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新しい神話構築の可能性を考える.
サーベイメモ
レヴィ=ストロースの神話論理の再考: 構造主義的神話分析の視点を再評価し、神話の対立構造とその超克についての最新研究を調査。
テトラレンマと神話論理の関係: インド哲学の四句分別の概念が、神話の記号創発とどのように結びつくかの事例や研究。
神話の進化と現代的適用: 伝統的神話が現代社会やデジタル環境の中でどのように変容しているかの考察。
現代文化における神話的思考の適用: SF・映画・ゲーム・ネット文化における神話の適応と新たな神話論の潮流。
テトラレンマ的枠組みを用いた新神話の分析: 「A(存在)」「非A(非存在)」「Aかつ非A(両者)」「非Aかつ非非A(どちらでもない)」の視点から、新しい物語の発生や構造を検討。
このリサーチを進め、体系的な分析を行った上で、新しい神話の創出に向けたヒントを抽出します。結果がまとまり次第、お知らせします。
レヴィ=ストロースの神話論理とテトラレンマによる新神話生成の可能性
1. レヴィ=ストロースの神話論理の再考
クロード・レヴィ=ストロースは神話に二項対立の構造が潜むと指摘し、神話を構造的に分析しました ()。自然と文化、生と死、親族と外部など、対立する概念の組合せ(mytheme)が神話の普遍的構造を形作ると考えたのです () ()。例えば、食物は「生(自然)」対「火を通したもの(文化)」という形で神話に表現され、狩猟や料理の神話はしばしば近親婚や婚外婚といった社会的対立と結びついています () ()。こうした二項対立は人間の思考の基本であり、我々の心性(思考様式)がまず「X」と「非X」に世界を分節化することに由来するとされます ()。
しかし神話は単なる対立の羅列ではなく、その対立を媒介し調停する役割を担います。レヴィ=ストロースによれば、神話は文化が直面する矛盾やジレンマを論理的に解決できなくとも、物語の形で和解への道筋を示す「論理の道具」として機能します ()。有名なオイディプス神話の分析では、「人類は大地から生まれた(一人の親から生まれる)という信念」と「人類は男女の交わりによって生まれる(二人の親から生まれる)という知識」という両立しえない命題が提示されます ()。論理的には解決不能なこの問題に対し、神話は近親婚というモチーフを導入します。それによって「一人から生まれた(自生)とも、二人から生まれた(通常出生)とも言える存在」を描き出し、両命題を同時に満たす虚構を提供するのです ()。すなわち「自生でありながら二人から生まれた」という 矛盾の統合 により、神話は対立する観念を物語上で接合し二項対立を超克します ()。このようにレヴィ=ストロースの理論では、神話は深層に潜む対立原理を露わにしつつ、それらを媒介する第三項(トリックスターや文化英雄など)を配置することで意味の調和を図るとされます () ()。
レヴィ=ストロースの構造分析は20世紀中頃に大きな影響を与えましたが、その後の研究者たちは神話構造の動的な変化にも注目しています。実はレヴィ=ストロース自身も、構造の変容や進化(生成と崩壊)に関心を寄せており、神話の変遷プロセスを捉える試みを行っていました (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。例えば彼が提唱した神話の正準公式は、神話間の変換関係を数式的に表現し、物語要素がどのように組み換えられて発展するかを示そうとしたものです ((PDF) The canonic formula of myth and nonmyth - ResearchGate)。この公式は長らく忘れられていましたが、近年になって再評価が進んでいます。モスコらの研究では、レヴィ=ストロースの正準公式に基づき神話進化を系統樹モデルで解釈し、神話の展開パターンを分析しました (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。その結果、正準公式が示す進化は「完全な系統樹(分岐的進化)」で説明できる一方、急速な変容を遂げる神話群ではあらゆる二項組合せが試みられる爆発的進化も観察されるといいます (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth) (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。さらにシミュレーション技術を用いた最新研究では、物語の生成実験によって構造分析の妥当性を検証する試みもあります (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。ある研究では初期の民話を入力し、レヴィ=ストロースの示した対称性や二重のねじれ(double twist)の法則に従って物語を次々と生成する離散事象シミュレーションを行い、構造主義的分析の予測力を確かめています (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth) (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。このように、現代の構造神話論は数学・情報学的手法と結びつき、神話の構造的普遍性だけでなく進化プロセスをも捉えようとする方向へ展開しています。これは、神話が時代と共に変容し新たな物語へと生まれ変わるダイナミズムを理解するうえで重要な視点です。
2. テトラレンマ(四句分別)と神話論理の関係
インド哲学、とりわけ仏教思想には、西洋的な二値論理を超える**テトラレンマ(四句分別)**と呼ばれる論理枠組みがあります (Tetralemma - Wikipedia)。テトラレンマでは、ある命題Xに対し以下の4つの可能性を区別します (Tetralemma - Wikipedia):
A: Xである(命題が真)
非A: Xでない(命題が偽)
Aかつ非A: XでありかつXでない(命題が真と偽の両方の性質をもつ)
非Aかつ非非A: XであるでもなくXでないでもない(命題を真偽いずれにも分類できない)
この四項的な論理は、古代インドの論理学(四句論法, サンスクリットでCatuṣkoṭi)に由来し、ナーガルジュナ(龍樹)ら中観派の仏教論理で頻繁に用いられました (Tetralemma - Wikipedia)。例えばリグ・ヴェーダの宇宙創生賛歌(ナサディヤ・スークタ)では、「当時、存在も非存在もなかった」と語られていますが、これは**「Aでも非Aでもない」という発想で宇宙の根源的状態を示したもので、まさに四句分別的なアプローチと言えます (Tetralemma - Wikipedia)。このようにテトラレンマは二項対立を超えて包括的に物事を捉える思考法**であり、論理というより実在把握の方法として神話や哲学に現れています。
では、このテトラレンマ的視点はレヴィ=ストロースの神話論理とどのように関係しうるでしょうか。鍵となるのは、神話構造に内在する多値的・重層的な意味の生成です。レヴィ=ストロースは神話の背後に二項対立を見出しましたが、一部の研究者はそのさらに背後に四項関係(二つの二項対立の組合せ)を読み取っています (レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(7) 二項関係は四項関係であり四項関係は二重の四項関係つまり八項関係である|way_finding) (レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(7) 二項関係は四項関係であり四項関係は二重の四項関係つまり八項関係である|way_finding)。実際、レヴィ=ストロースが神話の構造を表現する際に用いた「神話公式」は4つの項の関係式であり、神話の表面的な二項対立の陰で八項関係(四項関係が二重になった構造)が動いていると解釈する分析もあります (レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(7) 二項関係は四項関係であり四項関係は二重の四項関係つまり八項関係である|way_finding) (レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(7) 二項関係は四項関係であり四項関係は二重の四項関係つまり八項関係である|way_finding)。これは、神話が単純な対立ではなく対立の対立(二項関係同士の関係性)まで含めた多層的構造を持つことを示唆します。この点で、二項を四つ組の関係へ拡張するテトラレンマ的発想と、レヴィ=ストロースの神話分析には通底するものがあるのです。