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#176 「ワタシキャリア志向ではないので」という言葉を使う人を勝手に心配してます

今日はですね、私がたまに聞いてふっと気になる言葉がありまして、これを一緒に考えてみたいなって思います。
どんな言葉かというと、「私、キャリア志向ではありませんので」こういう言葉なんですね。
いろんな場所で聞くことがあります。
じゃあ、仕事は超絶いい加減にやっているのかというと、話を聞いてみると全然違うんですね。
往々にして多いのは、仕事にはちゃんと向き合いたいと思っている。しかも任された役割は責任を持って果たしたいと思っている。チームに貢献できる自分でいたい。ただ、昇進したいという気持ちはない
こういうケースに、「私、キャリア志向ではありませんので」という話が出てくることがすごく多いんですね。

「キャリア」という言葉にあるニュアンス

このリアクションから考えると、世の中に多いパターンとして”キャリア”というフレーズは、昇進することだとか、人に誇れる実績があることだとか、こういうニュアンスを含む言葉だと解釈をする人も多いのかなって思います。
言葉にある「キャリア志向」ですけれども、これは昇進したいと思うかどうか。さらに「キャリアを考える」ということ自体も、仕事を優先に一番に考えることをキャリアを考える。
こんな感じのニュアンスで文脈的に使われたり、語られたり、自分について評価したりという人が多いなって思いますが、皆さんどう思いますか?

ワタシの「キャリア」の捉え方

じゃあ、”キャリア”を私自身がどう考えているのかっていうところですが、いろんな解釈があると思いますが、私の捉え方というのは、これまで歩いてきた道とプラスこれから歩んでいく道その過程で蓄積していくものがキャリアなのかなって思います。
狭義のキャリアは、働くという上での範囲の中で考えられるものだと思うんですけれども、最近広義のキャリアとして、仕事だけじゃない、いろんなことを含めて人生そのもので起こること、起こったこと、向き合ってきたこと、これから向き合っていくこと、これを全部含めて”キャリア”と捉えるような考え方が結構広がっているのかなって思います。
なので、一本道を想像していただいて、自分が立っている地点がその真ん中くらいにあるとすると、振り返って歩いてきた道もキャリアだし、前を向いてこれから歩いて行きたい道もキャリア
歩いてきた道の過程で、いろんなものを蓄積しながらきてるんですけれども、これにも目に見えるものと目に見えないものがあって、目に見えるもの、分かりやすいものっていうのは、例えば経験した仕事の内容だとか、所属した会社や組織、そこでの役割もそうだし、形成した人脈なんていうのも割と目に見えて分かりやすい蓄積したもの(キャリア)かなと思います。
一方で、目に見えないものも含まれるなって思ってまして、例えばいろんな経験をしながら、今大事にしている考え方とか、いわゆる価値観といわれるものって、まさにこれまで歩いてきた道の中で蓄積してきたキャリアそのものですよね。
今後どこに向かいたいかという意思も含めてキャリアだなって思うんです。

自分の人生より良くするため「キャリアを考える」

こうやって考えると、「私自身にはキャリアがない」とか、「キャリアを考える必要がない」ということ自体がたぶんないはずですよね。
だって、なんらかの道を歩いて今ここに立っているとしたら、歩いてきた道は確実に存在するわけで、それがキャリア。
これからもなんらかの形で道を歩いていくって考えると、どこに向かいたいのかとか、どんな自分で、何を大事に歩いていきたいのかということを捉えることだとか、考えることだとか、大事にすることそのものもキャリアに向き合うことかなって思うので、”キャリア”という言葉に、昇進、人に誇れる実績、仕事優先、こういうイメージを持っちゃうとすごくもったいないなって思います。
もう一つ、「キャリア志向」なんて言われるように、”志向”という言葉が付くケースがあると思うんですけれども、この志向って何か?
志に向かうと書いて”志向”ですよね。
心が向かいたい方向が志向なのかなって思うと、この”志向”そのものには昇進・昇格みたいなニュアンスもないと思うんですよね。
これがもし、キャリア志向ではなくて、キャリアアップ志向であれば、キャリアをアップしていく、これがすなわち階段を登っていくこと、ステップアップしていくことをストレートに言うと昇進することで、それを向かいたい方向性と捉えるのであれば、キャリアアップ志向はある人もない人ももちろんいるし、持とうが持たまいが自由なのかなって思います。

