![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111390580/rectangle_large_type_2_c802d434ea989960e1ce4dfbb043c746.png?width=1200)
微分可能通俗と微分可能人間:時間と空間のベクトル
昨日は考現学と建物の移築について学んでいた.
「考微分可能通俗学」は、過去、現在、未来を一体としてとらえ、時間をベクトルとして捉える独自の視点を提供する概念です。この考え方は、時間を一方向の直線ではなく、多次元的なベクトルとして捉え、過去から未来への一方通行の流れを超越します。
過去とは、我々が体験し、理解し、解釈した事象の総体です。しかし、それは常に現在から見て再解釈され、それ自体が動的であると言えます。過去は、現在と未来を理解し、予測するための基盤となります。過去は決定論的で変わらないと思われがちですが、解釈と理解は常に変化し、それ自体が時間の流れに影響を受けます。
現在とは、過去と未来が交錯する瞬間です。現在は過去の結果であり、未来の原因となります。現在は、時間の流れの中で唯一経験できる瞬間であり、それ自体が唯一の「現実」を形成します。
未来とは、可能性と未定性の領域です。未来は、現在の行動と選択によって形成され、それ自体が現在の理解と解釈に影響を与えます。未来は開かれた空間であり、そこには無数の可能性が存在します。
このように見ると、時間は単なる一方向の直線ではなく、過去、現在、未来が互いに影響を与え合い、相互に関連しあっている多次元的なベクトルと言えます。そして、「考微分可能通俗学」は、この多次元的な時間の理解を通じて、新たな視点と理解を提供します。
具体的には、過去の事象を再解釈し、現在の理解を深め、未来の可能性を探求するというプロセスを通じて、時間の流れを微分可能なベクトルとして捉えることができます。これは、時間を単なる一方向の直線ではなく、動的で多次元的な存在と捉え、それ自体が「データ」や「情報」を持つという視点を示唆します。そして、この視点は、デジタルネイチャーの観念と深く関連しています。
「考微分可能通俗学」は、我々が時間と過去、現在、未来を理解する新たな枠組みを提供します。そして、この枠組みは、デジタルネイチャーと連動し、過去から未来への一方通行の時間の流れを超越し、時間を多次元的なベクトルとして捉える新たな視点を提供します。
ここから先は
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/3306384/profile_1a6b756c512ecf5dfff1e22f7328ac70.jpeg?fit=bounds&format=jpeg&quality=85&width=330)
落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
いつも応援してくださる皆様に落合陽一は支えられています.本当にありがとうございます.