実際、文化人類学と仏教思想を交差させた清水高志氏は「仏教にはインドのテトラレンマ的な考え方が構造的に組み込まれている」という直観を述べ、レヴィ=ストロースを参照しつつ神話的思考と仏教論理の関係性を論じています (〖対談〗『今日のアニミズム』から『空海論/仏教論』へ/奥野克巳+清水高志 – 以文社)。この対談では、古代インドから伝わる四項弁証法が神話的世界観に潜在する例として、「毒から薬への転換」というモチーフが挙げられました (〖対談〗『今日のアニミズム』から『空海論/仏教論』へ/奥野克巳+清水高志 – 以文社)。古代から知られるように蛇の毒は微量を用いれば解毒剤(血清)となり得ますが、これは「毒であり薬である」という第三のレンマ(Aかつ非A)の発想であり、通常の善悪二分法では捉えられない逆転現象です (〖対談〗『今日のアニミズム』から『空海論/仏教論』へ/奥野克巳+清水高志 – 以文社)。さらに蛇が脱皮して抜け殻(内と外の反転)を残す様は「生でも死でもない」境界的存在、すなわち第四のレンマ(非Aかつ非非A)を連想させます (〖対談〗『今日のアニミズム』から『空海論/仏教論』へ/奥野克巳+清水高志 – 以文社)。このような例に見るように、神話や伝承にはテトラレンマ的な発想—対立項の両立や超越—が潜在的に息づいており、それが記号や象徴として表現されている可能性があります。レヴィ=ストロースが神話に見出した媒介項(第三項)の概念も、見方を変えれば「両立するもの(Aかつ非A)」の役割と言えるでしょう。テトラレンマの視座を導入することで、神話の記号が生まれる過程(記号創発)をより柔軟な論理で捉え、二項対立に留まらない多義的な意味生成を説明できると期待されます。
3. 神話の進化と現代的適用
古代神話の変容プロセスは、現代のデジタル環境やポストヒューマン的社会において新たな局面を迎えています。神話は決して過去の遺物ではなく、社会の状況変化に応じて進化し続ける生きた物語だからです。現在、インターネットやソーシャルメディアといった情報環境が神話の生成・伝播に大きな影響を及ぼしています。研究者デニス・アルタモノフらはこの現象を「デジタル神話学」と位置づけ、デジタル時代における社会神話の変容を指摘しています (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings) (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。彼らによれば、デジタル社会では誰もが神話創造に関与でき、新たな神話的物語がオンライン空間で日々生み出されているといいます。「デジタル神話」はバーチャル空間で再生産される社会的神話群であり、個人やコミュニティが大衆文化のイメージや伝統的モチーフを組み合わせて創作し、ネット上で拡散させることで成立します (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。実際、新しいメディアはあらゆるネット利用者を神話学者=物語の創造者に変える条件を整えており、ミーム(ネット上の模倣されるジョークやコンテンツ)やフェイクニュース、架空の逸話などが現代の神話として日常現実を形作っているのです (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings) (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。政治や経済の文脈でも、事実より感情的な物語が優先される「ポスト真実」の風潮の中で陰謀論や疑似科学が神話的世界観として共有されるケースが見られます (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。デジタル化した社会意識は神話もデジタルな形に変容させつつあり、自己神話化(セルフブランディング)からオンライン・コミュニティの伝説まで、ネットワーク上に新たな「神話」が次々と出現しています (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。
また、人工知能(AI)やポストヒューマン社会においても神話の進化は顕著です。実は人類は古代から「人工生命」や「人造人間」といったテーマを神話に織り込んできました。ギリシャ神話の青銅の巨人タロスは“地上を歩いた最初のロボット”とも称され、鍛冶神ヘパイストスが作り出した自律機械でした (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics)。またピグマリオンの像の伝説や、中国の木人、ユダヤ伝承のゴーレムなど、生命を人工的に創造する夢は神話・伝説の普遍的テーマです。スタンフォード大学のエイドリアン・メイヤーは、古代ギリシャ・ローマからインド、中国に至る神話が自動人形や人間の強化を描いており、現代のロボット工学やAIの萌芽を既に想像していたと指摘しています (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics) (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics)。例えばホメロスは自動で動く召使いや音声案内する像を描き、インド神話では仏陀の遺骨を守るロボット兵士が語られるなど、当時存在しない技術を物語の中で具現化していました (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics)。これらは人類が創造主になる欲望と倫理的葛藤を物語として表現したものでもあります。メイヤーはこの歴史を「AIの時代のための神話学」と呼び、神話が未来のテクノロジーを先取りしインスピレーションを与えてきた事実を強調します (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics)。現代においても、AIを巡る議論にはしばしば神話的比喩が用いられます。たとえば高度なAIの出現を特異点(シンギュラリティ)と呼び技術的黙示録のように語ったり、AIが人類に叛逆するシナリオをフランケンシュタインやパンドラの箱になぞらえる議論が見られます。こうした比喩は、未知の技術に対する不安や期待を既存の神話になぞらえることで理解しようとする神話的思考の現れです。ポストヒューマン的なSFでは、人間が神(創造主)に昇華する物語や、人間と機械が融合した新種族の神話的描写(サイボーグの神聖視、集合意識の創世伝説など)も登場します。つまりテクノロジーの進歩は、新たな神話のモチーフを次々と生み出し、人類はそれらを通じて自らの未来像を物語的に探求しているのです。
神話の進化を語る上で、近年は進化論的アプローチも注目されています。前節で触れたように、レヴィ=ストロース流の構造分析と進化論を組み合わせ、神話の系統発生をモデル化する研究が行われています。トゥイヤール&ル・ケレク(2017)は神話要素の変異を系統樹解析し、神話間の類縁関係を明らかにしました (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。彼らは神話を特徴(キャラクター)の集合とみなし、二値(存在/非存在)および三値の属性が組み合わさって進化する様式を分析しています。その結果、レヴィ=ストロースの正準公式が適用できる神話進化は例外的で、むしろ多くの神話は途中段階的な(両義的な要素を含む)進化過程を辿ることが示唆されました (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。これは、神話が直線的に洗練されていくのではなく、ある時代・文化で生じた中間的なモチーフ(半ば神話的・半ば現実的要素)を抱えながら分化していくことを意味します。さらに人工知能分野の技法を取り入れ、物語の自動生成によって神話進化をシミュレートする試みもあります (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。Santucciら(2020)は離散事象シミュレーションを用いて、ある民話から文化変容に応じた新たなフォークロアを生成し、その過程がレヴィ=ストロースの構造変換(対称変換と二重のねじれ)に沿うことを示しました (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。このような進化論的視点と情報環境の組合せにより、古典神話が現代でいかに再解釈・再配置されていくかを体系的に説明できるようになっています。デジタル時代に神話が担う役割(社会統合や世界観の提示)は、かつてと形態を変えつつも本質的に続いており、その変容プロセスを解明することは現代社会の文化理解に寄与するでしょう。
