大人は子どもを、ぞんざいに扱っていい
先月、甥っ子の幼稚園に代理でお迎えに行くと
担当の先生から、甥っ子が食べられないと言うものを「少しでいいから食べてみよう」と勧め、頑張って食べたけど2種類だけ残しました。という報告を受けた。
大したことではないのかもしれない。
でも、今まで先生方が少々荒い“指導”をしていても特に反応することはなかったのに、その日はどうしても気になってしまい
本人が嫌がっていても、食べるように勧めるんですか?
それは園としての方針ですか?
と、質問してみた。なるべく落ち着いて、静かな声で。
「そうですね・・・食育の一環であり、自信にも繋がるので」「本っ当に、すごくすごく嫌で、というような場合はしませんけど」と少し困ったような回答に
自信・・・とは、どんな自信ですか?と重ねて問いかけた。
要は、苦手だと思っていても意外と食べられた。というときにそれが自信に繋がる。という内容で
とても納得はできないけれど
あくまで保護者代理という立場上、それ以上は追求せずに帰宅した。
食育かぁ。食育って言ったなぁ・・・と残念な気持ちを抱いて。
食育と言うのなら
嫌がっているものを食べるよう促すのではなく、自分から食べてみたいと思うように工夫することや
目の前にあるお米や野菜が
どれだけ人の手を、時間をかけて今自分の目の前に存在しているのか
お肉もお魚も、動物たちがどう生まれ育ち、殺されているのかを知り
循環する生き方を、生命が循環することの大切さを学ぶこと
そこから、自然と食事や自分自身が生きていることへの感謝の気持ちが湧き出るような教育を、食育というのではないだろうか。
あまりに嫌がる子には無理に勧めないという部分も、
なぜそこまで嫌がる様子を見せなければ理解してもらえないのか
「食べたくない」と伝えるのも、とても勇気がいることで
我慢して誰かに従うよりも、自分の感覚で、自分の言葉で断る能力の方がずっと大切なことなのに。
子どもは漠然と「大人が正しい」と思う。
子どもから見た大人は、体が大きく言葉でも言い負かされる驚異的なもの。
まして「先生」と呼ばれる絶対的な存在である大人に
「少しでも食べてみよう」と勧められるのは、たとえそれがどんなに笑顔だったとしても、威圧感があるのではないだろうか。
そんなもの、「いい子」でいたい子どもがどうして断れる?
断ると、口に入れない自分は「悪い子」になってしまう恐怖心から仕方なく食べる子が多いのではないか。と私は思う。
今回の件だけでなく、この園に限った話でもなく
先生は子どもの将来の幸せに繋がる教育をしていると心から言えるだろうか。卒園時に、小学校に順応する子どもを作り上げることをゴールとしている人も多いのではないだろうか。
これだけ色々な情報をいくらでも自分から取りに行ける時代になっても変わらない、我慢を美徳とする教育現場での抑圧的な指導。『現場が一番遅れてる』と言われるのは、こういう所だと改めて思う。
受け止めてほしい、そのまま。子どもの言葉を。
受け入れられないときは、脅しや戒めではなく一人の尊厳ある人として向き合いその理由を話せばいい。
大人が言う大人目線の「大丈夫だよ」も、いらない
少なくともこの園に通う子どもたちは、専門知識と高い志を持つ幼児教育のプロのもと、卒業までの数年という長い時間をかけて『大人は子どもをぞんざいに扱っていい』ことを学ぶのだろう。