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#0141 狂言の世界に学ぶ:「型」はジブンにアプリをDLするためのOSだ!
皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
梅雨を通り越して真夏のような暑さになりましたね。
暑いのが苦手な私はちょっと疲れ気味です。
冷たいものを飲んでシャキッと今日も頑張りたいと思います!
先週の土日に娘と過ごしているとき、
たまたまNHKプラスを開いていたら、
野村萬斎さんが「現代に生かす狂言の技と心」と題して
NHKアカデミアという番組で講義をされているのを見つけました。
娘が日本舞踊の体験教室に行きたいと言っていたタイミングなので、
日本の伝統芸能について勉強してみようと思いNHKプラスを再生。
伝統芸能の知識ゼロの私でも、狂言の世界で継承されてきた伝統を現代にも生かせることが多いなと感じました。
特に彼が紹介していた『型』『構エ』『運ビ』という三つの基本要素が印象的で、これは、コンピュータのOSとアプリケーションの関係に似ていると感じました。
現代は「型にはめるな」とネガティブに捉えられがちな「型」について、
「型を破る」ためにもむしろ軽めに型にはまっても良いのでは?とも思いました。番組を通して私が感じたことをシェアしたいと思います。
○狂言の舞台=人生と捉える
狂言の起源は平安時代の「猿楽」(散楽)だそうで、
大河ドラマ『光る君へ』でも藤原家を風刺した猿楽のシーンが描かれていましたね。
7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能である伎楽や、奈良時代に伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられています。散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にあったが、やがて民衆の間に広まり、それまでにあった古来の芸能と結びついて、物まねなどを中心とした滑稽な笑いの芸・寸劇に発展していきました。それらはやがて猿楽と呼ばれるようになり、現在一般的に知られる能楽の原型がつくられていったのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1717978537045-NQrdZCPke5.jpg)
猿楽(散楽)が様々な芸能と融合しながら狂言に進化していくわけですが、猿楽(散楽)のように何もないところ(舞台)で表現をするということは変わっていません。
![](https://assets.st-note.com/img/1717978760590-TLAQUl5MfC.jpg?width=1200)
舞台は斜め後方(画面左側)に「橋掛リ(はしがかり)」があり、
主に登場人物の入退場に用いられ、
舞台の正面「鏡板(かがみいた)」には、松が描かれています。
橋掛かり奥の幕の向こうを「あちら」、鏡板を「こちら」
あちらを「あの世」、こちらを「この世」と表現し、
「あの世」と「この世」を結ぶ「橋掛かり」と捉えるそうです。
つまり、舞台正面の「鏡板」が人生の舞台。
そこで繰り広げられるドラマ
狂言の世界を楽しむことができるのではと思いました。
○何もない舞台(人生)で演じるためのルールが「型」
狂言の基本に「型」「構エ(かまえ)」「運ビ(はこび)」というのがあります。
舞台で存在するための約束事として「型」というプログラムがあり、
常に全てに備えた、いつでも動ける形「構エ(かまえ)」をします。
常に体のバランスを保って立っていることで、
体の集中力を高めつつ、観客からの集中を浴びる。
スポットライトがない時代に自らスポットライトを浴びる技術が
ここに凝縮されています。
そして、クッションを膝や腰で使いながら、頭の位置を動かさないで、
自分の平衡感覚を保ち続けて動く「運ビ(はこび)」でもって動いていく。
とくに「型」は、長い年月をかけて先人たちが積み上げてきた知恵と経験の結晶、いわばプログラムです。
このプログラミングを学ぶことで、
基礎をしっかりと築くことができるのだと思います。
ざっとこれが狂言ワールドの基本ルールです。
どうですか?人生にも活かせそうな感じがしてきませんか?
