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#0179 ハラオチからムネアツ~人を動かすためのストーリーテリング~

こんにちは。釧路人おだわらです。

チームが一つになるときって「腹落ち」している時だなと思うのですが、それってどんな時なのでしょうか。

そもそも「腹落ち」している状態とはどんな状態なのでしょうか。
「腹落ち」して人を動かすには何が重要なのでしょうか。
今日はそんなことを考えたいと思います。

木下斉さんの今朝のvoicy放送「人を動かすのは「センスメイキング」【1/2】腹落ちしなければ人は動かず。」を聴いての私なりの考察です。

⇩木下斉さんの放送

言葉で人を動かすってのは、凄く難しいことだと思います。

会社の中をみていると、多くの社員が上からの指示で動いています。
指示を出した上長がいるときは、おとなしくしていますが、上長がいなくなると愚痴や不満を吐露するという場面を残念ながら多く目にします。

こういう大人たちを見ていると、気持ちはわかるけど、こういう大人になりたくないと思ってしまいます。大抵の場合、意見を表明せずに、「個」を風呂敷で包んでしまって「イエスマン」でいることを是としていることが、サラリーマンの生存戦略かもしれないけれど、人生の幸福を追求するジブン株式会社経営的には良い選択とは思わないからです。

自分を中心に地球は回っていないので、なんでも自分の思い通りになるとは思いません。ですが、自分の意見を表明したり、質問をしたりしてこそ、会社の中での自分の存在意義というものを発揮できるのではないでしょうか。僅かでもそうした痕跡を残すこと、上長と意見を交わすことから逃げていると、いつのまにか風呂敷に包んでいた「個」が溶けて無くなっているなんてこともあるのではないかと思うのです。

○俺たちは「ハラオチ」して動く民族だ

前置きが長くなりましたが、何が言いたいかというと、人に命令されて、ただイエスマンで受けたことは表面的には動きますが、それ以上のことは起こらない。指示通りに動いているだけで、指示を飲み込んでハラオチしていない為、いざというとき、イレギュラーなことが起こったとき、自分で考えてフレキシブルに対応することができません。

木下さんが仰っているように、そこには「ハラオチ」が必要なのだと思います。

どうやら我々日本人は、「腹落ち」「腹を決める」「肝に銘じる」などなど頭でなくて腹で認知する民族のようです。「切腹」もしますしね。

○「ハラオチ」とは「価値観」と「ゴール」を共有できている状態

私の経験を振り返って、人の話を聞いて「ハラオチ」して行動している状態とは、どういう時かを考えてみると、上長やプロジェクトリーダーの言葉から伝わるパッションも重要な要素ですが、それ以上に、「価値観」と「ゴール」を共有できている時というのは、チーム(私と上長、プロジェクトリーダーとメンバーなど)で一つになっている感があります。

その時の自分はどういう状態だったかというと、キャッチしたメッセージを、自分の経験や言葉とを結び付けて、「なるほど、こういうことか!これをするとこんなリスクはあるけど、世の中がこうなって、会社もこうなるのだから、めっちゃ良いじゃん!これをやろう!」と、飲み込むことができている(=ハラオチ)状態だと思います。

そうしたときにイレギュラーなことが発生した時の対応力は強いです。

なぜなら、上記のように腹落ちして「やろう!」と思った瞬間に、自分の「やるべきこと」が指示を受ける前にだいたい頭の中に浮かんでいて、チーム内での自分の役割を腹に落とし込めているので、イレギュラーが発生しても新たな指示を待たなくても臨機応変にリカバリできるわけです。

そして、ハラオチできているからこそ、この目的を達成するために、何としてもリカバリするぞ!とパワーも漲ってきます。

コロナ禍で対面コミュニケーションが図れない時期がありましたが、こうした時に少ないコミュニケーションでも上手く仕事が進んだり、苦境を乗り越えることができたのは、やはりハラオチしている状態だったことは間違いないです。

逆に、非ハラオチ状態だと、こうした柔軟性やリカバリは発揮されないように思います。イチイチ指示を与えないと動かないマシンのようです。

○ストーリーで語ると相手への伝わり度が22倍違う

人をハラオチさせるメッセージとは何かを考えると、私はストーリーとして伝えることができるかだと思います。

ストーリーで語ると相手への伝わり度が22倍違うというのを聞いたことがあります。

それと、キリスト教がなぜこんなに普及したかという理由も、聖書というストーリーがあったからともいわれています。

ストーリーで伝えることができるというのは、恐らく、言葉や文化、知識量が違っても、相手が自身の経験や言葉と結び付けて理解しようとするので、その過程でハラオチしていくのではないかと思います。

だから、ストーリーで語れるというのは凄いことなのでしょう。

人によって、どんなストーリーを好むかは違いがあると思いますが、好む好まざるを関係なく、ハラオチすることは可能です。

○熱狂するストーリーで「ムネアツ」になる

もし、好きなストーリーだと熱狂できるのでしょうね。

私の場合は、会社を語っている時よりも、社会を語ったり、天下国家を意識したストーリーがグアーっと燃え上がります!

金融の世界の人間には珍しいかもしれませんが、幾ら稼いだとか、ビッグディール成立させたといったことよりも、取引先に喜んでもらえたとか、この町のここがこう変わったとか、これを連鎖させたら世の中が変わるかもしれない!みたいなことに熱くなります。

ハラオチして、今度は「ムネアツ」になるんですよね。

○ストーリーか経済性かではなく、ストーリーも経済性もだよ!

よく、こんなエピソードを経験します。

この取引先には、○○よりも▲▲を提案した方が、先方の将来のためにもなるし、当社とも長くお付き合いをしてくれるキッカケになるのではないか?○○の方が多く収益を稼ぐことができるが、▲▲の方が、先方の負担も少なく、経営にとって決断しやすい。今後も長期的なお付き合いが期待できる。と訴えると、大抵の場合、上長に突っぱねられます(笑)

世の中、クリーンなことばかりだとは思いませんが、「今期の目標○○百万円!」と設定されている以上、そうしたストーリーよりも、経済性が優先されてしまうというのが、資本主義なんですよね。

本来、資本主義を追求していくと、我々の生活は豊かになり、幸せになるはずなんですけど、なにかこう生きずらさを感じてしまう。その原因って、資本主義とストーリーとの間の摩擦で生じているのではないかなと思います。

資本主義だと経済合理性が優先されるわけですけど、人類の幸せと経済合理性が必ずしも一致しないわけです。

だから尚更、ストーリー大事だし、ハラオチが大事なんですよ。

ハラオチしてないと、経済合理性まっしぐらですからね。

先述のように指示を表面的に受けて、上の人がいなくなったらグチグチ言うタイプの上長って、資本主義の歯車だー!
もしかすると、「個」を風呂敷で包み続けていると、ストーリーも飲み込めなくなってしまうのか!
そんなことを一瞬思うときがあります。
すごく極端な言い方になりますが。

このジレンマを解消する可能性を、公民連携事業は秘めているように思います。

ストーリーを追求していくと、経済性も両立してくるからです。木下さんの「稼ぐまちづくり」というのも、「論語と算盤」みたいにストーリーも経済性もとことん追求する、資本主義の仕組みを使いながら、ストーリーを実現していくって感じがしてワクワクするのです。

今日の放送を聴いて、腹落ちって大事だし、腹落ちするにはストーリーで伝えることが大事だし、ストーリーだけではストーリーは実現できなくて資本主義という現実もみないとね!こんなことを考えました!

とりとめのない文書でしたが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございます!

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