4. 現代文化における神話的思考の適用事例
古代の神話的モチーフや思考法は、現代のサブカルチャーやエンターテインメントの中で多様に応用されています。SF(サイエンスフィクション)やファンタジー映画はしばしば「現代の神話」と称されるように、神話的テーマと構造を下敷きにしています。ジョーゼフ・キャンベルが提唱した「英雄の旅(モノミス=単一神話)」の概念は、ハリウッド映画に大きな影響を与えており、ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』制作にあたりキャンベルの著作『千の顔をもつ英雄』に強くインスパイアされたことを認めています (Joseph Campbell Meets George Lucas - Part I - StarWars.com)。実際、『スター・ウォーズ』には農民の若者が師に導かれて成長し、闇の帝国を倒すという典型的な英雄神話のプロットが組み込まれていますし、近年のマーベルやDCのスーパーヒーロー映画も神話上の英雄譚を現代風に焼き直したものと見ることができます。これらの作品では、神や怪物に相当する存在(ヒーローとヴィラン)や、儀式に相当するクライマックスの戦いが描かれ、大衆に寓意的なメッセージを伝えています。例えば、『マトリックス』シリーズにはメシア(救世主)神話や仏教的悟りのモチーフが折り込まれ、人類と機械の戦いに神話的深みを与えています。また、日本のアニメやゲーム作品でも、神話から着想を得たキャラクターや世界観が数多く存在し(例:女神転生シリーズ、ゼルダの伝説シリーズなど)、新旧の神話を融合した神話創造が盛んです。
ビデオゲームも現代の神話的物語の創出装置と言えるでしょう。ゲームはインタラクティブな物語体験を提供し、プレイヤーコミュニティの中で共有されるデジタル神話を形成します。研究者ヴィヴィアン・アシモスは「ビデオゲームは神話である」と述べ、ゲームが単に物語を語るだけでなく、プレイヤー同士が語り継ぎ自分たちの意味世界を構築する神話的機能を果たしていると指摘します (Video Games are Mythology — Vivian Asimos)。例えば『ゼルダの伝説』シリーズに心酔するファンは、ゲーム内の「勇者の旅路」を自らの人生観に重ね合わせたり、ゲーム体験を通じて家族や友人との絆を深める物語を生み出しています (Video Games are Mythology — Vivian Asimos) (Video Games are Mythology — Vivian Asimos)。あるプレイヤーは作中のトライフォース(三つの三角形からなる秘宝)を人生の指針とみなし、意思決定の拠り所にしているという報告もあります (Video Games are Mythology — Vivian Asimos) (Video Games are Mythology — Vivian Asimos)。このようにゲームはプレイヤー個人やコミュニティにとって意味深い神話的な物語を提供し、現実の困難を乗り越える勇気や共同体の紐帯をもたらすことがあります (Video Games are Mythology — Vivian Asimos)。ゲーム内の出来事は時にプレイヤー間で語り草となり、「伝説」と化していきます。これらは神話が共同体にもたらす役割(世界観の共有と秩序づけ)に通じるものがあり、媒体がデジタルに変わっても人間が物語を必要とする根源的欲求は変わらないことを示唆しています。
インターネット文化そのものも新たな神話の宝庫です。SNSやフォーラム発の怪談・都市伝説が急速に拡散し、現実社会に影響を及ぼす例も見られます。典型が「スレンダーマン」伝説です。2009年にインターネット掲示板Something Awfulで創作された細身の怪人のイメージは、瞬く間にミーム化して動画や体験談が量産され、まるで実在する伝説の怪物であるかのように語られるようになりました (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent)。スレンダーマンは「森の精霊」「子供の魂を狩る者」として古典的な怪異の特徴を備えつつ、その成立過程はフォーラム投稿と模倣(コピペ)文化というデジタル時代特有のものです (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent) (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent)。まさに現代的神話創造の驚くべき例であり、ネット上で合作的に神話が生み出されうることを示しました (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent)。興味深いのは、このように生成されたデジタル神話は通常の民間伝承と異なり、ログとして発生源まで遡れる点ですが (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent)、それでも人々は進んで物語を拡張し脚色を重ね、あたかも太古から伝わる神秘譚のように信じ込むことがあるということです。スレンダーマン事件では、それを「信仰」した少女たちが犯罪に及ぶという社会的影響も生じました。ネットミーム以外にも、人工的に作られた新神話の例としては、作家が意図的に構築した架空神話体系(トールキンの『シルマリルの物語』や架空の神々を祀るSF作品など)や、ネット上のコラボレーションで生まれたストーリー世界(SCP財団のクリーチャー神話など)も挙げられます。映画・小説・ゲーム・ネット発コンテンツと媒体は違えど、それらは現代人の心に響く神話的テーマ(善悪の葛藤、未知への畏怖、秩序と混沌の相克など)を纏っており、我々はそれらに熱狂し語り継ぐことで新たな「神話」を創り出しているのです。
5. テトラレンマ的枠組みを用いた新神話の分析・生成
最後に、テトラレンマの四つ組の論理枠組みを実際に新しい神話分析や創作にどう応用できるか考察します。ポイントは、従来の二項対立的発想に留まらず**「両立」と「超越」**の要素を物語に組み込むことです。具体的には神話の中の要素やキャラクターの状態を、先述のA, 非A, Aかつ非A, 非Aかつ非非Aに対応づけてみます。
A(存在) vs. 非A(非存在): 物語の基本軸となる対立です。多くの神話は「秩序vs混沌」「光vs闇」「生命vs死」のようなA/非Aの構図で始まります ()。例えば創世神話では無から有への転化(非存在→存在)がテーマとなり、英雄譚では善と悪の対決(善=秩序 vs 悪=混沌)が骨子となります。レヴィ=ストロース流に言えば自然(野生)と文化(調理済み)のような対立ですね () ()。新しい神話を創る際も、まず何らかの根源的な二項対立を設定すると物語の普遍構造が生まれやすいでしょう。
Aかつ非A(両者を含む): 相反する2つの要素を同時に備えた状態です。神話では矛盾やパラドックスの象徴として現れ、物語の転換点や解決策となることが多いです。レヴィ=ストロースが強調した媒介項もこの範疇に入ります。先述したオイディプス神話の近親婚は「親族であり他人でもある関係」であり、自生と通常出生の双方の属性を持つ設定でした ()。同様に、神話上の英雄はしばしば「神と人間のハイブリッド」(例:ヘラクレスは神と人の血を引く)として描かれますが、これは「人間(非A)でありながら神性(A)を帯びる」という両義性が力の源であることを示しています。トリックスター(騙しの妖怪)的存在も「善玉でも悪玉でもあり得る」両義性を持つ例です。北欧神話のロキやアフリカ神話のアナンシなど、トリックスターは秩序を乱しつつ結果的に新しい秩序をもたらす矛盾した存在です。特筆すべきは、そうした存在が神話に創造的変化をもたらす点です。ある分析では「トリックスターは善でも悪でもない存在で、安定した体系にカオスを導入することで物語を動かす」と述べられています (When Satan Was a Trickster – By Common Consent, a Mormon Blog)。まさにAと非Aを併せ持つからこそ、新たな展開を生み出せるのです。現代的なフィクションでも、アンチヒーローやモラルがグレーなキャラクターはこの「Aかつ非A」の魅力を体現しており、物語に深みを与えています。新しい神話を創出する際には、対立する2要素を兼ね備えたキャラクター(または状況)を設定することで、従来にない解決や世界観の統合を表現できるでしょう。