こんなことを話しながら、細かい言葉の定義まで拾って面倒くさいわねっていう話ではなくて、「私はキャリア志向ではない」という言葉に、勝手ながら心配をしちゃうんですよね。
もしかしたら、仕事よりも家族が大事だと考える自分を大事にするためにはキャリアを考えちゃダメなんじゃないか、そんなふうに思うケースがあったりするのかな。
でも、家族より大事なものなんてないじゃないですか。
家族が大事だということと仕事が大事だということ、両方大事にしたい、これは大いに成立すると思うんですよね。

一方で、仕事に誠実に向き合いたいということと、例えば昇進したいとか、マネージャーになりたいということって、これもごちゃ混ぜじゃなくていいと思うんですよ。
仕事に誠実に向き合いたい。昇進したい。
これをそれぞれ独立して考えて、それぞれに対してYES、NO、WANTみたいな感じで答えを出していいものなのかなって思います。
そんな中で、「キャリアを考える」ということは、私は仕事についてという範囲を超えて、自分の人生より良く生きたいなって考えるときに、やっぱりキャリアを考えることになるのかなって思います。
これを考えないということは、自分の本当の望みだとか、可能性を閉じ込めちゃうことになって、それはすごくもったいないなって思いながら、こんな話を取り上げてみました。

言葉の定義は自分にプラスになる捉え方をした方が楽しい

この”キャリア”という言葉一つとってもそうなんですけれども、自分にとっての言葉の定義って、どんどんアップデートしていっていいのかなって思ってまして、昔持っていたイメージも、もっと都合よく解釈しちゃっていいと思うんですよね。
よく言われるじゃないですか、「物事の捉え方が自分の生きる世界を決めていく」しかも、捉え方は自分で決められるんだから、せっかく捉えるのであれば、自分の元気がなくなる捉え方ではなくて、自分が勇気が出るとか、自信が持てる、そんな捉え方ができるといいなって思います。
今日は”キャリア”というキーワードを取り上げましたけれども、他にもいろいろとわざわざ元気が出なくなるような捉え方をしちゃうケースって、私も含めてあるんじゃないかなって思いまして、パッと思い浮かんだのが”ストレス”ですよね。
ストレスは悪いものだ。ストレスを感じたらすぐに解消しなくてはならない、ため込んではいけない。
こういったイメージを持ちがちなんですけれども、なんとストレスの悪影響を意識している人って、悪影響を意識しすぎていない人よりも健康への実際の影響が2倍から4倍になるとか、精神的苦痛に悩む確率が2倍から5倍に跳ね上がるという結果があるらしいんですよ。
すごくないですか?
逆に言うと、適度なストレスは問題ない。ストレスを感じているかどうかよりも、そのストレスをどう考えるかの方が肝心だと思っていると、ストレスの影響を最小限に抑えることができる。
これなんかは言葉の解釈の最もわかりやすい事例じゃないかなって思いました。

ということで、今日は”キャリア”という言葉について、私が普段感じていることをつらつらとしゃべることになりましたけれども、自分にとって元気が出る言葉の解釈をしながら、毎日を一日一日をより良くしていきたいなと考える次第です。

小田木朝子プロフィール

「仕事が好きだし、楽しいと言い合える女性が増えることが喜び」小田木朝子(おだぎともこ)です。
このチャンネルは両立女性のためのオンラインスクール育休スクラから出産後の変化を柔軟に乗り越え、仕事がもっと楽しくなる“知恵とヒント”を平日の毎朝配信しています。2回の育休を経て、現在人材育成・組織開発を行う株式会社NOKIOOの役員をしています。
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