狂言の舞台でのルールを上手く人生に取り入れることで、
より豊かに人生という舞台を楽しむことができるのではと私は思いました。
○人を否定しない「そうですね」という「型」
狂言では喜怒哀楽といった感情表現も「型」でやってしまいます。
真顔で笑うことも、怒ることもできます。
番組を見ているときは、ドラマや映画とは違って、
ジワジワと喜怒哀楽が伝わってきました。
感情が動く前に、「型」で伝わってくるような不思議な感じです。
ここでの気づきは、
別に心でそう思ていなくても、「型」だけでも伝えることができる
ということです。
例えば、こんな場面はどうでしょうか。
例1: 不快にさせる場合
A:「こんにちは。今日は暑いですね。」
B:「いや、全然熱くないですよ。」
例2: 良い印象を与える場合
A:「こんにちは。今日は暑いですね。」
B:「そうですねー。暑いですね。」(本当は暑くないと思っているけど)
こうすると、印象は悪くなく、少なくともAは気分を害することはありません。
自分の思っていることは大事にしたい、蓋をしたくないと思うのですが、
自分の思っていることを常に表に出していては、
軋轢を生んだり、良好な人間関係を築くことはできません。
人との出会いというのは、人生を豊かにしてくれると思うので、
人生にとって良好な人間関係を築くことは、とても重要なことです。
自分と思っていることと違うなと思ったときは、
「そうですね」という「型」で一旦受け止めて、とにかく相手を否定しない
結構、これ大事な気がします。
「そうです」を「型」としてジブンにインストールして、
コミュニケーションに活かしてみたいと思います。
クソジジイから逃げるときも、
「そうですね。凄いですね。」といって
その場をフェイドアウトするということも可能です。
不要な軋轢や対立を回避する「型」が「そうですね」ではないでしょうか。
○「型にはまる」という言葉の再評価
野村萬斎さん曰く、
狂言も年齢を重ねていくうちに、人間が催す感情の方に
「型」から離れていくという感覚があるそうです。
また、感情から入って演技するのが現代的演技だとするならば、
「型」から入るのが古典芸能的アプローチとも評されていました。
野村萬斎さんは、狂言だけでなく映画やドラマにも出演されていますが、「型」からも感情からも入れるように役者さんなんだと思います。
なので、人生という舞台で演じている私たちも、
「型」からも感情からも入れるような役者になれば、
人生と言う舞台でいい演技ができるのではないかと思うのです。
野村萬斎さんの「型」から離れていくような境地は、
幼少期から「型」を徹底的にプログラミングされ、
たくさんの稽古を重ねてきた人だからこそと言えるのですが、
プログラミングが完成して、それが実際機能するようになって、
はじめて面白くなるということかとも思います。
そういう観点では、「型」という先人たちが築いてきたストックを
自分にインストールして、それが実際に機能するようになって、
はじめて様々なアプリをDLしていく方が、
より効果的に機能を発揮していくような気がします。
最近は、「型にはめる」ということを否定的に捉えがちですが、
基本を身に着けることは、まさにいろはのいですから、
型をしっかりと身に着けた後に、
自分らしさや個性を取り入れることで、
初めて本当の意味での表現が可能になります。
これは、狂言に限らずあらゆる分野に共通することではないかと思うのです。
新人や若手を育成する際にも、基本をおさえることは実につまらないことなのですが、それを徹底した人にだけ見える舞台からの景色を示してあげたいなと思います。
○「なりたい自分」に変身できる狂言の技術
狂言は、人間以外の亡霊や神を演じたり、
「絶世の美女」とか「絶世の美男」にもなれます。
これは狂言の特権かもしれないと野村萬斎さんは仰っていました。
「スラっと見せたい」と思うときには、
背中に定規でも入れたように、
背中も首も頭も真っすぐするように意識していると、
はっきり意志を持っている人に見えます。
素敵と言われる可能性が高いです。
こんな風に「なりたい自分」を設定して「型」を作っていくと、
場面場面で自分が本当にそこまでの域に達していなくても、そう演じることが可能です。
こうして、「型」を使ったりして、自分をプロデュースしていくと、
自分が本当はそうでなくてもそういうふうに見えてくるし、
自分が作った「型」に自分を合わせていくということに、
徐々になっていくのではと思うのです。
もちろん、自分の内面に「うそをつけ」ということではないのですが、
自分の気持ちを「なりたい自分」の「型」に乗せていく。
そういうことがとても重要に思います。
○ジブンを拡張させる「型」
世の中には『人のふんどしを履くな』という言葉もありますが、
自分に合ったものばかりを着ていると、
自分のサイズで終わってしまいます。
大きなサイズを履くことで、自分の可能性を広げることができます。
いわば『人のふんどし』が、「型」でもあるわけで、
「型」にはまっているときの違和感が、
「型」と「ジブン」のギャップ(ジブンに足りていないもの)かもしれません。
その逆の可能性もあるのですが、
こうした違和感は、自分の立ち位置を把握するためにも必要なように思います。
自分のサイズでいることの楽しさを大事にしつつ、
自分が成長していくために先人たちの力を借りていくという楽しさも取り入れながら、日本人が作ってきたプログラム「型」を、大いに利用することは、我々日本人にしかできないことなのではないでしょうか。
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