非Aかつ非非A(どちらでもない): 二項から完全に逸脱した第三の状態、いわば超越的・空的な要素です。神話ではしばしば「境界的存在」や「不可思議な状態」として描かれます。世界の始まりに登場する混沌(カオス)は秩序も無秩序も超えた未分化の状態であり、「光でも闇でもない」「陸でも海でもない」原初の様相を示します。インドの創世神話が「存在でも非存在でもない」と歌ったように (Tetralemma - Wikipedia)、究極の起源はこの第四のカテゴリーで捉えられることが多いのです。また、死生観においても「生でも死でもない中間状態」(例:黄泉の国や煉獄)が神話や宗教に登場します。これは人間の経験の範囲外にあるため神話的想像力で補完される領域です。人格的な例を挙げれば、トリックスターは前項では両義と述べましたが、見方によっては「善でも悪でもない(倫理を超えた存在)」とも言えます (When Satan Was a Trickster – By Common Consent, a Mormon Blog)。特にモラル・トリックスターは規範から自由なアウトサイダーであり、秩序にも混沌にも属さないゆえに物語に乱調と革新をもたらします (When Satan Was a Trickster – By Common Consent, a Mormon Blog)。このどちらでもないカテゴリーは、物語の余白や神秘性を生み出す上で重要です。新たな神話を創る際には、敢えて明確に規定できない曖昧さ(例:正体不明の存在、測り知れない力、矛盾した預言など)を物語に織り込むことで、読者や聴衆の想像力を刺激することができます。それは神話における「謎めいた神」や「名状しがたい怪物」の現代版かもしれませんし、AIや宇宙的存在を扱うなら「人間の理解を超えた意識体」として描かれるかもしれません。いずれにせよ、非Aかつ非非Aの要素は物語世界に深遠さを与え、単純な二元論では得られない余韻を残すでしょう。
以上のようにテトラレンマの各項に相当するパターンを神話に組み込むことで、物語の構造と展開に多次元性が生まれます。分析の面では、既存の神話をこの四類型で再評価することで新たな解釈が可能になります。例えば、ある神話の要素が「Aかつ非A」であることを見抜けば、それが物語全体で果たす調停的役割が明確になるでしょう。同時に創作の面では、この論理的枠組みをプロット生成のガイドとして活用できます。神話的物語を設計するとき、単に善玉と悪玉を対立させるだけでなく、「善悪の両方を併せ持つ存在」や「善悪いずれでもない超越的存在」を登場させることで、物語に予測不能な展開や哲学的含意を持たせることができます。これは二項対立的な勧善懲悪ストーリーから脱却し、より複雑で現代性のある神話を生み出すヒントとなるでしょう。特に、AIやポストヒューマンを題材にした新神話を創造する場合、人間/機械といった対立軸に「人間でも機械でもない存在」(例:シンギュラリティ後の知性体)や「人間であり機械でもある存在」(例:意識を機械に上載したトランスヒューマン)を加えることで、物語に深みと独創性が加わると考えられます。テトラレンマ的発想は神話創作の論理的遊び場を広げ、これまで語られなかったような新奇で示唆に富む神話の可能性を切り拓く鍵となり得るのです。
結論と展望
以上、レヴィ=ストロースの構造人類学的神話論にテトラレンマの視点を融合し、新たな神話生成と進化の可能性を考察してきました。伝統的神話の分析から現代における神話的思考の実例、新たな論理枠組みによる物語創出まで、多角的に検討した結果、以下のような知見が得られました。
伝統神話の進化プロセスの理解: レヴィ=ストロースの理論は神話内の対立と媒介の構造を明らかにし、神話が文化の葛藤を解消するプロセスを示していました () ()。その枠組みは現代でもシミュレーションや系統分析によって拡張され、神話の進化メカニズム(ゆっくりとした変容から急激な変異まで)を理解する手がかりとなっています (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth) (NEW SAVANNA: Some Recent Work on Lévi-Strauss and Myth)。これは神話が時代とともに自己変革していく様を体系的に捉える上で有用です。
テトラレンマ的視点による新神話創出の枠組み: インド哲学の四句分別を取り入れることで、神話分析に二値を超えたカテゴリーを導入できました (Tetralemma - Wikipedia)。A/非Aに加え「Aかつ非A」「非Aかつ非非A」という視点は、神話の記号創発を説明する理論モデルとなり得ます。実際、神話には矛盾を包含するモチーフや境界的な存在が多く見られ (When Satan Was a Trickster – By Common Consent, a Mormon Blog)、それらをテトラレンマで位置付けることで物語構造の全体像を捉え直せます。また創作においても、この四分類を意識することで従来にないプロットやキャラクター設定が可能となり、新神話の創出に理論的指針を提供します。
現代文化への神話的思考の適用整理: 現代のSF映画やゲーム、ネット文化における神話モチーフの事例を多数紹介しました。キャンベルのモノミス理論に基づく映画脚本 (Joseph Campbell Meets George Lucas - Part I - StarWars.com)や、ゲーム体験を通じて形成されるデジタル神話 (Video Games are Mythology — Vivian Asimos)、さらにはネット発の都市伝説 (Slender Man: A myth of the digital age | The Independent | The Independent)に至るまで、神話的思考は今なお創造性の源泉となっています。これらを体系的に整理することで、現代に適合した神話のパターンや機能を把握でき、文化分析やコンテンツ制作の指針となるでしょう。
神話と情報環境の相互作用に関する知見: デジタル時代には神話の生成・伝播が高速かつ自律的に行われ、「誰もが神話創造者」となる環境が出現しています (Digital Mythology: A New Direction In The Study Of Social Myths | European Proceedings)。情報環境は神話内容にも影響を与え、AIのような新技術は古層の神話を蘇らせたり新たな神話的観念を生んだりしています (Gods and Robots: Myths, Machines, and Ancient Dreams of Technology | Department of Classics)。本調査を通じて、この相互作用のメカニズム(例:テクノロジーへの畏怖が神話を模した物語となり、それが再び社会認識に影響を返すループ)について洞察を深めることができました。これにより、現代社会における物語と現実のダイナミクスを理解する一助が得られます。
総じて、レヴィ=ストロースの神話論理はテトラレンマ的拡張によってさらなる発展の可能性を示しました。二項対立の奥に潜む四項構造を捉える視座は、神話研究に新たな理論的地平を開くだけでなく、現代の文脈で新しい神話を創造する実践的ヒントも与えてくれます。テトラレンマによる多価的な論理は、多様化・複雑化する現代社会の物語ニーズに応える柔軟性を持ち、デジタル時代の神話やポストヒューマン時代の叙事詩を紡ぎ出す原動力となるでしょう。本研究の成果が、神話と現代世界を繋ぐ理論モデル構築の一助となり、新たな物語創出の契機となることを期待します。
デジタルネイチャーとマタギドライブの総合調査
1. デジタルネイチャーの概念整理
技術的視点におけるデジタルネイチャー
デジタルネイチャーとは、人間とコンピュータの区別がなく一体化して存在する新たな「自然観」を指します (デジタルネイチャーってなんだ?落合陽一『魔法の世紀』を読み解く – HAZERU magazine)。これはデジタル技術と物理世界がシームレスに融合した環境であり、サイバー空間とフィジカル空間の境界が曖昧になります。例えばIoT(モノのインターネット)やセンサーによって、人が物体に触れた情報が即座にデータ化・共有されるといった「計算機上の自然現象」が実現します (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。重要な点は、この世界では人間が逐一ルールを書かなくても、物理法則に類する自律的なルールがデジタル空間内で働くことです。落合陽一氏は、現実世界の自動的な法則と計算機内のサイバーフィジカルシステムとを結びつけ、エンド・ツー・エンド(端と端を直接つなぐ)の相互作用を実現する必要性を説いています (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。深層学習(AI)などの統計的手法により、コンピュータ自体がパターンや「理(ことわり)」を発見しうる現在、人間がメタルールを定義せずともデジタル空間に自然法則的な振る舞いを実装することが目標とされています (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一) (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。
