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らしさの武装と嗅覚 11


加納を連れて出掛けようとしていたところ、すれ違いざまマネージャーに声を掛けられた。何が、結城君ちょっといいですか、だ。それに、俺の横に居た加納にも、あんたの後ろの若い子にも、君たちは先に行ってくれて大丈夫ですなんて、妙な匂わせをした挙句、少し間をおいてから、富岡さんのこと何か知りませんか、と来た。あのひとのことで、俺が何を知っていると思ってるんだかしらないが、フロアから消えてもう半年は経つはず。今更何だって言うんだ。もちろん、俺からマネージャーに言うことなんて何もない。

富岡さんがどうかされたんですか?

と、そのまま疑問符を投げ返してやった。いったい何を、今更どうしたいんだ。


マネージャー、何て?

通用口で待っていた加納も、俺が急にマネージャーに呼び止められたことに対して、違和感抱いていたようだ。こいつには、隠してもしょうがない。尋ねられたことをそのまま告げると、今更結城に聞いたってしょうがないのにねぇ…と呟いた。ほぉ、こいつの中でも、そう処理されたんだ。間に挟まれただの、好いように利用されただのと、俺に向かって牙を剥き出しにしていたこいつでさえこうだ。大抵のことは、時間が解決する。


・・・・・・・

夜になると電話が鳴るようになったのは、いつからだったか。電話なんてかかってくることも掛けることも滅多にない俺は、スマートフォンは大抵バッグの中に突っ込んだままになっている。携帯してこその携帯電話だと、以前上司に注意されたこともあるが、必要な時にチェックすればいいだけの話で、特に不便に感じたこともない。今どき、スマートフォンを電話として、主な連絡手段に使っている奴がどれだけいる?って話だ。

そんな俺に、頻繁に電話かけてくる人間ひとが1人いた。教えた覚えもない連絡先をどこでを知ったのか。…まぁ、犯人はまだ何も知らなかった頃の加納辺りだろうが。

たまに鳴る呼び出し音に、俺は基本出ない。知り合いとの連絡は、LINEで済むからだ。が、LINEを知らないその人間ひとは、執拗に何度も何度も掛けてくる。これはもう迷惑電話以外のなにものでもない。


・・・・・・・

あ…。もしもしぃ、あ…結城くん?おかえりっ…

半分吐息じゃないかってぐらいの息遣いで、嬉しそうに弾んだ声…。耳に響いた予想外の声に驚いた俺は、すぐにスマートフォンを耳から離した。それから、ゆっくり画面を確認しそこに並ぶ11個の数字に、しまった と思った。電話の相手は、富岡氏。前にも、このひとからの電話に、たまたま出てしまったことがあった。

出てしまったものは、仕方ない。あとはもう勝手に喋っててください…と、俺はキッチンのテーブルの上にスマートフォンを放置した。すぐに切ってもいいんだが、こちらからのリアクションは出来るだけしたくない。だが、一体何を話すつもりなんだ?という興味が少し湧いたのも事実。こっちが無言なら、しばらくすれば切るだろうという気持ちもあった。だが、返りがないことを不安に思って切るかと思いきや、一人語りが続いている。確か、前の時もそうだった。電話口の相手が、自分の思っている人間じゃないかもしれないとか、見ず知らずの相手だったらなんて、考えたりしないのだろうか。俺は名乗るどころか、声も出していないのに。その確信はどこから来るんだ?

風呂上がりだった俺は、バスタオルで髪の毛を拭きながら、遠目にスマートフォンを眺めて、時折り聞こえてくる音を、それこそファミレスで掛かっているどうでもいいBGMみたいに聞くとも無しに聞いていた。

どうやら、元気かどうかに始まって、いつもこう思ってるとか、いつもこんなこと考えてるとか、やたらといつもいつもを繰り返してる。貴方と俺の間に共通の「いつも」なんて存在しない。それにご心配していただかなくても、俺は元気だし、強いて言えば、貴方とデスクが離れてからのこの2ヶ月、ますます元気なんですがね…と、心の中で返事をした。それに、そちらさんが何を思おうが考えようがどうぞご自由にって、感じだ。

僅かに記憶に残っていた彼女とは、なんだか口調が違う。なんて言えば良いのか……湿度の高い粘り気のある喋り方。仮に彼女に好意を持っている人間がこの声を聞いたとしたら、魅力的に聞こえたのかもしれないが、以前のフロアで聞こえてきていた声のトーンの方が、まだマシだと俺は思う。

こっちが無音なのにも関わらず、そうだよね、うんわかってる、なんて自分で合いの手を入れて、一方的に話続けている。その無敵の神経は何処からくるんだ。つくづく感心する。ただ、珍しくその日は、俺にも待っている電話がひとつあった。暇つぶしもいい加減にしないと、約束の時間が来てしまう。間違ってこの電話を取ったのも、その約束があったからだ。通話終了のボタンを押そうとテーブルに近づくと

けっこんの……

は?聞き間違いか?と思いながらも、もしかして、何処かの誰かと結婚するのか?そうだとしたら、それはそれでめでたい話だと思いながら、そのままテーブル脇に腰かけて、流れ出る音に耳を傾けた。

…私の異動が決まったから…相談してたけど…もうコソコソしなくても…長い間我慢してきた…2人で……

不気味な台詞が、無機質な板から延々と垂れ流されてくる……。背筋がゾッとした。

どうやらいつの間にか、結婚の約束をしていることになってるようだ。何度か名前を呼んでいたから、相手に想定されているのは、たぶんこの俺。あれ以来、同僚としてしか接していない俺と?何なら、直接話掛けることもなかった俺と?
結婚?待たせた?我慢??相談?2人で?なんだこれ?

前に加納が言っていたように、このひとは、俺と付き合ってるといまだに思ってるってことか?そのうえ、今はそれも遠に通り越して、結婚にむけて話が進んでることになってる?何をどうすれば、どこをどう繋げばそうなるんだ。

1年以上も前のたった一度きり。俺はもう感触さえ忘れてる。なんなら、そちらさんも深追いして馬鹿をみる前に、全部無かったことにしてしまうと思うんだが。普通なら。こんな話の展開、今まで聞いたこともない。ヤバいぞ…。今までの何をどう積み上げていけば、俺との結婚が見えるんだ?いやいや、積み上げるもの自体がどこにも存在していない。今どきの少女漫画でもそんなストーリーはないぞ。たぶん。


関わらないこと、もうこれに尽きる。今までこのひとの電話に、声を発さなかった自分を少しだけ褒めた。が、今後間違って受話ボタンを押してしまわないよう、しっかり着信拒否の設定をしよう。もう放置ではなく拒否だ。電話番号を変更して、完全に繋がりを断ちたい気持ちもないことはないが、そこまでの労力をなんの感情も持てない相手に割くのも馬鹿らしい。
俺とこのひとは、何の関係もない。今までもこれからも、ずっとだ。


・・・・・・・

あの電話以来、声は聞いていないし、社内で姿を見かけることすらない。申し訳ないが、フロアから消えてくれたのは有り難かった。加納もすっかり落ち着いた様子だし、このまま行けば、辞める辞めないの騒ぎ自体もなかったことにできるだろう。全部、なるようになったってことだ。

だから、俺からマネージャーに言うべきことは、何もない。

ホント加納が言うように、なにもかも「今更」だ。人間ひとなんてそんなもんだ。時間が経てばものの優先順位も変わるし、記憶にとどめておく必要のないことだってある。そう全部今更だ。






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