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テトラレンマで捉える物語
有名なやつをいくつか.
第一部:対話文形式の物語
第一章:導入――「近代的人間性」(第一レンマ)からの出発
登場人物
甲(こう):若い研究者。テトラレンマに強い興味を持つ。
乙(おつ):甲の先輩研究者。ポストヒューマン哲学やSF作品に詳しい。
丙(へい):技術系スタートアップのCEO。AIや拡張現実技術を扱っている。
丁(てい):医療技術系の専門家。ヒトの身体や意識に関する先端研究を行う。
シーン1:大学研究室・夕方
甲「先輩、ちょっと面白いことを考えているんですけど、いいですか?」
乙「お、いいね。何か新しいアイディアでも浮かんだ?」
甲「最近、伊藤計劃の『ハーモニー』を読み返していまして。あれって、“人間の意識は実は存在しない”というような世界観が提示されるじゃないですか。で、あれをテトラレンマで整理すると、第一レンマが『人間の意識は存在する』(近代的人間性)、第二レンマが『人間の意識は存在しない』(ハーモニー的世界)に対応しているように思うんです。」
乙「うんうん、なるほど。第一レンマが近代的なヒューマニズム的な考え方、第二レンマが『ハーモニー』で描かれる“意識不在”の世界、というわけだね。」
甲「はい。でもテトラレンマには四つの可能性がありますよね。第三と第四がまだ残っている。そこを小説ではあまり深掘りしていないように思うんです。特に『意識は存在しないし、存在するとも言えない』みたいな、“どちらでもない”というパターンをもしSF的に発展させたら、どんな世界が描けるか……そこを今、想像してみたいんです。」
乙「なるほど。たしかに興味深いテーマだね。テトラレンマの第三や第四に相当する世界観を、『ハーモニー』という極端な世界設定を踏まえつつ考えるわけか。」
甲「そうです。しかも、最近流行りの“デジタルネイチャー”とか“ヌル”の概念を織り交ぜれば、単に“意識がある/ない”の二分法を越えた話になるんじゃないかと。」
乙「いいね。それならまず、近代的な第一レンマから順に整理していくと分かりやすいかもね。」
シーン2:白板の前――テトラレンマの概要
乙(白板に四つの項目を書く)
「じゃあ、ざっとテトラレンマをまとめよう。テトラレンマって、インド哲学の伝統などで“ある/ない/あるしない/どちらでもない”という四つの立場を整理したやつだよね。」
P:意識は存在する
not-P:意識は存在しない
P and not-P:意識は存在するし、存在しない
neither P nor not-P:意識は存在するとも言えないし、存在しないとも言えない
甲「まさにそれです。第一が近代人間性、第二が『ハーモニー』。第三や第四があまり描かれていない余地なんですよね。」
乙「そうだね。じゃあ第三レンマと第四レンマを君の視点でちょっとイメージしてみて。」
甲「第三は“意識はあるし、ない”。例えば、AIと人間が融合して、意識が部分的に拡張されているけど、同時に個人の独立した意識を失っているようなイメージ……。いわばシュレーディンガーの意識、というか、同時に在るし無いしみたいな曖昧な状態。」
乙「分かる。それはそれで面白い。じゃあ第四は?」
甲「第四はもう、“意識があるともないとも言えない”。つまり、“意識”という概念自体が成立しないような在り方になっている世界観かなと思います。そもそも存在論的に“意識”という枠組みが消えているとか、溶けて広がってしまっているとか。」
乙「なるほど。確かに『ハーモニー』の世界は“存在しない”側に大きく振り切ってたもんね。でもさらにその先へ行くとなると……。」
第二章:ポストハーモニーの世界――第三レンマと第四レンマ
シーン3:カフェテリア――丙と丁が加わる
翌日、甲と乙は学内のカフェテリアにて、業界で活躍する丙と丁を交えて議論を続ける。
丙「いやあ、面白い話をしてるね。『ハーモニー』の未来像は衝撃的だったけど、あれをさらに先に進めるのか。」
丁「私は医療技術の観点から興味があります。ハーモニーではWatchMeシステムがありましたが、あれはナノマシンが人間の身体や神経系を常時監視・制御する世界ですよね。その結果、個人の自由意思がほぼ失われてしまった。」
甲「そうです。いわば第二レンマ:意識は存在しない世界。ただ、そこでは意識不在を社会的調和の手段として使い、“完璧な健康と平和”を作る。でもその価値が本当に人間的な豊かさなのか疑問が残ります。」
乙「第三レンマや第四レンマに行くなら、意識を単純に“存在するかしないか”では捉えずに、例えば“意識がネットワークや環境と一体化している”という可能性を考えるわけだ。」
丙「それって、僕らが取り組んでいる拡張知能とかブレイン・クラウド・インターフェイスに近いな。意識が個人に閉じていなくて、ネットワークと融合している状態。」
丁「そうですね。そこでは一見、個人の意識は消えているようで、でも集合的な意識が確かにあるし……あれ? これは第三レンマっぽい?」
甲「はい、第三レンマは“意識はあるし、ない”ですから、まさに“部分的にはあるが、同時に個としての意識は消滅している”みたいな矛盾を含む在り方ですね。」
乙「一方で第四レンマはもうちょっと踏み込む。“意識という概念自体が存在・非存在の二項対立を超える”状態。いわば“ヌル”のような……。」
丙「ヌルって最近話題になってる、“空(くう)”の概念をメディアアートやデジタル技術で再定義するやつだよね。Ochiaiさんとかが言ってるような、存在と非存在の狭間をデザインしてしまう発想。」
甲「そうです。“ヌル”は何かをゼロ化するけれど、それは単に無ではない。生成の可能性を内包する空虚とでも言うんでしょうか。そういう発想をハーモニーの先に当てはめると、“個別の意識があるわけじゃない、でも完全に無いわけでもない”っていう在り方が想像できるんです。」
丁「なるほど……。それは興味深い。医療分野で言うと、個人の脳神経活動を完全にクラウド化して、必要な時だけ“意識”が現れるみたいなイメージも描けるかも。普段は統合されていて誰のものとも言えないけど、ある環境要因や刺激でフォーカスされた時だけ、人として“意識”が立ち上がるとか。」
乙「それこそ“意識のクラウド化”だね。でもまさに“あるともないとも言えない”状態。」
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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