具体例として、サイバーフィジカルな情報共有が挙げられます。猫に触れたとき、その「触れた」という情報や触覚がネットワーク越しに他者へ伝達され、あたかも皆が同じ猫に触れているかのような共有体験が生まれる――こうした状況がデジタルネイチャーの世界では可能になります (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。また、人間の意志がそのまま物質へと変換され、生成された物質(形)が再びデータに戻る、といった循環的な物質と情報の変換もシームレスに行われるでしょう (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。現在の技術では完全な実現には時間を要するものの、これらはAIやIoTの発達によって徐々に可能となりつつあります。
哲学的視点におけるデジタルネイチャー
哲学的には、デジタルネイチャーは従来の人間中心的(アントロポセントリック)な世界観を超えて、モノ同士の関係性や環境との相互作用を重視する考え方と結びつきます。落合氏は、中国古典の荘子が説いた「物化」(万物が相互に変容し合う思想)に着想を得て、新しい自然観を提唱しています (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。すなわち、人間だけが特権的存在として秩序を与えるのではなく、あらゆるオブジェクト(物、情報、コンピュータ)が対等に関係しあう世界です。これは近年議論されているオブジェクト指向存在論(OOO)やアニミズム的な思想とも響き合います。実際、落合氏はデジタルネイチャーの世界を「東洋的な優美さ」と現代の計算機世界の共通点だと述べており、西洋的な近代と東洋的な自然観が連続するエコシステムだと位置付けています (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。この視点では、コンピュータは単なる道具ではなく環境の一部であり、人間はその中の一要素にすぎません。デジタルネイチャーにおいては人間も含めたあらゆる存在がフラットに相互作用するため、倫理観や価値観も人間本位から脱構築される可能性があります。
さらに、デジタルネイチャーには汎神論的な側面も指摘されています。落合氏の著書『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』の副題にあるように、計算機(コンピュータ)が生態系を形成し、あたかも神が宿るかのように世界を満たすというビジョンです (Amazon.co.jp: デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂 : 落合陽一: 本)。この考えでは、ポストモダンやシンギュラリティ(技術的特異点)さえも新しい「自然」の一要素に過ぎないとされ、人間中心の時代から計算機自然(コンピューティングネイチャー)の時代への転換が示唆されています (デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂)。要するに、コンピュータが環境そのものとなり、人間はそれに内包される存在として再定義されつつあるのです。
歴史的視点におけるデジタルネイチャー
デジタルネイチャーの概念は近年生まれたものですが、その思想的源流を辿ると20世紀後半から21世紀初頭の計算機科学・メディアアートの発展と関係しています。落合陽一氏は2015年の著書『魔法の世紀』で、映像やメディア技術の進化を「魔法」にたとえ、人間の知覚を拡張する未来像を描きました。その延長線上で2018年頃に**「デジタルネイチャー」**という言葉を提示し、自身の研究領域やメディアアート作品のコンセプトとして発展させています (デジタルネイチャーってなんだ?落合陽一『魔法の世紀』を読み解く – HAZERU magazine) (デジタルネイチャーってなんだ?落合陽一『魔法の世紀』を読み解く – HAZERU magazine)。筑波大学に設立された落合氏の研究室名にも「デジタルネイチャー」が冠されており、この概念が彼の活動のマニフェストであることが伺えます (デジタルネイチャーってなんだ?落合陽一『魔法の世紀』を読み解く – HAZERU magazine)。
歴史的に見ると、人類はまず計算機を用いて仮想世界のシミュレーション(例えばCGで自然現象を再現)を行ってきました。しかし当初は、光や音の表現を人間が物理法則を解析してプログラムする必要がありました (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。21世紀に入りAI(ディープラーニング)の台頭によって、コンピュータ自らが大量のデータから自然現象のパターンを学習できるようになりました (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。これにより、「解析的(人が定義した)」なアプローチと「統計的(機械学習による)」アプローチが融合し、計算機が自律的に自然の振る舞いを生成する道が開けつつあります (抽象言語オブジェクトとLLMMsと計算機自然と事事無碍の話.|落合陽一)。デジタルネイチャーはまさに、このような計算機と自然の融合進化の延長に位置づけられます (デジタルネイチャーってなんだ?落合陽一『魔法の世紀』を読み解く – HAZERU magazine)。
関連する研究としては、チームラボ(teamLab) のデジタルアートやレフィク・アナドル(Refik Anadol) のメディアアートが挙げられます。チームラボは「デジタル技術によって自然をアートに変えることができる。それによって自然そのものがアートになる」ことを標榜し (Digitized Nature - teamLab)、プロジェクションマッピングやインタラクティブ技術で森林や花畑を光のアート空間に変える試みをしています。彼らは「テクノロジーは自然と対立するものではなく、補完しうるものだ」と語っており ('technology is not in conflict with nature' - teamLab's new borderless museum opens in tokyo)、デジタルと自然の共生を体現する作品を多数制作しています。例えば、teamLab Borderless では来場者の動きに反応して花や水のデジタル映像が変化し、人と自然とデジタルが一体化した没入空間を創り出しました ('technology is not in conflict with nature' - teamLab's new borderless museum opens in tokyo)。一方、レフィク・アナドルはAIを用いて気象データや地球環境の情報を視覚化する作品を手がけており、NVIDIAとの協業で地球の生態系のデータからリアルタイムに生成する16K解像度の巨大映像インスタレーションを発表しています (Large Nature Model — Living Art - Refik Anadol) (Large Nature Model — Living Art - Refik Anadol)。これらの活動は、デジタルネイチャーに類する発想がアートや社会実装の形で広がっている例と言えるでしょう。
2. マタギドライブの具体例
現代におけるマタギ的ライフスタイルや実践事例
「マタギ」とは、主に東北地方の山間部に伝わる伝統的狩猟集団で、クマやカモシカなどの大型獣の狩猟と山の幸の採集を生業としてきた人々です。マタギは単なるハンターではなく、山の神々への信仰(山岳信仰)や独自の掟を守り、自然と共生する文化を育んできました (31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳 挫折の末にマタギという生き方にたどり着くまで | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン)。例えば獲物であるクマを「山の主」として畏敬し、命をいただく際には儀礼をもって感謝するなど、精神性の高い狩猟文化です。
