らしさの武装と嗅覚 2
ポーチを小脇に抱えてデスクに向かう途中、相変わらず2期下の3人が盛り上がっているのが見えた。
彼らは(正確には彼らと彼女だけど)、よく一緒にいる。デスクが近いこともあるだろうけれど、年齢も性別も違うのに同期というだけで話が合うものなのだろうか。同期のいない私には、その辺りがよく分からなくて、少し寂しい気分にもなる。私だって年齢的には十分あの仲間に入れるはず。長野君は同級生だし、麻奈ちゃんは2歳下、結城君だって4歳しか違わない。
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久々に今度、新入社員が多めに入ってくると噂が流れたのは一昨年の夏前だった。可愛い子いるかな?カッコいい人来るかな?と、弾んだ声も聞こえてきたりして、いまだにそんな風に考える人がいるんだ…と、溜息が出そうになった。私のところにも誰か来ると良いなって思っていたら、去年の春、同じフロアに3人放たれた。でも、私の下には誰も来なかった。今年の春も。そして、来年の噂はまだ出回っていない。
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何か楽しい話?
ポーチを引き出しに仕舞いながら、さり気なく声を掛けてみた。あ、おはようございます、と、麻奈ちゃんがくるっと椅子を回転させ、両足で床を蹴りながら近寄ってきた。長野君と結城君は、軽い会釈とおはようございますのみ。なかなか彼らの会話に自然に入れない。今日もさっきの一言でさーっと空気の色を変えてしまっていることは、私にだって分かる。「ごめんね」と「どうして?」の間でいつも振り回される。えっとぉ、と勢い余ってドンと私のデスクに手をついて止まった麻奈ちゃんが、話の概要を教えてくれている。長野君の彼女が昨日色々やらかしたとか。いつも通りの本当に他愛のない話。
へぇ、可愛らしいじゃない。長野君の彼女さん。膝の上にストールを広げながら、当たり障りのない返事をした。そうなんです。彩ちゃんってすること全部可愛いいんです、と麻奈ちゃんは大きな口を開けて笑ってる。女の子なんだから手ぐらいあてなね。と笑顔を意識して言ってみる。麻奈ちゃんはいつもそうだ。少しでもよく見られようというか、きちんとしようという気持ちはないんだろうか?どこで誰に見られているかわからないのに。私の一言で、大慌てで口を真一文字に結んだ麻奈ちゃんが、ですよねぇと笑った。けど、一瞬目の奥に影が走ったのが分かる。また、余計なことを言ったみたい。たった2歳しか違わないのに、麻奈ちゃんとの間にある確かな歪み。
そろそろ行くぞ。斜め後ろから結城君の声がして、ほぉい、と間の抜けた返事をした麻奈ちゃんが、デスクの上の鞄を取り結城君の後を追う。あの2人は同期でコンビ。ずっと誰かと時間を共有できているのは羨ましい。私はいつも1人。
仲良いな、あの2人…
そうですね。
無意識に口をついて出た私の言葉に長野君が反応した。驚いて顔を上げると、
目を通して貰っといて良いです?と彼がデスクの端に書類を置いた。
ま、ああ見えて動かしてるのは麻奈ちゃんですからね。実際のとこ。
私の呟きは、独り言にはならなかった。それに、今だに長野君も私には敬語を使う。同い年なんだよ、と前に一度言ってはみたけど、会社では先輩ですからと返されてしまった。そういうところは律儀なんだよね、貴方たち。
手隙に長野君の置いて行った書類にさっと目を通し、休憩を取る序でにマネージャーのところに持って行った。
このフロアは大きく3つの島に分かれている。一番奥は私のいる島、次が麻奈ちゃんたちのいる島、入り口に一番近い島にマネージャーのデスクがある。フロアは閑散としている。フレックスにテレワークが加わり、だいたい午前のこの時間ならフロア全体に5人も居れば通常運転という感じ。
マネージャーは無表情で書類を受け取ると、ふぅっと息を吐くように言った。
いつまで長野のパシリしてるの?次からは自分で持ってくるように言ってくれる?彼、何年目?
