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#6 自分で金銭管理ができなくなったらどないする?を今から考察してみる

父の金銭トラブルをきっかけに、父の在宅介護~母親の在宅支援のなかで両親の金銭管理を12年してきたけど、シングルの自分は将来どうすんの?と最近よく考える。
口座の暗号が思い出せなかったり、自筆の文字が書きづらくなったり、目が不自由になって書類が読みづらくなったり、書類に書いてある文言の意味の理解しづらくなってきたり、買い物で支払いが難しくなったり・・・いろいろ想像してしまう。

父の時は私が任意後見人になっていて、母は私を信頼してくれていて同居もしているからできていることが多い。
でも、自分が今していることを、将来誰が私にしてくれる?
兄か、義姉か、甥か、姪か。
私が後期高齢者になっている頃だと兄や義姉も年齢的に難しいから、やはり甥か姪になるのか?
でも、お願いしても、彼らが自分の親の面倒を見ていたら私まで手が回らないだろう。
そもそも、近くに住んでいるわけでもないだろうしなあ。

そうすると、社協(社会福祉協議会)の安心サポートのような事業と契約することになるだろうか。
でも、社協だと将来すぐに成年後見制度に結びつきそうで・・・それは避けたいんだよな。

10年前に父親の成年後見人を自分がしていたから、親族以外の後見人というのが想像つかなくてね、はっきり言えば第三者の後見人は嫌なのだ。
将来、市民後見人がチームを組んでという仕組みが発展していたらよいかもしれないとは思うんだけど。
だから、元気なうちに「こうなった時はこうしてください」「お金はこういう風に使ってください」という私の望むお金の使い方ができる方向性を残すシステムができたらいいとすごく思っている。
エンディングノートの前に、晩年のサポートノートのほうが重要じゃない?と思うわけです。

だって、お金って人によってどういうことに使いたいかというのが違うじゃん。
それを知っているからこそ、人のお金の管理もできると思うんだよね。
父だったらこういう風に使いたいだろうなとか、母には一つ一つ相談しながら使っているし、そういうのがとても大事だと思うのですよ。
今の成年後見制度って、そういう部分がバッサリ抜け落ちているでしょう?ただの財産管理だよね。
そして、下手すると本人にとっても厳しい財産管理になっている。
被後見人な状態であってもお金は残すだけに意味があるのではなく、生きているときに本人にとって良いお金の使い方をしてほしいんだよな。
だから、元気なうちのサポートノートの作成が重要だと思うわけです。

ところで、老後は元気なうちでも、自分自身のお金の管理ってなかなか難しいもので。
私はある日、テレビを見ていて良いヒントに出合いました。それはイギリスのドラマシリーズ「名探偵ポワロ」でこういうシーンを見たのです。

ポワロは銀行の窓口で自分の口座の残高を聞いています。
ポワロは自分の口座残高が常に「444ポンド4シリング4ペンス」になっていないと気がすまない。なのになっていないから窓口で押し問答になっているというシーンでした。
私は興味本位から当時のイギリスの「444ポンド4シリング4ペンス」が現在日本円に換算したらいくらなんだろう?と思って調べてみた。
すると約1000万円なのね。
「これだ!」と膝を打ちましたよ。

私に1000万円の残高があるのか、作れるのかは謎として、残高1000万円キープを目標に生活するって楽しそうに思えたのです。
つまりキープできるように収入と支出をコントロールするわけですね。
なにしろポワロがしていたんだから、間違いない方法でしょう。

老後にお金はいくら必要か?という話題は盛んだけど、親のお金の管理をしていて感じるのは、高齢になるとそうそうお金は使わなくなるし、使わないようにもできる。
医療や介護にいくらかかるかわからないから、という話がよくされるわけだけれど、公的な保険と今加入している保険で賄える範囲を基本に、それで無理な治療やサービスは受けない方向というのもありだと思うんだよね。
キリがないから、こうなったらとか、こういうことがあるかもしれないからとかを想定していると。

あ、でも、1000万円の預貯金資産がある場合は例えば特養の補足給付は対象外にするなど、国はどうやら1000万円を財産があるとみなす基準にしているから、残高は999万円を目標にしたほうがいいかもしれないね。(笑)

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