現代において、このマタギ的な生き方に惹かれる若者が出てきています。秋田県北秋田市阿仁(マタギ発祥の地とも言われる地域)では、ここ数年で他地域から移住してマタギの後継者になろうとする人々が現れています (31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳) (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。例えば、**岡本健太郎さん(31歳)**は神奈川県のITエンジニアから転身し、2022年に阿仁に移住してマタギ見習いとなりました (31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳 挫折の末にマタギという生き方にたどり着くまで | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン)。彼のように「現代の混沌とした社会から離れ、山で生きる道を選ぶ」若者たちは少数ながら存在し、共通して「自然と向き合った生活への共感」を動機に挙げています (31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳)。この現象は、現代人がテクノロジー漬けの生活の中で逆に原始的な狩猟採集的生き方に魅力を感じ始めていることを示唆します。
もっとも、今日のマタギは完全な専業で成り立つことは難しくなっています。明治~昭和期にはクマの胆(いわゆる熊胆)が高価な生薬として取引されるなど、獲物が現金収入につながりましたが、需要減少や狩猟規制で収入源としての狩猟は縮小しました (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。そのため現在では、多くのマタギは農業や他の仕事と兼業で狩猟を行っています (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。北秋田市阿仁地区でも、昭和40年代(1960年代後半)に80人いたマタギが現在はその半数以下となり、専業マタギは存在せず**「兼業マタギ」**が主流です (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。彼らは普段は農業や林業、あるいは地域おこしの事業などに従事しつつ、地元自治体から依頼を受けて出没するクマやシカの駆除(有害鳥獣駆除)を行っています (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。狩猟手法も変化しており、昔のように徒党を組んで山を駆け回るよりも、箱罠を設置して捕獲し、安全に処理する方法が主流です (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。
それでもなお、現代のマタギたちは**「授かりもの」という古い言葉で自然の恵みを称し、獲れた獲物は可能な限り捨てずに利用するという伝統を守っています (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。例えば罠で捕獲したクマも、肉は食用やジビエとして提供し、毛皮や骨、内臓も活用する努力をしています (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。阿仁では近年、若手のマタギが中心となって地域資源を商品化する動きもあります。先述の岡本さんのようなIT出身者だけでなく、木村望さん(山梨県出身)や益田光さん**(広島県出身)といったUターン・Iターン組が2018~2019年に阿仁に移住し、それぞれ農家民宿の経営や山の薬草を使った商品開発といったビジネスを起こしつつ狩猟文化の継承に携わっています (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。彼らは本業を持ちながら「もっと山を学び、マタギ文化を伝えていきたい」と語っており (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)、伝統の維持と現代的生活の両立を図っています。このように、現代のマタギ的ライフスタイルは**「自然とテクノロジーのハイブリッド」**とも言え、ネット通販で地域産品を売りながら山では銃を担ぐという多面的な生活者が増えつつあります。
伝統的なマタギ文化と現代社会の接続点
伝統的なマタギ文化には、現代社会に通じる知恵やシステムが多く含まれます。例えばマタギ集団の運営には厳格な掟(ルール形成)があり、獲物の分配は平等に行われ、リーダーも合議で選出されました。これは現代の組織論にも通じるものがあり、「マタギの掟に見るヒューマンエラー最小化」や「持続的な組織運営のヒント」をビジネスに応用しようという分析もあります (現代アート作家が嫁入りした、マタギの村の暮らしとは?|Culture)。マタギは危険と隣り合わせの狩猟をチームで行うため、相互信頼と役割分担、経験の伝承が極めて重要でした。こうしたナレッジマネジメントやリーダーシップの在り方は、企業経営やコミュニティ運営に示唆を与えると考えられています (現代アート作家が嫁入りした、マタギの村の暮らしとは?|Culture)。
また、マタギの世界観では「山の恵み(獲物や山菜)は神からの授かりもの」とされ (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)、必要以上の採取を戒め資源の持続可能性を守ってきました。これは現代の環境倫理にも通じる考え方です。近年、人間社会はサステナビリティ(持続可能性)を重視する方向に転換しつつありますが、マタギは古来より山の生態系バランスを崩さぬよう狩猟圧を調整してきた歴史があります (時代をマタギ、伝える精神 | 食から日本を考える。NIPPON FOOD SHIFT)。現代社会が直面する環境問題に対し、このような伝統知の活用が注目されており、里山保全や野生動物との共生にマタギ文化を活かそうという試みも見られます。
都市と地方の交流という面でも接続点があります。例えば阿仁ではマタギ体験ツアーやマタギの話を聞くゲストハウスが運営され (マタギの文化を知る | 【公式】森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKE)、都会の人々にマタギの知恵を伝える取り組みが行われています。現代人がマタギから学ぶのは、単なる狩猟技術ではなく**「自然と向き合う姿勢」でしょう。高度に技術化した社会では、人間は往々にして自然から切り離された存在になりがちですが、マタギの生き方はテクノロジー時代の我々に謙虚さと畏敬の念**を思い起こさせます。
技術と文化の融合(テクノ民芸など)
マタギドライブを考える上で重要なのが、テクノロジーと伝統文化の融合です。落合陽一氏は「テクノ民芸」というコンセプトを提唱し、1920年代の民芸運動(柳宗悦らによる生活工芸の美の再発見)にヒントを得て、地域ごとのテクノロジー活用を唱えています ()。テクノ民芸とは、「地産地消のテクノロジー」すなわち誰もが地元のニーズに合わせて手作りし操作できる技術を指し、専門家の管理下ではなく市井の人々がカスタマイズ可能なテクノロジーによって、ケアやものづくりに参加できる社会を目指すビジョンです () ()。例えば、高齢者介護の文脈で落合氏は、地域の人々が3Dプリンタや電子工作で自分たちに合った介護ロボットやデバイスを作り出す未来を描いています ()。これはマタギのような地元密着の暮らしと先端技術を統合する発想とも言えます。
実際に、日本各地では伝統工芸や文化にテクノロジーを掛け合わせる試みが増えています。京都や金沢などで見られるデジタル工芸は、職人の手仕事にデジタル制作技術(レーザーカッターやプロジェクションなど)を取り入れて新しい表現を生み出しています。また秋田のマタギたちも、自ら仕留めた獲物のジビエ肉をインターネット通販で販売したり、SNSで情報発信するなど、デジタル技術を生活に取り込む動きをしています。これらは、伝統的コミュニティの知恵・美意識と、デジタル技術の利便性・拡張性を組み合わせることで、現代に適合した形で文化を継承し発展させる試みです。
落合氏が提唱するマタギドライブは、まさに**「伝統×テクノロジー」による新ライフスタイルの象徴とも捉えられます。それは、デジタルネイチャーという高度にテクノロジーが浸透した世界において、我々人間が忘れてはならない「狩猟採集民としての勘」や「自然との対話」を取り戻す動きとも言えるでしょう。テクノロジーが行き渡った社会であえて原初的な営みを志向すること、それ自体が新たな価値を生むドライブ(推進力)となります。落合氏は「世界を捨てて熊を狩れ」**(既存の常識や安定した世界を捨て、大きな獲物=イノベーションを狩りに行け)といった挑発的なフレーズでこの姿勢を表現しています (PLANETS vol.10 - Amazon)。つまり、安逸な現代文明に安住せず、マタギのように未知の山野に踏み込み獲物(新しい価値)を追い求める精神こそが、マタギドライブなのです。