パシリ…。マネージャーに悪気はないんだろうけれど…。パシリなんだ、私は。入社後2ヶ月ほどサポートをしていた名残りで、今も頼りにしてくれてるんだと勝手に思ってたんだけどな。
長野君。彼は、今年2年目です。
そう答えるのがやっとだった。マネージャーは私の声など聞こえなかったかのように、さらっと
次、これお願いできるかな。
と、ファイルを差し出してきた。今度退社することになった子の面談を君にも担当してもらえると助かる。年も近いし…と。確か欠勤続きの子がいると噂になってたけど、その子かな?。私が面談?と思わなくもないけど、特に断る理由も見当たらず、分かりましたとだけ返事をした。じゃぁこれ、と彼がファイルを再度強く差し出した。ファイルは殊の外薄い。辞めたい理由を今更聞きだしてどうなるものでもない。退社する子って、マネージャーが言っている以上もう退社は決定事項。ケアはしましたよ、年の近いそれも同性の社員とも…っていうことか。中身なんて要らない。決められた時間その子と同じ空間に居たという事実を残すのが私の仕事、たぶん。
受け取ったファイルを開くと「遠山佳織」の文字と笑顔の写真が飛び込んできた。入社日は、麻奈ちゃんたちと一緒。職務履歴にはたった一行、配属された部署が書かれてあるだけだった。
書類やメールに目を通し、あるものは返事を書き、あるものは該当しそうな部署に送り、あるものはマネージャーに判断を仰ぎ……、そんなことをしているうちに私の一日は終わる。完全に振り分け業者じゃん。前任者の萌子先輩は、クレーム処理じゃ無いだけマシだと言っていた。一通り教えたから大丈夫だ、と勝手に太鼓判を押し、私の入社から三か月も経たないうちに軽やかに辞めて行った。せめて半期、出来れば一年は居て欲しかったと、今でも空席のままの隣のデスクを見るたびに思う。だから私は、長野君のパシリになっちゃうのかな。取り残される寂しさ、一人ぼっちの心細さは今でも身にしみて感じる。人影の少ないフロアで、私の相手と言えばモニターや紙の上に並んだ文字列。たまに口を開いても、「お願いします」か「ありがとうございます」の二単語で成立する会話のみ。私こそリモートで良いはずなのに……。何度かマネージャーに掛け合ってみたけど、そこに人がいるっていう安心感も必要だからね、なんてよく分からない言葉が返って来るだけで、今。
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あれ?今日、加納さん来てないの?
山上さんの声がスチールの扉越しに聞こえた。
麻奈ちゃんは、たぶん今日は帰って来ないと思いますよ。外回りしてるとイレギュラーなことも多いんで。
言い訳がましいな…と我ながら思う。
ここ、掃除しなきゃでしょ。あの子、加納さん、したことないわよね?掃除。
山上さんは懲りない。ホント懲りない。麻奈ちゃんが、ここー女子更衣室に顔を出さなくなってかなり経つのに、私と出くわす度にこの話。仕事終わりに、こんな不毛なことに気力を使いたくない。私は急いでバッグを掴むとロッカーに鍵をかけて、ちょっと急ぐんで、と軽く会釈して足早に更衣室を出た。
制服があるわけでもないのに、更衣室なんて正直言って古臭い。もう少し明るい感じのパウダールームとか、それが無理ならせめてオープンな休憩室にして欲しい。私も使うのをやめようかな、更衣室。そうすれば、このフロアに日に2回も立ち寄らなくて済む。でも、冬場のアウターとかどうすればいいんだろう。レインシューズをフロアに履いて行くのも嫌だし、羽織る物も予備を置いておきたい。麻奈ちゃんはどうしてるんだろう。あれ?うちのフロアでここを使ってる人って他に誰が居たっけ…。
山上さんに追いつかれないように、大急ぎで飛び出そうとしたら雨。傘はロッカーに折り畳みがあるけど…。地下鉄の駅までは、走っても5分は掛かる。濡れたくはないけど、戻りたくもない。どんよりした四角い空を眺めていると、小さく短いクラクションが聞こえた。
ゆっくり開いた窓の奥に、左手を助手席の座面につけてこちらの様子を伺っている結城君の姿が見えた。
乗って行きます?富岡さん
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