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「小さい子をおもちゃにするな!」 「大きい子のおもちゃになるな!」 _10/24_
【1 起】 キュレーション・シリーズの期間中なのに、今日のタイトルにはキュレーションが無い。 まあ、タイトルではなくて、掛け声そのもののコピーだからね。
うちの子たちの幼稚園では、大人が園庭を横切りながら、この掛け声を発していた思い出が蘇るのは、昨日の記事(「保育所のキュレーション」のせいであろう。
遊具の全くない園庭で、「アトは好きに遊びなさ~い」と解放されれば、大きな子が小さな子をおもちゃにするのはあたりまえのことなのでね。
ある日、欠席のMくんの話になって、
「うちで弟をおもちゃにして遊んでるかな~」と言う女の子には大人の方が驚かされた。
彼女にもうちに妹がいるから自分がやっていることなのかもしれないけれど、この掛け声がキャッチされていることに驚かされたわけ。
「小さい子をおもちゃにするな!」 「大きい子のおもちゃになるな!」は、この幼稚園のルールだけど、「おうちでも、小学校に上がっても、大人になっても同じなんだよ!」が付け足されていたはず。
【2 承】 群れを成す動物としてのヒトが、群れの内部の力の差に感じやすくて、大きい方が小さい方をおもちゃにしてきた歴史! 「大国対小国」だって、人類という群れの内部構造だから。
【3 転】 「いじめの構造」にも、「家庭内暴力」にも、「甘えの構造」にも、その根底に、「仲間をおもちゃにする便利」が見える。
「仲間をおもちゃにするゲーム」は、フィードバックが最強で、学習効果とホルモン効果が大なので、必須科目であり、必須栄養素でもある。
インターネットがおもちゃになっても、その先に、あるいはその根底に、「仲間をおもちゃにする必要」が見える。
ところで、人類の脳は、字をおもちゃにして遊びながら学習効果・ホルモン効果を得ることができることが分ったのはグーテンベルグ以降?!
それまでも、人類の脳は、話しことばをおもちゃにして遊びながら学習効果・ホルモン効果を得ていた。 もちろん、大きな声で話す人が声無き大衆をおもちゃにしてきた歴史だけどね。 大衆であっても、「現在・過去・未来」を文法で区別するゲームとかは仲間ともリーダーとも共有。
さて、脳科学が脳のことば遊びに気づいてやっと50年?!
「英語の《複数名詞の-s 終わり》と《3人称単数現在動詞の-s終わり》の遊び」とか、「インド・ヨーロッパ語族の《男性名詞・女性名詞》の別をおもちゃとする遊び」とか、「フィンランド語の語形変化」とかは、仲間ではなく自分をおもちゃにすることかもしれない。仲間となるべく、自分をおもちゃにするとも言えるような。太古からの、脳のひまつぶしだったのだろうけど。
【4 結】 脳のひまつぶしに端を発して、仲間をおもちゃにしているうちは、大人じゃないのよね~ 親になっても、先生になっても、社長になっても、国主になっても。
「仲間をおもちゃにする期間」を突き抜けて、自らの意志でそれをやめたら大人。 ふむ、ここにも毎日のキュレーションの可能性・必要性があるかなァ~ 仲間の一人として仲間に付いていくからには。
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