3. 狩猟採集の位置づけ
原始社会における狩猟採集(進化論的視点)
人類の歴史の大半(約数十万年~数万年前まで)、私たちの祖先は狩猟採集民として生活してきました。小さな集団で協力し、狩り(狩猟)と木の実や植物の収穫(採集)によって食料を得る生活様式は、人類の生物学的・社会的進化に大きな影響を与えました。進化論的視点から見ると、現代人の身体的特徴や行動様式の多くがこの狩猟採集時代に形成された適応の結果と考えられています。例えば、人間の二足歩行や高い持久力、協調して狩りを行う社会性、さらにはカロリーに対する嗜好(甘いものを好む等)も、この時代の産物と言われます。
20世紀中頃までは、「原始の狩猟採集民は生存に追われ常に働きづめだった」というイメージが一般的でした。しかし、1960年代以降の人類学的研究によりこの見方は覆されました。マーシャル・サーリンズらの調査によれば、伝統的な狩猟採集民(例えばカラハリ砂漠のブッシュマンなど)は意外にも労働時間が短く、1日の多くを余暇に充てていたことが判明したのです (食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)〖前編〗 | 人材・組織開発の最新記事(コラム・調査など) | リクルートマネジメントソリューションズ)。サーリンズはこれを「原初の豊かさ(Original Affluent Society)」と表現し、狩猟採集社会は必要最低限の資源で満足し贅沢を求めないために、結果的に豊かな自由時間を持っていたと指摘しました (食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)〖前編〗 | 人材・組織開発の最新記事(コラム・調査など) | リクルートマネジメントソリューションズ)。実際、ある調査では狩猟採集民の食料調達労働は週15~20時間程度で済んでいたという報告もあります (食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)〖前編〗 | 人材・組織開発の最新記事(コラム・調査など) | リクルートマネジメントソリューションズ)。これは現代の労働社会と比べても短く、彼らが決して「常に飢えて働き詰め」ではなかったことを示しています。
進化論的には、狩猟採集という生活様式は人類に高度な認知能力と柔軟性をもたらしました。毎日変化する天候や動物の動きに対応し、広範なエリアを移動しながら生活するため、空間認知能力や問題解決能力、言語による情報共有が発達したと考えられます。また、獲物を追うための忍耐力や共同狩猟のためのコミュニケーション能力などもこの時代に培われた重要なスキルです。人類は狩猟採集民として数十万年を過ごした後、一部が農耕を開始し定住・農業社会へ移行しましたが、それは約1万年前以降の比較的新しい出来事です。このため我々の脳や身体は、いまだに狩猟採集時代の遺伝的・心理的影響を色濃く残しているとも言われます。
現代における狩猟採集的行動(情報社会のアナロジー)
現代人はもはや原始的な意味での狩猟採集こそ行っていませんが、その行動様式やメンタリティは形を変えて残存しているとも指摘されます。特に情報化社会において、人々はインターネット上で日々膨大な情報を**「狩り集めて」います。SNSのタイムラインを絶えずチェックしたり、検索エンジンで必要なデータを探し回る様子は、まさにデジタル空間での狩猟採集といえるでしょう。認知科学者のピーター・ピロリらは「情報採食理論(Information Foraging Theory)」を提唱し、人間がウェブ上でリンクを辿って情報を集める行動を動物の採食になぞらえて分析しています ([PDF] How People Form Folk Theories of Social Media Feeds and What It ...)。この理論によれば、ユーザーはウェブページから漂う手がかり(情報の匂い)を嗅ぎ取り、より有益な情報が得られそうなリンクへと次々移動していくとのことです ([PDF] How People Form Folk Theories of Social Media Feeds and What It ...)。つまり現代の我々は、マウスや指先を使ってネットのジャングルを駆け巡る「情報の狩人」**になっているのです。
また、都市生活に目を向けると、現代人の消費行動や働き方にも狩猟採集的な側面が垣間見えます。例えば、フリーランスやギグワーカーと呼ばれる人々は、プロジェクトごとに仕事を**「狩り」、収入を得てはまた次の仕事を探すという生活を送ります。これは定住農耕民的な安定職業とは対照的に、その日その日の糧を得る狩猟採集民的な働き方です (Modern Hunter-Gatherers: How Urban Life Mimics Our Ancient Past ...)。また、多くの都市住民が大型の冷蔵庫や食品庫を持たず、コンビニやスーパーで毎日必要な食料を買い足すライフスタイルも、まさに日々の糧を狩猟採集する行動といえます (Modern Hunter-Gatherers: How Urban Life Mimics Our Ancient Past ...)。ある論者は「現代の都市生活者は無自覚のうちに古代の遊動民の行動を模倣している」と述べ、日々コンビニに通う様子を「現代の狩猟採集」**になぞらえています (Modern Hunter-Gatherers: How Urban Life Mimics Our Ancient Past ...)。
SNS上の情報拡散やトレンドの追跡も、社会全体で見れば**「協働的な狩猟採集」と考えられます。Twitter(X)などでは面白いネタや有用な情報が見つかると一斉にシェアされ、多くの人がそれに飛びつきます。この様子は、あるメンバーが森で果実のなる木を発見すると仲間に知らせ、皆でそこに集まって収穫する、といった原始社会の協調行動を彷彿とさせます。情報は現代の貴重な資源であり、人々はそれを効率よく「採集」**するためネットワークを駆使しているのです (Information Scent: How Users Decide Where to Go Next)(※社会的採食理論とも言われます (Information Scent: How Users Decide Where to Go Next))。
さらに、ゲームやバーチャル空間では文字通りの狩猟採集がシミュレートされています。多人数参加型のオンラインゲーム(MMORPG)では、プレイヤーが仮想世界の森で狩りをし、アイテム(資源)を集めて生活基盤を築くという遊びが人気です。メタバースやVRが発達すれば、我々はデジタル空間内で狩猟採集民として活動する機会が増えるかもしれません。そうなれば、AIが狩猟のパートナー(猟犬役)となったり、バーチャルな森でサバイバルスキルを磨くといった、新しい「狩猟採集」の形が登場する可能性があります。
未来の可能性(バーチャル空間、AIとの関係)
将来、AI技術やロボット技術がさらに発展すると、狩猟採集的な営みは高度に仮想化・自動化されるでしょう。汎用人工知能(AGI)が実現すれば、人間の代理として情報や資源を探索・収集してくれる存在になるかもしれません。極端に言えば、AIがインターネット上で我々の興味関心に合った情報をハンティングし、必要な知識を自動で取ってきてくれる未来も考えられます。すでに検索エンジンやレコメンドアルゴリズムは、ユーザーの嗜好を学習して最適な情報(獲物)を提示する狩猟補助犬のような役割を果たしています。
一方で、人間自身が再び仮想空間の中で狩猟採集民的な生活を体験する可能性もあります。メタバース上に原始生活をシミュレートした空間を作り、参加者はそこで動植物を採集したり、AIが生成する動物を狩猟したりして暮らす――まるでゲーム『どうぶつの森』の超高度版のような社会実験も起こりうるでしょう。そうした環境では、人々は現実世界で忘れかけたサバイバル感覚を取り戻しつつ、安全に「野性」を満喫することができます。AIは適度に困難な課題やリスクを演出し、人間の狩猟本能を刺激するパートナーとなるかもしれません。
また、バイオテクノロジーや持続可能技術の進歩により、現実社会そのものがネオ狩猟採集社会に近づく可能性もあります。例えば、都市部での植物工場や昆虫食の普及によって、個人が自宅や近隣で自給的に食料を「採集」できるようになるとか、3Dプリンタで必要な道具を都度作り出し「その場調達」するライフスタイルが一般化する、といった未来像です。大量生産・大量消費からオンデマンド生産・必要最小限消費への転換は、ある意味で狩猟採集的な「必要なときに必要な分だけ得る」生活への回帰とも言えます。
