってその時まで生きていくのか。

壮大な何かではなくても、温もりがあるキラキラした何かを少しずつ集めて自分の記憶にして、たまにその宝箱を開く目を細めるような、そんな人生を送りたいとこの本を読んで思った。


私がこの本を読んでもう一つ思ったのは、これは「空想の物語ではない」ということだった。

社会の大きな渦の中で「仕方がない」という理由で、なんらかの理不尽を強いられている人たちはこの世の中にたくさんいる。
日本の歴史においても、身分制度を強要され、社会不満を国に向けさせないための矛先にされた方々もいます。生まれた時から逃れられない理不尽な運命に搦め取られた命たち。

運命の外側にいて利益を享受する人たちは、彼らのパーソナリティを、深く知りたいとは思わない。
どのように子供時代を過ごし、恋をして、苦しんで、亡くなったのかを知りたくはないのだ。
蓋をしてどこか見えないところに置いておいてしまいたい。
自分や、自分の大切な人の命が優先で、そのために「犠牲になってくれる」命たちに感謝、いや正しくは畏れの感情を抱きながら、関わりたくないと願ってしまうのだ。

たとえ知ってしまったとしても、自分達とは違う、仕方がないと目を瞑り、温かいベッドで眠る。

それがわたし。

改めて、それに気づかされた本でした。

わたしたちは物語が進む早い段階で「この子たちは臓器提供のためにいる子供たちなのでは」と気づきます。
しかし、キャシーの口から語られるヘールシャムの暮らしには、わたしたちからすれば多少の違和感は複数あれど、先生がいてすこし面倒な友人がいて、気になる男の子がいて、普通の人間の暮らしのように思えます。
ルースって面倒な女だな、なんて思いながら、ロストコーナーの話をほほえましく切なく思いながら、この子たちはでもいつか提供をしなければならないのだな、気の毒だな、と思いながら読み進めていくのです。

最後にエミリ先生から語られる話のすべてが、この本をはじめから最後まで読み続けてきた自分に向けられている言葉のようで、わたしは胸をえぐられたような気持ちになりました。

彼女たちの少しおかしな生活を知って、運命を知り、それでも「気の毒に」と思って、
どこかで自分の周りの話ではなくてよかった、と思う。

自分ではなくてよかったと思ってしまう気持ちを私は止めることはできない。
しかしだからこそ、できることがあると最近思うことがあります。

人間の歴史が始まってから、人間は多くの失敗を重ねてきました。
史実には目を覆いたくなるようなものが多くあります。
その一つ一つを知り、このようなことを繰り返してはならないと強く思うこと。
心から、自分の大切な人がこんなことに巻き込まれる今の世界ではなくてよかったと噛み締めること。二度と繰り返してはいけないと強く思うこと。

歴史から学ばせていただくこと。それの重要性をとみに感じます。

二度と繰り返してはいけないことは、私たちは経験してはいけないんです。
だから、経験から学ぶことはできません。歴史から学ぶしかありません。

そういえば、高校生のころに同和問題を授業で学び、「授業で教えるからその部落が特定されたり噂になって、いまでもその区域に住んでる人が被害にあったりする。教えない方がいいい」という感想を書いたことがあります。
ものすごく真面目に授業も聞いていたし、感想文も誰よりも真面目に書きました。素直にそう思ったのです。
それを読んだ社会教諭が別のクラスで「このような臭いものに蓋をするような考えをする人がいるから差別はなくならない」と憤慨していたと後日聞きました。

そんなことをふと思い出し、歴史を学ぶというのはとても重要であり、とても難しいことであるなと感じます。
おそらく、その当時の私には想像力が足りていなかったのだろうと思います。
失敗を繰り返さないために必要なことは、歴史に学び、想像力をもって過去と未来を見据えること。私はそう思います。


とてもたくさんのことを考えさせていただいた本でした。

考えにどんどん火がついていってしまい、物語の本質から逸れてしまった読書感想文になってしまった気もしますが、とりあえず読んで思ったこと全部書いてみました。

また時間を経て読んだ時に、違うことを思えそうな、味わい深い本です。

それではまた〜




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