要約すれば、狩猟採集は人類の過去の遺物ではなく、現代そして未来の社会に新たな形で受け継がれていく可能性がある概念です。それは情報採集というデジタルな形であり、文化的実践としての回帰であり、あるいはテクノロジーによる新たな「野性の復権」であるかもしれません。
4. 余剰エネルギーの概念
経済学的視点:エネルギーの蓄積と分配(産業革命以降の変化)
余剰エネルギーとは、生存に必要な最低限を上回るエネルギー(資源)を獲得し、蓄積した状態を指します。経済学や経済史の分野では、エネルギーの大量獲得とその分配が社会構造や経済成長を決定づける重要な要因とされています。特に18~19世紀の産業革命以降、人類は化石燃料(石炭・石油・天然ガス)という莫大なエネルギー源を手に入れました。これは人類史上初めて、太陽光による年間の生物生産量(一次生産=農耕や林業で得られるエネルギー)を遥かに超える**「埋蔵エネルギーの放出」**を可能にした出来事でした (Extra-Metabolic Energy: The Power to Sustain or Destroy - Kleinman Center for Energy Policy)。産業革命期の英国では、安価な石炭エネルギーの利用が経済成長を爆発的に加速させたことが知られています (Why was the Industrial Revolution British? | CEPR)。蒸気機関の発明により、人間や家畜の筋力を超えた機械労働が導入され、製造業や輸送の生産性が飛躍的に向上しました。これに伴い、世界全体のエネルギー消費は指数関数的に増加し、経済規模(GDP)もそれに比例して拡大してきました。
エネルギー経済学的に見ると、経済成長=エネルギー消費増と言っても過言ではありません。2019年時点で世界の一次エネルギー消費は約**600エクサジュール(EJ)に達しており、過去数十年で前例のない高みにあります (news: Energy Institute releases 2024 Statistical Review of World ...)。化石燃料の大量投入によって工業化と都市化が進み、人類は自らの身体代謝(生体エネルギー)をはるかに超えるエネルギーを扱うようになりました。実際、現代社会では人間一人当たりの平均エネルギー消費量は、その人が食物から得るカロリー(生物代謝エネルギー)の数十倍にも上ります。ある推計では、ある先進国の市民の場合、生体代謝が1日に約2,000キロカロリー(=約8.4 MJ)であるのに対し、生活全般で間接的に消費するエネルギーは1日あたり200,000キロカロリー以上にもなると言われます。これは、人類がどれだけ「余剰のエネルギー」**を環境から引き出し利用しているかを物語っています。
産業革命以降に顕著になったのは、エネルギー分配の不均衡です。一部の国・地域が膨大なエネルギーを消費して高度な工業社会を築く一方、他の地域ではエネルギーアクセスが乏しく経済発展が制限されるという構造が生まれました。さらに、安価なエネルギー源を背景に大量生産・大量消費の社会が成立し、結果として地球規模で資源枯渇や環境汚染といった問題も生じました。経済学では、エネルギーの価格・需給バランスや技術革新によるエネルギー効率改善などが分析されています。例えばジュヴォンのパラドックス(効率化によってむしろ消費量が増える現象)や、オイルショック以降の省エネ技術の展開など、余剰エネルギーをめぐる経済的ダイナミズムは社会変動と切り離せません。
現在、再生可能エネルギー(太陽光・風力など)の導入や原子力の活用によって、化石燃料への依存を減らしつつエネルギーを確保する取り組みが世界的に進んでいます。IEA(国際エネルギー機関)の予測では、2040年までに世界の電力の21%が可変型再生エネルギー(主に太陽光・風力)から供給される見通しであり、それには莫大な投資(5.3兆ドル規模)が必要とされています (More of a good thing – is surplus renewable electricity an ...)。このように、産業革命以降の余剰エネルギーをどう持続可能な形に転換・分配するかが、経済政策の大きな課題となっています。
進化論的視点:人類の余剰エネルギーと行動変化
進化生物学や人類学の観点からは、余剰エネルギーを得ることが人類社会にもたらした変化も興味深いテーマです。先述の狩猟採集社会では、生存に必要な以上のエネルギーを長期的に保存することは難しく、得られたカロリーは余暇や文化的活動に充てられました。農耕の開始によって初めて、人類は穀物などの形でエネルギー(食料)の貯蔵が可能となり、定住・人口増加・分業化が進みました。つまり農耕革命は余剰エネルギーの貯蔵=文明の発展を促した転機でした。農耕民は狩猟採集民に比べて生産高が増え、平時には余剰の食料(エネルギー)を蓄えられるようになりました。その結果、専門職(職人や祭司、兵士など)の誕生や都市の形成といった社会的複雑化が起こりました。
さらに人類は、生物学的制約を超える「超代謝的エネルギー(extra-metabolic energy)」を利用してきました (Extra-Metabolic Energy: The Power to Sustain or Destroy - Kleinman Center for Energy Policy)。火の利用はその最たる例で、料理によって食物から得られる栄養を増やし、暖をとって生存域を広げました (Extra-Metabolic Energy: The Power to Sustain or Destroy - Kleinman Center for Energy Policy)。火は人間に初めて生物学的代謝を超えた余剰エネルギーをもたらし、これが脳の大型化や社会の複雑化に寄与したとも言われます (Extra-Metabolic Energy: The Power to Sustain or Destroy - Kleinman Center for Energy Policy)。人類は火以降も、風力(帆船)、水力(粉挽き)、家畜の労働力など様々なエネルギー源を活用してきましたが、その度に「余剰」を手にするとそれを使ってさらなる発展を遂げてきました。進化的には、余剰エネルギーを得ても人類の欲求は飽和せず、むしろ新たな需要(大きな家屋、長距離移動、娯楽や芸術など)を生み出してきたという指摘があります (Extra-Metabolic Energy: The Power to Sustain or Destroy - Kleinman Center for Energy Policy)。例えば余剰があったからこそピラミッドや大聖堂といった巨大建造物が作られ、学問や芸術に人材を振り向けることができたとも考えられます。
文化人類学者のレスリー・ホワイトは「文化進化のエネルギー理論」を提唱し、「文化の進化度は一人あたりが利用するエネルギー量と、そのエネルギーを効率的に利用する技術に比例する」と述べました。これは言い換えれば、余剰エネルギーが多いほど文化は複雑・高度化するという考えです。産業社会が前近代社会より高度なのは、石炭・石油という巨大な余剰エネルギー源を手に入れたからだ、というわけです。もっとも、エネルギー余剰が常にポジティブかというとそうでもなく、人類史には余剰の浪費や負の側面もあります。フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、人類社会は余剰エネルギーを**浪費せねばならない(蕩尽しなければならない)**と論じ、祭祀や戦争、贅沢品といったものはエネルギーの過剰を捨て去る役割を果たすと指摘しました。これは、進化の過程で余剰をどう扱うかが人類の課題であったことを示唆します。
現代に目を向けると、我々は前例のない余剰エネルギーを手にしていますが、その使い道を見直す段階に来ています。大量生産の果てに生じた環境問題は、余剰エネルギーの無秩序な使用が招いたものでもあります。今後、進化論的視点で言えば、人類は**「いかに余剰を制御し持続可能な形に昇華するか」**が問われています。もし核融合などで事実上無限に近いエネルギーが得られたら、人類はさらなる進化(例えば宇宙進出やポストヒューマンへの移行)を遂げるのか、それとも自己崩壊するのか――余剰エネルギーの増大は常に社会の転換点となってきたことを念頭に、注意深く見守る必要があるでしょう。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
いつも応援してくださる皆様に落合陽一は支えられています.本当にありがとうございます.